016.人の金で食う飯はうまいという話
先ほどから「ルカ兄さんと一緒じゃなきゃ嫌だ」と泣いてわめく弟を「もう十二歳なんだから身の回りのことは自分でできるでしょ!」と母が必死に言い聞かせている。
いつの間にか「兄ちゃん」呼びから「兄さん」になって精神的な成長を喜んでいたが、まだこんなにもかわいらしい面が残っていたのかとついつい頬が緩む。
しかしリヒトのかわいらしさに脂下がっているわけにもいかない。とにかく十日以内に入学手続きを完了させなければならないのだ。もう二日目が終わろうとしている。町まで一日みなきゃいけないから、猶予は七日しかない。
「入学手続きが終わったら国が手配した馬車が来るらしいんだ。向こうの都合次第だから、手続き後すぐかもしれないし、待たされることになるなら宿代も出るらしい。でも身ひとつで行くわけにもいかないだろ。必要なものの買い出しとかもあるし、町には早めに着かないと」
ギャン泣きの弟と母を尻目に、今後の予定を父に話す。
七日以内に町で入学手続きをしたら、そのまま町で待機して手配された馬車で王都に行く。本当に揉めている時間などないのだ。
するとそれまでなにやら考え込んでいた兄が急に言った。
「ルカ、お前、リヒトについていけ」
「え?」
父とルカの声が合わさった。
ルカは兄の思惑にすぐに思い至った。兄が自分に冷たく当たる理由だ。
兄には結婚したい女がいる。
女もどこがいいのか知らないが兄に惚れている。
しかし女の父親はそう簡単にはいかない。鬼の子がいる家に大切な娘をやるなんて、と渋った。自警団の一派だったのだ。でも娘が乗り気だと知ると今度は持参金を値切ってきた。つまりルカがいるせいで、兄の結婚は滞っているのだった。
兄の恋人の女性はかなりおとなしい人らしく、父親の所業を知っても強く言えないでいるらしい。
結婚の申し込みをしたのはもう二年ほど前だと聞いている。そりゃあ我慢も限界だろう。
そこでルカを追い出しにかかったわけだ。
ルカは自分のことは自分で決めると言い、その日は怒って出て行った。しかし次の日の狩りで矢を何本も無駄にしてヴォルフから拳骨を食らい、なにがあったか話した。
「村を出るのもいいかもしれん」
「え……」
まさかここでヴォルフに切り捨てられるとは思っていなかった。
(なんで? どうして?)
「ああ、誤解するなよ。でも王都なんて、こんな機会でもないと行けんだろ」
「そりゃあ」
「人の金で」
「たしかに馬車代は国持ちだけど」
ヴォルフは顎を太い指でこする。みっしりと生えた髭に指が埋まって気持ちよさそうだ。
「行ってみて嫌だったら帰ってくればいいじゃないか」
「んー……えー……?」
ルカは思わず困惑の声を出した。めったにない、甘えを含んだ声音だ。ヴォルフはにやりと笑った。
「その、奨学生ランク一等だったか? その通知に書いてあるんだろ? 同伴者を連れてきていいって」
「うん」
「じゃあ向こうに文句を言う権利はない」
「……」
「寮にお前の部屋ももらえるのか、弟と同室になるのかはわからんが、とにかく出入り自由ってことになる」
「うん……まあ」
「王都に行って一人暮らしするのにいくらかかると思ってる。お前の親父の一年の稼ぎなんざ、月が一周満ち欠けする間になくなっちまうんだぞ」
「え!」
「でもお前の弟はとりあえず寝床と飯は確保したんだろ」
「うん」
寮では朝夕、飯が出るらしい。昼はないが、学内の食堂で有料で食べられる。それは同伴者も同じだ。
「同伴者の権利だけしっかり確保しておいて、向こうで出稼ぎでもすればいいじゃねーか」
「……!!!」
ルカはいままでそんな図太く、図々しく、厚かましい思考に辿り着いたことはなかった。頭のてっぺんに雷でも落ちてきたかのような衝撃を感じた。
「狩りの腕はもうかなりある。俺は仕込めることは仕込んだからな。この三年で体もほぼ完成した。村だけじゃ学べないこと、見られないもんを見てこいよ」
(ヴォルフ、いままでで一番しゃべったな)
結局「奨学生本人じゃないんだから嫌になったら帰ってくればいい」の一言が駄目押しとなって、ルカは心を決めた。




