023.門のカメレオン
王都は村から出てきたルカにとって比べ物にならないくらい発展した都市だった。聖石の検査を受けたリンドール町も十分田舎だったのだと思い知らされる。
まず町全体が綺麗だ。道路が石畳で舗装されているため土埃が立たない。王都より南の街道から入ってきてからずっと商業地区のようだが、ルカたちにも気安い市場から、大きな道を渡ると商店のランクが変わったのがわかる。建物の高さも違い、リンドール町の鐘塔くらいの高さの建物が、大通り沿いにずらりと軒を連ねている。階級によって出入りする区画がある程度分けられているのが窺われた。
あと、特筆すべきは空を移動する絨毯である。超高級魔術具である「空飛ぶ絨毯」は、村や町ではお目にかかれるものではない。
王都でもやたら飛んでいるというわけでもないが、王城のある中央区画には色とりどりの絨毯が空を舞っていた。
「あそこは貴族が出入りするから、空飛ぶ絨毯くらい買えるでしょうね」
スカーレットが王都中心でさらに壁に取り囲まれた中央区画を遠く見て言う。
「王都で空飛ぶのって速度制限と高さ制限がすごく厳しいんだって」
リヒトが本で仕入れたであろう知識を披露した。
「でもあんなふうに空を飛べたら楽しいだろうなぁ」
「わかるわ」
「そうだね」
アレクの無垢な感想には、二人とも同意せざるを得なかったらしい。
軍学校に行くアレクとは途中で別れた。軍学校は王都中央の王城の近くにあるらしく、王都の東側にある魔術学校とは結構距離があるらしい。でも同じ王都にいるのだから、きっとまた会えるだろう。途中でいったん昼食をとり、さらに歩いてようやく目的の場所に辿り着いた。建物の特徴は門兵から聞いていた通りだが、どこにもその名前を示す門札などがない。
「王都って……広いのね……」
スカーレットが息切れしながら言った。ルカもそう思った。王都に着いたのが朝のうちだったので甘く見ていた。
「まあまだ手続きは大丈夫だろ」
そういうリヒトも若干息が上がっている。ルカは二人の息が整うのを待つあいだ、建物全体をよく見ることにした。
この通りは商業区画ではなく、公園や音楽堂などがある文化区画と呼ばれる区画らしい。さっき道を聞いたときに教えてもらった。道を歩いている人が極端に少なく、用事がある人しか通らないのだろう。
魔術学校は背の高い鉄柵に囲まれていて、緑のあいだから漆喰とレンガを組み合わせた瀟洒な建物が覗いている。正面の門もやはり重厚な鉄の門扉で閉じられているが、表面に真鍮で唐草や葡萄の装飾が施されていて、普通なら把手があるような場所には、一抱えもある大きさのトカゲが、四角く鍔のある帽子を被って居座っていた。もちろん真鍮製だ。
ルカが見たことのない種類のトカゲだと思い、顔を近づけると、真鍮細工のトカゲが急に動き出した。動いたと同時に真鍮色がひゅるりと黄緑色に変わる。帽子まで黒く艶やかになっている。門扉の上の唐草を伝い、左半身だけのトカゲはちろりと長い舌を出した。ルカはびっくりして後ずさった。さっきまで、お前、飾りだったはずだろう……。
「ようこそ、奨学生のみなさま。と、お兄さん」
黄緑色のトカゲはその金属製の口をぱくぱく動かしながら声を発した。リヒトが難しい顔でルカの隣に立った。
「わたくしは門のカメレオン、ジュールラックと申します。以後、お見知りおきを」
カメレオンというのをルカは知らないが、文脈からして役職名か、あるいはトカゲの種類のことだろう。お兄さん……ということは、ルカのことを把握しているらしい。
「その指輪をここにかざしてくださいな。それで認証されますから」
カメレオンのジュールラックは己の眼前にあるたわわな葡萄の一粒を指差した。リヒトが通行証として渡された自分の指輪を近づける。すると、指輪の石から柔らかい黄色の光線が生まれ、葡萄の粒に当たった。葡萄と指輪が光線でつながり、その粒が赤紫に光る。強い光ではなく、内部で発光しているのを曇りガラスが透かしているような柔らかさだ。まもなく葡萄の光が収まり、指輪の光線も消えた。
「はい、ポルカ村のリヒト殿、認証完了です」
ジュールラックは口角を上げて言った。トカゲやカエルは角度によって笑っているようにも見えるが、ジュールラックほど表情豊かなトカゲは初めてだ。
「いま認証を済ませたリヒト殿だけ門を通れますが、みなさままとめてできますから、ご一緒されては?」
そう言われて、スカーレットとルカも続けて認証を行った。この手続きは門を通るときに必ずしなくてはならないそうだ。しなければ門は通れないらしい。
三人とも認証が終わり、重厚な音を立てて鉄の門扉が奥へと開いていく。さあ入ろう、というときに――
「みなさまのお役に立ったわたくしに、肉を下げ渡してくだすってもいいんですよ?」
とジュールラックから声がかかった。どうやら袖の下をお望みのようだ。
「門番の仕事だろ」リヒトが冷たく言い放った。
「肉なんか持ってないわ」スカーレットも畳みかける。
二人は結構息が合うのかもしれない。
「けっ、なんだよ。教えてやって損したぜ」
二人の返答を聞いたジュールラックがにこやかな表情から一変、ぶすくれて目を細めた。ルカは携帯食として少し余った干し肉の欠片を腰の革袋から出し、ジュールラックに近づけた。
「これはどうだろうか」
「お兄さま! さすがは年長者! このような卑しい身分のそれがしにこのようなお恵みを! ありがとうございます! ありがとうございます!」
ジュールラックは手のひらを返し、いや、手のひらはしっかりと干し肉を掴み、へこへことルカに媚び始めた。
「うるせぇ……」
リヒトがリヒトらしからぬ言葉遣いをしている。さぞ疲労が溜まっているのだろう。かわいいリヒトをこんなにしてしまうなんて、過労とはなんと恐ろしいものであることか。
「あげなくてよかったんじゃないの?」
スカーレットはいつも通りの辛辣さだ。元気なようでなによりだ。
「まあまあ、ではさっそく行こう」
二人をなだめ、門扉から身を乗り出して(?)手を振るジュールラックに手を振り返し、ルカは魔術学校の敷地に足を踏み入れた。
ぐにゃり
瞬間、少し気持ち悪い感じがした。めまい……なんていままで感じたことはなかったが、これが世に言うそれなのかもしれない。
「門自体が巨大な魔術具になってるみたい」
リヒトの声がして顔を上げる。ほんとうだ。実感した。
そこにはさっきまで門の中にあったはずの漆喰とレンガの建物とは全然違うものが見えていた。大きく拓けた草地に林立する濃灰色の建造物群。遠く向こうには深い森が広がり、山々が霞む。
(王都はどこに行ったのだ)
門がゆっくりと閉まる音が背後で聞こえる。三人はしばしその場に立ち尽くすことになった。
門のカメレオンことジュールラック。小さいシルクハットを被っている。魔術学校のシンボルの座をグリフォンに奪われて以来、ずっと卑屈。