011.父の怒り
「私の息子が初めて狩ったホホグロジカの角を提供するくらいです。あなたの息子もさぞ立派な仕事を村に還元したのでしょう?」
いつも物腰が柔らかく穏やかな父は、いつも通りの口調で尋ねた。
「オスカーの言う通りじゃな。ガストンは成人したばかりじゃ。ガストンが一人前になったとき、どんな仕事をただでしてやったんじゃ? 村長なのにそんな殊勝なことをしておったと知らなんだ。教えておくれな」
自警団の長は顔を真っ赤にして言葉に詰まった。
「まだ半人前ということかの。じゃあ一人前になったときのことを楽しみにしておるぞ。みなも聞いたな? 今後この村では、一人前になったときの仕事は村に還元されるものとする。それはルカの仕留めたホホグロジカの角と同等の価値でなければならない。自警団の長の進言じゃ。儂も呑もうではないか」
村の有力者たちがざわめいた。それはそうだ。ルカの仕留めた鹿の角レベルのものを納めろと言われたのだ。まだ見習いの息子を持つ者もたくさんいる。そんな仕事を無償でやるなど、たまったものではない。
「ちょっと待ってください。儂は反対です。仕事は金を得られるから仕事なのです。無償で提供するのを仕事とは呼びません」
慌てたように声を上げたのは村で職人頭をやっている老人だ。自らは鍛冶職人であり、長年炉に向き合ってきた肌は深い皺を刻み、なめし革のように灼けていた。
「ほう? ではおぬしはルカが鹿の角を取り上げられたのをどう考えるのじゃ?」
「……不当だと思います」
その職人頭を皮切りに、有力者勢から次々と不当だとの声が上がる。その様子に薬師は顔色をなくし、自警団も長以外の者は肩を寄せ合うようにして不安げな顔をし始めた。
「どうするかのう。おぬしら以外の者は不当だと考えておるようじゃが」
「……」
自警団の長がだんまりを決めこんだため村長は続ける。
「行商に売りたかったが、角があそこまで細かく刻まれておってはホホグロジカと証明できず買ってもらえん。さて、不当に角を取り上げられたルカにどう補償をするべきか……」
これには有力者たちも顔を見合わせた。収穫祭前で冬支度前である。自警団のなかにも臨時で支出できるような者はいないと容易に想像できたのだ。
「そういえば、ルカは角は売りたいが、肉は村人に無償で振る舞ってよいと言ってくれておったの」
どよめきが走る。「本当か」「すごい、大盤振る舞いじゃないか」
自分が置いてけぼりだったので急に話を振られてルカはびっくりした。集会所の壁の木目を数えていたところだったのだ。
「でも角の金が手に入らんわけじゃから、肉のほうを有料にしてはどうかの」
村長の目論見がわかったので、先ほど色めきたった人々は急激に落胆した。
「角の金と見合うとも思えんが、台無しにされて肉もただで振る舞うというのはおかしな話じゃ。肉は有料で欲しい者に売るように。それで手打ちとしようかの」
ルカとしては問題ない。肉は本来持って帰れない量を〈相互移動〉で全量持って帰ってきたのだ。多すぎたから収穫祭で配ることに異論はなかった。それが金になるなら万々歳である。角が売れていた場合を想定したらたしかに損だが、大損までは行かないだろう。そんなことよりも早く帰りたい。今日も脂の乗った鹿肉の香草焼きと鹿肉と根菜のスープがルカを待っているのである。
「オスカーも、それでよいか」
村長はルカが面倒くさそうにうなずいたのを見て、父親のほうにも尋ねた。ルカはまだ未成年だったので、最終的な決定権は父にある。
「それでいいですが、村の者には肉が有料になった経緯を話させてもらいます」
「もちろんかまわん」
「うちのやつらには儂からも説明しておく」
職人頭のおじいさんも配下の職人に話すと協力を約束してくれた。ほかの有力者の面々もうなずいている。ルカとしては今日まで顔も知らなかった人たちが味方してくれたのが不思議だった。それだけ村長がうまくやってくれたのだ。
自警団の長のせいで無料だったはずの肉が有料になったというのはあっという間に広まった。この騒動以降、自警団の男衆はしばらく肩身の狭い思いをすることになった。薬師のもとにあった角は村の共同管理となり、今後それを使う薬は角のぶんだけ価格が下がるらしい。ルカはというと、オスカーの助言もあり、肉は有料ではあるものの破格の安さにした。それによって多くの者が肉を買えたし、ほとんどの村人にとってルカの心証は悪くならなかったのである。
ただ、この出来事はその後のルカに大きな影響を与えることになった。つまり、もう二度と対価をもらえない仕事はしたくない、という意識が芽生えたのだ。初めての大物を一番嫌な人間に取り上げられるところだった。途中から面倒くさくなったけれど、理不尽な言いがかりに怒りが湧いたのも事実だ。
(本当はああいうときに自分で交渉できないといけないんだ)
ヴォルフが怒っていた割になにも言わなかったのも、ルカに自分で戦わせようとしたのかもしれない。でも結局父と村長がいなかったらルカは奪われるだけだった。そしてふと気づいた。
(父さんはあれ、怒ってたんだよな)
当時のことを思い出してルカは空を見上げた。満天の星に向かい、焚火の煙が溶けていくのを目で追っていった。
※2022.06.05 誤字修正をしました。