102.テオドール(4/4)
「君が藍星鉱についてした説明にはほころびがある。平民のマロルネさんにとっては気にならないことでも貴族である私にとっては気になることだ」
「……?」
「絨毯を褒賞に貰っているのに藍星鉱も追加で貰う? まったく考えられない話ではないが、私の感覚ではやりすぎではないかと思う。それにほかの功労者たちはなにを貰ったのだ。それに見合うほどのものを」
リヒトは黙っていた。
「魔術学校の会計は調べればわかる。報奨金が支払われたのだろう動きもな。おそらく見合う金など動いていないだろう。じゃあ君が貰ったのは絨毯だけと見るのが妥当だ。藍星鉱を貰ったのは…………ルカ殿だな」
リヒトは心臓を直接握りこまれたような思いがした。貴族の口から兄の名が出たことがひどく不快だった。
「ではなぜそれをみなに言わない。言ったってなにも不都合など起きはしない。ああ、これが当日護衛に就いていたルカ殿の褒賞だったのだな。弟だから、リヒトがそれを借り受けたのだ、みなは簡単にそう理解するはずだ。なぜ言わない」
「それは……」
「答えはルカ殿が染めたぶんの藍星鉱が別にあり、それから作る加工品を極力知られたくないからだ」
「……! 飛躍じゃないですか!」
「飛躍ではない。目的は加工であるはずだ。藍星鉱をルカ殿が貰ったのであれば、エーデルリンク先生はルカ殿にとってのその有用性を見いだしているはずだ。研究者でも将来そうなる予定でもないルカ殿に、役に立たないけどめずらしいから、なんて理由でそんなものをやるはずがない。金のほうが幾分かましだ。だから素材の状態で藍星鉱を貰ったルカ殿は――素材の状態なのは藍星鉱は誰かが触るとその者の魔力に染められてしまうからな。素材の状態以外では渡しようもないだろう――エーデルリンク先生の助言したものを作る必要があった。しかし冶金を生業にしているわけでもない個人の手仕事で目的のものなど作れない。だからシルジュブレッタ先生を頼った。その専門分野から、加工技師に伝手があるのが容易に想像できたからだ。そして現状、私たちに加工まですることは黙っている。なぜ黙っている必要があるのか。ルカ殿の染めた藍星鉱が別にあることを知られたくないからだ。研究室でリヒトが染めたぶんの藍星鉱は重さや体積を測り、さんざんデータを取っている。加工のときにすり替えても、前見たときより量が多くないかなど、違和感は全員が持つだろう。だから加工のときに五年生を立ち会わせるつもりはない。そして問題は、なぜルカ殿のために加工することを知られたくないのか――なにか特別なものを作ろうとしているだろう、君」
一気にまくしたてられて頭の真ん中が痺れるような錯覚に陥った。
なんとか言い返さなければ貴族に手の内を全部見られてしまう、そう思うのになにも言葉が出てこなかった。テオドールの推測はほとんど当たっていた。違うとすれば、エーデルリンクが提案したものを作ろうとしているわけではないことと、「なにか特別なもの」というよりはルカの〈恩恵〉実験に使えないかと試しになにか作ろうくらいの心づもりであったことだが、そんな細かいことを訂正したら、ほかはすべてその通りですと白状しているようなものであった。
リヒトは自分の握りこんだ手を見ていたので気がつかなかったが、テオドールはいつも取り繕っている表情から素に戻り、少しだけばつが悪そうな顔をしていた。いまのが図星であったのなら可哀想なことをしたかと思ったのだ。テオドールとて人間である。心まで作り物にすることはできない。四つも下の後輩がこっそり楽しみにしていることを、言い当てて不安にさせて気分がいいわけもない。今日は目的があるのでしかたなくリヒトを翻弄しているが、本来のテオドールはこのように下の者を困らせて楽しむ質ではないのである。
「あー……」おほん、と咳ばらいをしてテオドールは座りなおした。「いまのは別に教えてやっただけだ。貴族の前であまり迂闊なことをしないようにとな。シルジュブレッタ先生からも、まだ一年生だからと頼まれたことだし」
リヒトが強張った顔を上げると、テオドールはするすると絨毯を動かしはじめた。熱を持ちはじめていた目元に冷たい風が吹きつけたと思ったら、シールドに少しだけ隙間が開けられていることに気がついた。
「さて、私はとくにいまのような考えをヴァスコやスピカに言うつもりはない。マロルネさんにもな」
「シルジュブレッタ先生は……」
「今日この絨毯に乗れと言ったのは誰だと思ってる。君は貴族の洗礼を浴びてこいと言われたのだ」
いまテオドールがまくしたてたことくらい、わかっているということだ。
「それで、私も加工に立ち会わせてもらう、ということで手を打とうじゃないか」
「え」
「藍星鉱の加工だぞ。当然見たい」
「あ、はい」
そうだった。この人は隠されたものが見たいのだ。たとえそれが枝耳兎の肉であっても。
「立ち会ってもらったら、その加工品については一切詮索しないということでいいですか」
「もちろんだ」
リヒトはテオドールを見た。端正な顔に誠実そうな笑みをたたえている。これは当然、誓言に抵触しないやり方で詮索される。リヒトが彼でもそうする。それはそうなのだ。
(なんでこんなことになったんだっけ)
――とにかく口が上手いの。会話に乗せられてると、言うつもりがなかったことまで言わされることがあるのよ。
リヒトはマロルネの助言を反芻しながら、決定的な岐路がなにかなかったかと考えを巡らせた。時間を引き延ばしたのも話題を振ったのも自分である。
(ぜったいなにもなかったよな……)
悶々としたリヒトの横顔にちらと目を遣り、テオドールもまた考えていた。
どれだけ聡明と言えども、リヒトはまだ十二、三の平民の少年である。普通であれば少しずつ世の中のことを学びながらも甘やかされていればいい年頃だ。だが、リヒトは飛び級がほぼ決定しているうえに、春になれば専門の機関誌に名前が載る。魔術学校の守りがあるとはいえ、飛びぬけて優秀なことが門の向こうにも広まれば、身辺を探られるのは当然、王国や教会側から取り込みの打診があるだろう。正面からの打診ならばまだよい。親切な顔で近づいてきた者、こっそり探っている者らに弱みを握られ傀儡にされるようでは困るのだ。
(シルジュブレッタ先生としては、冬休み中にどうしても一度、君を突き落としておかねばならなかったのだ)
かく言うテオドール自身が、リヒトの動向を探っていた者である。やることは多くあるのでそれだけに注力していたわけではもちろんない。だが魔術学校内において、返信機能付き伝書鳥の開発、貴族を差し置いての成績一位、ヒュドラ討伐への貢献を鑑みればリヒトの情報を押さえておくのは当然だった。「貴族から平民に話しかけるなんて」などという無駄なプライドで情報を得る機会を捨てる人間は馬鹿だ。残念なことにその馬鹿が貴族クラスの後輩には多い。
(教科書の勉強は得意なんだがな)
とにかくテオドールとしても、残り半年でリヒトと自然に顔をつなぐことができて満足だった。彼は取り込んでおいて損はない。肩書きや所属は魔術学校にあってよいのだ。エーデルリンクやジュールラックを敵に回すなど冗談ではない。ただこちらが使いたいときに、すんなり協力者になり得る程度の信頼関係を構築しておくのが望ましい。信頼と好意は似て非なるものだ。ただ手懐けるだけでは足りない。
(肝要なのは私への適度な畏れと、悪ではないという確信を同時に抱かせることだ)
彼とて王国の貴族に伝手があるというだけで、今後の心持ちが違うはずだ。
(私と君は良い関係を築けると思うよ、リヒト)
このまま終わっては畏怖の念だけ抱かせて終わりそうなので、テオドールは少し助言をすることにした。もちろん“いい奴感”を出すためであるが、本心からの助言でもある。
「これから身分の違う者と接することも増えるだろう。大切なのは常に天秤を考えることだ。欲しいものに対してなにを差し出せば交渉になりうるのか。すでにしてもらったことがあるのなら、なにを返せば釣り合いが取れるのか。今回君は、藍星鉱の研究という大きな分銅を天秤のひと皿に載せたのだ。それに対してシルジュブレッタ先生は、ウルハイ族二人の知識と一人の貴族の使いっ走りという分銅をご自分の皿に載せた。さっきは幸運と思えと言ったが決して偶然ではない。そういうようにシルジュブレッタ先生が仕向けたのだ。私たちは私たちで、それぞれシルジュブレッタ先生には借りがあるからな。彼の天秤の分銅になることで、少しは返すことができる」
「今回のはその……自分なりには、加工を手伝ってもらう代わりに、藍星鉱の半分を差し出したんです」もう知られてしまっていることなのでリヒトは明け透けに話した。
「言っておくが加工技師の紹介など藍星鉱の重みに比べたら塵のようなものだぞ」
「う……」
「シルジュブレッタ先生はそれは十分お分かりのはずだ」
「でも僕、いままで受けた恩義が大きすぎて、天秤の皿にいまさらなにを載せても沈んでくれない気がするんですけど」
「そう思っているのは君だけだ。……まあ、マロルネさんは平民だし、そこまで考えて君に構っているとは思えん。根が優しいだろう。今日も私と二人になる前に君にいろいろ助言していたようだし。シルジュブレッタ先生も――私が言うことではないが――こういう貴族の論理はお好きではないようだ。だがあくまで貴族育ちだ。刷り込まれてはいるから、均衡は取りたがる」
「はい……ん? あ!」
「なんだ」
「マロルネさんが助言してたの知ってたんじゃないですか! 優しいって!」
さっきは叱られていただの、思いやりがないだの散々だったはずである。リヒトがそれを指摘すると、テオドールは
「嘘に決まっているだろう。あんないい人をつかまえてそんな酷いことを言うべきではない」
と言い放った。
(信じられない……)
この瞬間、リヒトのなかでテオドールのあだ名は「いじわる垂れ目」に決定した。そんな不名誉に浴しているとはつゆ知らず、テオドールはリヒトに文句をつけられる前にするつもりだった話に戻した。
「覚えておいてほしいのは、天秤にものを載せ合う間柄であっても、ともに生み出したものは共有の宝だということだ」
「え?」
「今日話し合ったこと、魔力に吸いつくと発見した喜び、秘密のデータ、それらすべては、宝だろう。天秤を動かして、ともに宝を生み出せるような者を大切にするのだ」
「……わかりました」
テオドールは学校の東側を回るようにしてクプレッスス寮まで送ってくれた。リヒトは絨毯から降りたとき、ふと思い出して話しかけた。
「そういえば、テオドールさんは卒業後家に戻られるって聞いたんですけど、シルジュブレッタ先生みたいにならないんですか」
「シルジュブレッタ先生は魔術学校に籍を置くことで王国の政治における発言権を手放されているんだ。家督もほかの親族に譲っている」
「え!」
「残念ながら廃嫡というのは、貴族のなかではあまりめずらしいことではない」
「そんな……」
「シルジュブレッタ先生の場合は選択肢があったなかで望んでそうなられたのだから気の毒という話ではないが、貴族に生まれながら〈恩恵〉に恵まれなかった者は使用人などに落とされることが多い」
話を聞きながらリヒトは顔が引きつるのを感じた。貴族に生まれるのはもしかしたら、平民に生まれるより厳しいのかもしれない。
「私の場合は私以外に家を継ぐに相応しいものがいない。下に弟妹もいるが、まだどうなるかわからないからな。下りるわけにはいかないのだ。そうしたいわけでもないが」
「テオドールさんの家名ってなんて仰るんですか」
「……当ててみろ」
テオドールはからかうように、にやりと笑った。このときリヒトは初めてテオドールの素の顔を見たように思った。
「ほかの者に聞いてずるをするなよ。ではまた、次の集まりで」
リヒトが声をかける間もなく絨毯は滑るように行ってしまった。
貴族の家名に詳しいわけもないので当てようもないが、教えてもらえないとなると、とても気になるのだった。
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