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101.テオドール(3/4)

「兄弟仲がかなり良いそうだな」

「はい」

「お兄さんが君を溺愛するのがわかる気がするよ」

「え?」

「育ちが良すぎる」

 テオドールはおよそ貴族が平民に言うはずのない言葉を口にした。


「シルジュブレッタ先生が今日君をこの絨毯に乗せたがった理由がよくわかった。君はあまりに牧歌的だ。さっきから、私に対し、立て続けに失言している」

「えっと……」

「失礼な態度を取ったという意味じゃないぞ。まあ多少取っているが、年齢を鑑みればましなほうだ」テオドールはリヒトの動揺を汲み取ってつけ足した。「そうではなくて、弱みはここですとか、隠していることがありますなどとわざわざ言うなと言っているのだ。それは相手が貴族であっても、平民であってもだ」

「……」

 リヒトとしてはテオドールの言うようなことをわざわざ宣言したつもりではなかった。胸のざわめきの原因がどうにかなったはずのものだったのかと、研究がどうあるべきだったかの批評が聞きたかっただけだ。


(いや違う。宣言したんだ。でもそこに、テオドールさんが触れるとは思ってなかった)


 端的に言えば、舐めていたのである。

 困惑がそのまま顔に出、テオドールは目を眇めた。



「じゃあ聞くが、仮に私が『四年生にいまからでも無理矢理命を賭けさせて研究を共有すべきだ』と言ったら、どうするんだ」

「今回のことはもう取り返しがつきません。シルジュブレッタ先生やマロルネさん、それに五年生の皆さんに自発的に命を賭けさせておいて、そんな日和見なことはできません」リヒトは自分が思っていたよりも強い口調になった。そしてそのことに少しうろたえた。「でも今後を考えるとどうしても意見が聞きたいんです」


「なぜ私に言う。ヴァスコやスピカのほうが話しやすかったのではないのか。同じ平民だろう。というか、こういうことはシルジュブレッタ先生かマロルネさんに聞くべきではないのか。私は参加者のなかでは君から一番遠いところにいるはずだ」


「シルジュブレッタ先生やマロルネさんにはいつでも聞けます。でも、聞けるからといって聞くことはないと思います。お二人はそもそも僕に気を遣ってくれて指輪の誓言を言い出したんです。僕は秘密を守ってもらえるならと安心してそれに乗った。必要がなかったと言ったら、僕が必要がないのに命を質に取ってしまったと、気にすると考えるのがお二人だと思うんです。それに藍星鉱を見せたことで驚くほど僕に感謝してくれたウルハイ族の血を引いたお二人も、なんの忖度もない意見をくれるかはわかりませんでした。あなたなら……物事を俯瞰しているようで、命を懸けながら皮の下が枝耳兎の肉でもいいと言ったあなたなら、どう考えるんだろうと思って。僕はどうすべきだったのか」

「端的に答えるならば指輪の誓言は絶対に必要だった」


 リヒトは思わず身を乗り出した。まるでそうすれば、テオドールの瞳に問いへの答えが書いてあって、それが読めるかのように。




「君は『秘密を守ってもらいたかったからどうしようもなかった』と自分で言ったな。それがすべてだ」

「というと……」

「指輪の誓言をさせなければ、ヴァスコやスピカは間違いなく家族に藍星鉱のことを漏らしていた」

「……!」

「当たり前だ。あの二人の、いやウルハイ族の思い入れを聞いただろう。民族の宝と言っても過言ではないものだ。会ったばかりの一年生になにを気遣うことがある。家族に話せば……ヴァスコは親世代はまだウルハイの地に帰ることを諦めていないと言ったな。親や祖父母世代にその話は瞬く間に広がるだろう。そしてまず自分たちにも藍星鉱を見せてほしいと正式に申し入れてくる。ウルハイの地で採れたものだという証拠はなくとも、泣き落としでもなんでも使って手に入れようとするかもしれない。私ならする。大自然の悲劇に翻弄された民族という立場を最大限に利用し、徒党を組み、それは自分たちのもとにあるべきだ、とな」

「そんな。エーデルリンク先生からもらったものなんですよ!」

「それを取り上げにくるなんておかしいか」


 リヒトは言葉に詰まってしまった。

 内心には、藍星鉱の出どころはエーデルリンクの妻のサニカであり、彼らと同じウルハイ族であるという思いもある。しかし彼らは生まれてからあの日まで藍星鉱を見たことがなく、彼らの祖父母世代も数十年見ていないと考えられた。サニカが門の向こうのウルハイ族とどのような関係性かリヒトにはわからないが、エーデルリンクはルカに表向きは金をもらったということにしておいてくれと言っていた。つまり褒賞として藍星鉱を与えたことが広まると困るのだ。であればサニカのことまで言及するのは迂闊である。「僕からそれを取り上げるんですか? あなたたちと同じウルハイ族の女性からいただいたものなのに」とでも? それを口にすれば、エーデルリンクからの信用を一生失うかもしれない。

 それにテオドールが言っているのは、“いまはリヒトが持っている”という事実なのだ。エーデルリンクに所有権があるときと、平民の一年生の持ち物になったときでは対応が変わる。

 藍星鉱が褒賞として与えられたことは指輪の誓言をしてもらうと確約があったから明かしたことであり、それがなければ出どころの説明はできなかった。そうなるとウルハイ族からしてみれば、平民の一年生がなぜだか民族の宝と言ってもいい藍星鉱を手にしており、それを惜しみなくハンマーで割ったり、実験に消費しようとしていることになる。リヒトにとっては理不尽でも、ウルハイ族の立場では奪いにいくのが当然なのだ。



「研究者たる者、良心的であってはいけない」

「でも」

「シルジュブレッタ先生やマロルネさんを見ているとその懐の深さに驚かされることがあると思う」

「はい」

「しかしそれは彼らが自分の研究をしっかり守っているという前提があるからだ。新しい知を求める活動を攻めとするならば、情報を秘匿し開示範囲を制限することは守りと言える。君がいま気にかけていたのは攻めだけだ。あとは守りを阻害する罪悪感だな。しかしこの攻めと守りを同時にできねば、いつか研究成果や苦労して手に入れた品をまるまる他人に奪われてしまうぞ」

「……はい」


「それで、シルジュブレッタ先生とマロルネさんが君に誓言を提案した理由が明確になる。君が気にしたように、シルジュブレッタ先生たちが誓言をしたのに、それより目下の者が誓言もしないで情報を得ることなどできない――そういう見えないかせを作り出すためだ」

 これはリヒトにも腹に落ちるものだった。

「一年生が持ち込んだなにかよくわからないものに命を賭ける? ふざけるのも大概にしろ、それで終わりだ。上級生で囲んで魔術具で脅し、見せろと言えばいい。君がどれだけ優秀だろうが五年生に魔術具を駆使されて逃れられるとは思えない。まあ、ヴァスコやスピカは藍星鉱と知らない段階ではそこまではしないだろう。でもやろうと思えば本当にそれで済む話なのだ。君が当時指輪の誓言を知らなかったとはいえ、なにも守りの姿勢を取らなかったことをシルジュブレッタ先生は心配された。君の代わりにシルジュブレッタ先生とマロルネさんが君の持つ〈神界の客もの〉とその研究を守ってくれたのだ」

「はい……」


「あとは君のいだいている罪悪感についてだが、君が四年生に悪いことをしたと考える必要はない。リスクも取らずになにかを享受することなどできなくて当たり前だ。今回藍星鉱を観察する機会を逃したことは四年生自身の覚悟のなさが招いたことだ」

「……」

「君はその場にいなかったから知らないだろう。シルジュブレッタ先生とマロルネさんは藍星鉱の名こそ出さなかったが、研究生全員に対し、立ち会わなければ一生の後悔につながる可能性には言及した。彼らはそのうえで参加をしなかったのだ。君は間違いなく四年生に機会をやった。そして四年生がそれを蹴った。それがすべてだ。機会をやったこと自体が、君が開かれた知の場に四年生を招いたことにほかならない」

「……はい」


「君は情に脆い。自覚はあるか。平民の一年生でおこなっている冬休みの勉強会、最初は数人の友人間でのことだったのに、頼みこまれて小講堂を借りる規模にまでなったそうだな」


(なんでそんなこと知ってるんだ)


「君は自分で思っているよりいい奴で、つけこもうという者がいればそこに存分につけこまれる。人に手酷く裏切られたり騙されたりした経験などないだろう。私に聞くならば実利面での損失にのみ言及し、罪悪感など認めるべきではなかった」


 リヒトがぐうの音も出せずに黙っているので、テオドールは構わず話を進めた。


「一部の人間を排除したことで発展すべきことがしなかったのではということについては、わからないとしか言えない。ただ、それを言うなら排除したのは四年生だけでなく私たち以外のすべての人間ということになる。君が守りたかった秘密が守れたはずがない」

「……」

「誰がどのような情報を持っているか、情報だとも思わずに知っているか、あるいは覚えているか、忘れてしまったか、そんなことは誰にもわからない。だから今回この研究に参加したなかにウルハイ族がたまたま二人もいたこと、王立資料館に出入り自由な貴族が混じっていたことを幸運だと考えることだ。慰めになるかはわからないがな」

「はい……」


 リヒトはすっかりしょんぼりとしてしまっていた。テオドールの言うことはわかるのだが、すぐには心がついていかなかった。


「ここまでは君の質問への答えと、わざわざ披露してくれた君の弱みについて話したが、隠しごとについても言っておくか」


 もうめためたである。

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