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099.テオドール(1/4)

 テオドールは窓の外に絨毯を浮かせたままだったため、そのまま窓から帰るつもりだった。


「テオドール、実はリヒトも絨毯を操縦するようになったんだが」

 シルジュブレッタが窓に向かって歩いていくテオドールの背中に声をかけた。

「ああ、見かけたことがありますよ」

「ちょっと君の操縦を見せてやってはくれないかな」

 リヒトはシルジュブレッタの急な発言に驚いていた。自分はもう絨毯の操縦はできる。前回の集まりでも話題にのぼったことなので、ここにいるみなはとうに知っていることであった。

「……シルジュブレッタ先生からのご要望であれば」

「まだ一年生なんだ。よろしく頼むよ」


 マロルネはいつのまにかリヒトの後ろに回り込んでおり、リヒトの袖を引いた。

「リヒトくん」

「なんです?」

 横積みの本を数冊、片づけろとばかり手渡してきたので、受け取りながらシルジュブレッタたちに背を向けた。かなりの小声に、話したいことがあるのだと判断したのは間違っていなかったようだ。マロルネは斜めになっている本棚の後ろにリヒトを連れ込むと、片づけるはずの本をリヒトから取り返し、ぞんざいに隙間に突っ込んだ。こんなことをしているから、この部屋はいつまでたっても魔窟なのである。


「わかってると思うけど、テオドールは貴族なの」

「はい」

「貴族の生徒は貴族出身の教授の研究室に入るものなのよ」

「はい……」

「貴族出身の教授の研究室に平民の生徒が希望を出しても、通らないのが通例なの。私たちはここでは身分の差がないと言っても、そんなの建前だから。同じ場で研究するなんてありえないのよ」

 たしかに完全に活動領域を分けているとリヒトも思っていたので、最初にテオドールが貴族だと気づいたときにはかなり驚いた。マロルネは続けた。

「でもシルジュブレッタ先生は身分を問わず、この研究室にふさわしいとお思いになれば誰でも受け入れていらっしゃるから、平民の学生も研究室に入る。そうすると、貴族のほうが平民と肩を並べるのを受け入れなくてはいけないの」

「そうなりますよね」

「でもそんなことを受け入れる貴族の生徒はほとんどいないの」

「つまり……テオドールさんも身分の差を気にしないと?」


 マロルネはそこで少し黙った。


「無意味に平民を虐げる人間でないことは確かだわ。でも気をつけて。彼は卒業後は家に戻ることになっていて、魔術師団に入るわけじゃないの。王国の貴族として生きていくのよ」

「というと……」

「知られたくない情報は渡さないように注意して。とにかく口が上手いの。会話に乗せられてると、言うつもりがなかったことまで言わされることがあるのよ。あの甘いマスクを見たらわかるでしょう? 五年生の女の子は貴族平民問わず、半分はテオドールを憎からず思ってるわ」


(ということは二分の一の確率でスピカさんも……)

 リヒトはあまりにどうでもいい発想を振り払うように首を振った。


「現にあなたもう、テオドールのことちょっと憧れてるでしょう」

 マロルネの言葉に思わずぎくりとした。そうだったかもしれない。高貴な身分であるにもかかわらず、気さくで冗談も通じ、理知的。同じ男の目から見ても、魅力的な人物であることには違いなかった。


「あれ、リヒトは?」

 本棚の向こうでシルジュブレッタの声が上がる。マロルネが苦虫を嚙み潰したような顔をした。

「もう、今日二人きりにするなら事前に教えてくださればよかったのに。シルジュブレッタ先生ったら……!」

 それもそうである。こんな本棚と本棚の隙間に押し込められての内緒話では、長々と助言も聞けない。二人は諦めて、さも片づけをしていましたというふうに手を払いながら出ていった。



 シルジュブレッタはリヒトが窓に近づくと、肩をぽんと叩き耳打ちした。

「よく勉強してきなさい」



 テオドールに続き、リヒトはみなに挨拶をして窓から外へ出た。


 テオドールの絨毯はリヒトが貰ったのより大きく、美しい文様が織り込まれたものだった。中ほどには、もたれたらきっと夢見心地になるであろう横長のクッションが置かれている。後方には魔術具がしまってあるのかもしれない美しい装飾の箱とランタンがあり、テオドールはわざわざ絨毯を巻くなどしないのだとわかった。安全装置を拡張させた魔術使い以外には見えないシールドが絨毯上の空間をふんわりと包んでおり、乗りこむときだけふよんと穴があく。入った途端、暖かな空気と花の香りが全身を包んだ。


(香油かな……)


 こんな絨毯に乗せられたら、十代の女の子なんてひとたまりもない。先ほどのマロルネの助言のせいでどうでもいいことが頭をかすめた。

 テオドールはリヒトが遠慮がちに腰を下ろすのを見ると、研究棟群から離れ、かなりゆっくりした速度で南下を始めた。


「楽にしていい。クッションにでももたれていろ」

「あ、ありがとうございます」

 そんなこと言われてもなぁ、と思いつつもまったく従わないのもよくないと思い、少しだけ体の力を抜いた。……駄目である。このクッションは人を駄目にする。リヒトは背中から伝わる極上の感触に溺れないよう必死で抗った。


「操縦と言っても、もう慣れているだろう」

「え? ええっと……」

「学校周りを南から東にぐるりと回って、クプレッスス寮まで送ってやろう。それでよいか」

「あの、せっかくだから少し聞きたいことがあるんですが」


 リヒトはこの時間を少しでも引き延ばせないかと咄嗟に言った。べつにクッションの感触を長く楽しみたいからではない。マロルネにはなにやら釘を刺されたが、年の近い貴族と一対一で話す機会は初めてなのだ。どんな感じなのか見ておきたいという、先輩に抱くには若干不遜な思いがあった。それにリヒトが絨毯を操縦できることは、あの集まりの参加者には周知されていた。にもかかわらず取ってつけたように操縦を見せてもらえとシルジュブレッタは言った。よく勉強してこいと念押しまでして。その狙いがわからないまま寮に帰るわけにはいかなかったのである。


 リヒトが遠くの景色にほんの少し目をやっているあいだに、絨毯は東南方向へと緩やかな軌道を描いていた。そして乗る者にはなんの負荷も与えず、ぐっと高度を上げて停止した。

(うま……)

 気がつけばここは、作農地帯と南の森(その先に飛羊のいる荒れ地がある)のあいだに位置する、最も人気ひとけのない空であった。

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