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100.テオドール(2/4)

「で? なにが聞きたい」


 プラチナブロンドにペリドットの瞳をふちどる目の端が甘く垂れ、流し目などされれば相手は微笑まれたような錯覚に陥ってしまう。まだなんの話題も頭に浮かんでいなかったリヒトが口ごもっていると、テオドールはリヒトが一番聞きたがる可能性の高い話題を先取りした。

「王立資料館は、平民でも私の使用人ということで一時的にでも雇えば、入口を入ったところまでは同行できる。ただそこで閲覧できるのは目録だけで、実際の資料庫には貴族しか入れない。あそこは結構厳しいんだ」


「それは残念ですけど……」本当に残念である。「聞きたいことは別にあって」

「うん?」


 さて、どうしたものか。

(卒業研究について? だめだ。興味はあるけどいま聞くことじゃない。シルジュブレッタ先生が僕をここに乗せたわけがわかるような問いはなにかないかな)


「シルジュブレッタ先生は……その……厳しいですか? 研究生になると」リヒトはとりあえず本人の名前を出してみた。


「知っての通りのお人だよ。研究への真摯な態度にはまさに舌を巻くばかりだ。加えて後進を育てることにも熱心でいらっしゃる。五年生に対してだから厳しいとか、一年生にだから優しいとかいうことはない。ただ、育てどころを押さえられていたのだなと後から実感することは何度もあったよ」


(五年生と話をさせたいならほかの二人でもよかったはずだ。テオドールさんが貴族だから、二人きりにさせたんだ。なんだろう。マロルネさんにも事前に言わずに、いきなり僕と貴族を二人きりにした狙い……)


「もしかしてさっきのことか?」

「え?」リヒトには“さっきのこと”なるものの心当たりがなかった。

「マロルネさんはシルジュブレッタ先生より強く出られることはない。多少のことは流すなり、無視するなりして構わない」

「どういうことですか」

 マロルネの名前が出たことに戸惑った。


「さっき本棚の裏で、マロルネさんになにか叱られていたのだろう。マロルネさんが厳しいから、シルジュブレッタ先生のことも気になったのだろう? あの人はたしかに優秀でシルジュブレッタ先生の一番弟子だが、ときに直情的で興味の対象があるとそれしか見えなくなってしまうことがある。だから、研究のためについ人への思いやりがぞんざいになってしまうのだ」

「いえ、違います! 叱られてなんていません! マロルネさんはただ……」


 叱られてもいないし、マロルネに思いやりがないと感じたことなど一度もない。リヒトは恩義のあるマロルネを擁護したくてつい否定した。だが――。


「マロルネさんはただ?」


 テオドールは不思議そうに首を傾げた。誠実そうで、後輩を心から気遣うような顔だ。


「ただ……テオドールさんは貴族だから、失礼のないようにって……」

「つまりマロルネさんは、私が魔術学校に身分差を持ち出し、君に圧力をかけると思っていたわけか」


 テオドールは驚き、傷ついた顔をした。リヒトはマロルネの評価が回復しないどころかおかしな誤解を招いてしまったことに慌てた。

 

「違います!」

(いや、違わないのか?)

 マロルネは要するに、テオドールは卒業後王国の貴族として生きていくから警戒しろと忠告したのだ。しかし無意味に平民を虐げる人間でないという言葉もあった。やはりテオドールをそこまで悪しざまに言ったわけではない。


「私も卒業まであと半年ほどとはいえ、秘密の研究をともにする仲であまり誤解はしてほしくない。だから自己弁護をするのだが……本当に身分差を持ち出すような人間であれば、平民である君の秘密ごとのために指輪の誓言をするだろうか」

「そ、それは……そうです」

「私はこの学校内においては、むしろ貴族のほうが気を遣っているように思う。私がウルハイ族の同輩二人と打ち解けるまでに、どれほど心を砕いたか君は知るまい」

「……すみません」


 たしかにほかの二人の振る舞いはテオドールを信頼し、それゆえに越えられない身分の壁を面白く思っておらず、それすらも素直に態度に出せるのだということが、出会って間もないリヒトにもわかるものだった。リヒトは自身が初めから偏見を持っていたことを認めた。そしていまのやりとりで、少し前から感じていた胸のざわめきがまた顔を覗かせはじめた。もうその正体は、ほぼ確信していた。


「あの……指輪の誓言、よく受け入れてくれましたよね」

 リヒトは研究生のなかに貴族がいること自体知らなかったわけであるが、言われてみれば貴族が平民の希望で誓言をするなど信じがたいことであった。


「君も聞いていたはずだが、それをしなければ見られないものがあるなら、惜しんだりしない。むしろ秘密さえ守ればただで見られるということだ」テオドールはすました顔で言った。


「僕、……」リヒトは口に出そうか迷った。テオドールを見ると、澄んだ目に作農地帯の地平を映し、続く言葉を待っていた。「僕としては秘密を守ってもらいたかったし、どうしようもなかったことでもあるんですけど」

「……」

「ヴァスコさんが四年生の人に言及したときからなんか落ち着かない感じがして」


 テオドールの目線がこちらに移る。


「テオドールさんは貴族なのに平民と分け隔てなく接してくれるし、そのときもざわざわしてて、ずっとなんでだろうって思ってたんですけど、さっきやっとその理由に思い至って……」

「ああ」


 リヒトははじめこそなにか質問をひねり出すのに苦心していたが、いまや心からこの問いに答えてほしかった。数日にわたる心のざわめきが、どうすれば治まるのか、それがあるべきものなのかすら、わからない。それを聞く相手はテオドールこそ最適であるし、聞ける時機もいましかない。

「後悔してる気がするんです。指輪の誓言で縛って、四年生の人たちを参加できなくしたこと……。僕はシルジュブレッタ先生とマロルネさんに本当によくしてもらってるし、なにかを差し出さないから教えてやらないとか、身分がこうだから教えてやらないとか、言われたことなくて。自分で考えるために教えてもらえないってことはあったんですけど」


 シルジュブレッタ研究室において、知はまさに開かれていた。リヒトはその恩恵を初めて研究室を訪ねてから今日こんにちまで享受し続けている。


「それで、五年生の皆さんにいざ参加してもらったら、思ってもいなかった情報とか、アイディアを出してもらって、想像していたよりもっと有意義な場になったのが、その……いままでなかった体験っていうか」

「それで」

「あの……四年生にウルハイ族の方っているんですか」

「一人いる」

「そうですか」

「シルジュブレッタ研究室は特別ウルハイ族の割合が多い。どの年もその傾向がある。ほかの研究室は四・五年生合わせて一人いるかいないかといったところなのだが」

「……」


「君はあれか。藍星鉱は君が考えていた以上にウルハイ族にとって重要なものだった。しかしそれを知ったのは指輪の誓言を求めたあとだった。四年生は一生に一度あるかないかの、藍星鉱を観察する機会を逃してしまった。それに対し可哀想なことをしてしまったと思っている。そういうことか」

「………………はい」

「なおかつ五年生・ウルハイ族という新しい風を呼び込んだことにより研究はより有意義なものとなった。であれば四年生を呼んでいたら更なる予想外の意見や情報を得られたのではないか。四年生を呼ばなかったことで、発展すべきところをしなかったのではないかと危惧している、と」

「……」

「罪悪感と実利面の損失の二方向から、四年生を排除したことを悔やんでいるわけだな」


 リヒトは剣の切っ先を突きつけられるようにあまりに直截に言われたため、返す言葉が出てこなかった。テオドールは長めの溜息をついた。気のせいか、先ほどまでとは別の人のように見えた。

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