狩猟林清話 -快楽教徒の淫祠邪教たる遺産-
こうして復讐者となった私の狩場の獲物となったケダモノたちは自らの意思で王都から離れることができない状況にもなり、更には自らの意思で王都から離れたくない状況にも追い込まれていくのだった。
国策のために嘆きの塔に保護されていたはずの大公令嬢たる“聖女”がこの世を去った以上はその前にお目付役の任を解かれて留まる理由もなくなった青い肌の貴人はすでに王都を去っていったのだが、
彼の者からもたらされた最先端の知識や革新的な教えが大本になって生まれ変わった王都の暮らしは諸外国からすれば地上の楽園のように感じられ、
特に、カイラス教徒の奥義とも言える 地上でもっとも進んだ性教育の知識と性行為の技術は群を抜いており、まさか娼館での性接待が国を救う大きな武器になるとは思いもしなかった。
そう、青い肌の貴人が 大公令嬢のお目付役として仕えた この数年で様変わりした王都に築き上げられた遺産となるものが、窮状に追いやられた王国をある意味において救う原動力になったのだ。
私も半信半疑で青い肌の貴人の提案した娼館の改革に手を貸していたわけなのだが、
今や王都の娼館は貧しき者たちに生きる術を教える智慧の殿堂であり、副業として学問所を運営できるほどの豊富な人材の宝庫になっていた。
しかも、国家に忠誠を誓う諜報機関も兼ねており、ありとあらゆる手練手管や色仕掛けの駆け引きで情報を引き出すため、『王都にいる間はどんなに評判が良くても娼館に通ってはならない』と腹心たちに厳命する羽目にもなった。
また、貧民街の問題も上質な顧客が落とす大金を元手に娼館が中心になって整備されることになって、最終的には大人も子供も遊べる公衆浴場と主に糞尿を捨てるごみ焼却施設が設置されることになり、貧民たちをそこで働かせて手に職をつけさせることで一気に治安と経済が改善されることになったのだ。
注目なのは、糞尿や生活ごみを業者が回収して ごみ焼却施設で処理する習慣ができ、公衆浴場で身体の汚れや衣類の洗濯が庶民の間で広く行われるようになったことで、見違えるほどに王都に清潔感がもたらされたことである。
この公衆浴場に使われる水源とごみ焼却施設に使われる焼却炉にこそカイラス教徒の奥義が施されており、それでいて“永遠に尽きぬ水と永遠に消えぬ火”の本元が娼館に秘蔵されているのだ。
そう、カイラスの教えにおいて もっとも救うべき苦しみに満ちた貧しき者である 体を売る者の居城である娼館にこそ、もっとも神聖なものを安置し、体を売る者たちに信仰の祈りを捧げさせているのだ。
その祈りによって“永遠に尽きぬ水と永遠に消えぬ火”がこの地上にもたらされ続けるわけであり、為政者は決して明かすべきではない秘宝の存在を知って弱者救済に励むことを誓わされるわけなのだ。
これはたしかに淫祠邪教の快楽教徒と揶揄されてもしかたがないと思うほどに、あまりにも高度な救いの教えだと如実に実感させられた。普通の人間では淫蕩に溺れるだけなのだから並大抵の精神力では実行しきれないものがある。
そして、庶民派で有名の国王夫婦がこの公共事業の最大の支援者となっており、公衆浴場とごみ焼却施設の設立と運営の成功によって 庶民からの不動の支持を得ていたのは言うまでもない。
当然ながら、庶民の憩いの場として設立された公衆浴場とごみ焼却施設の利権と利用をめぐって王国貴族たちの介入もあったのだが、
それを制したのが“永遠に尽きぬ水と永遠に消えぬ火”の本元である娼館であり、公衆浴場とごみ焼却施設の規模ではないにしろ、豊かな温水施設で身体の汚れや日頃の疲れを落とす目的で娼館に清潔感を大事にするようになった貴族が通うようになったのだ。
こうなっていくと、娼館に身売りされた不幸な人間も数を減らしていき、段々と妻に隠れて女を買うための施設から親しい友人たちと一緒に入浴する保養施設へと性質を変えていくことになり、
娼館としての機能は貸し切りの部屋で夜の営みの秘訣を伝授する講座や子作り専用の会場や密会の現場として残されることになり、少なくとも不潔や不浄を想起させるような低俗な装いは完全に消え失せている。
さながら、子は天からの授かりものであり、その神聖なるものが授かる原点に立ち返ったかのような神妙な気分で肌を重ね合う空間が王都の一角に築き上げられていた。
その結果、青い肌の貴人が改革した娼館が市民権を得ることで一気に王国全体の出生率が跳ね上がったのだから馬鹿にできないものがあった。
その一方で、身寄りのない子や身売りされた者たちを集めて手に職をつけさせる慈善事業は弱者救済の柱として依然として変わりなく継続中であり、
これも国王夫婦が後ろ盾になって率先して支援して 今は亡き“聖女”と称えられた娘も協力していたのだから、時折 兄夫婦は王国貴族にとっては最悪でも 庶民にとっては最高の王様に思えてきた。
いくら上級貴族との難しいやりとりは大公である私に全て任せて実質的に傀儡になっている割にはこういった庶民のためになることには嗅覚が妙に鋭く、
私が言う前にすでに娼館への支援を取り付けていたのだから、本当に“そこそこ優秀なだけ”という私からの評価は上がりもしなければ下がりもしないという具合の為政者の手腕を不思議なほど発揮し続けていた。
上級貴族の対応が苦手という国王にあるまじき才覚の無さではあるが、学生時代から血道を上げていた下級貴族や庶民への対応が妙に上手い庶民派という今までにない特色が所々で発揮されているわけで、
そういう意味では、私と兄が生まれる順番が違っていたのなら全てが丸く収まっていたと思うだけに、本当に兄には愛憎入り交じった感情が渦巻いていて『復讐なんてするべきではないかもしれない』と何度か思い返すようにもなっていた。
いや、国のことを思うなら、本当にくだらない人間に育ってしまった甥が王太子であるという問題が残っているが、このまま兄弟で仲良く国を治めるのもありなんじゃないかと思うようになっていたのだ。
そう、すでに私の許を去っていった青い肌の貴人が諭していたように『復讐するは我にあり』なのかもしれない。
けれども、それじゃあ 私ではなく兄に嫁がされて儚く散っていった彼女が報われないからこそ 既存の階級社会の秩序に復讐を誓ったわけであり、今更 引き返すわけにもいかなかった。
やがて、娼館は数年をかけて湯屋へと発展していくことになり、貴族向けの湯浴みの場として庶民向けの公衆浴場と棲み分けされるようになったのだ。
これが日の没するところの国々では今までになかった大衆娯楽であり、女と交わって得られる蜜の味は知っていても潤沢な温水に浸かって全身の血行や肌艶がよくなっていく極楽体験はまったくなく、
その上で、青い肌の貴人がもたらした地上でもっとも進んだ性教育の知識と性行為の技術で得られる快楽で堕ちないものはいない。
人にはあまり言えないことだが、私も世継ぎとなる双子を得るために妻と子作りをする時にこの湯屋の女たちの指導を受けて異教の神の叡智とも言える最先端の性教育の知識と性行為の技術を学んで実践したところ、
もうお互い若くないのに寝食を忘れる程に燃え上がって気づいた時には足腰が立たなくなるぐらいに、私は精力絶倫の前後不覚の状態となり、妻は何度も何度も昇天して果てることになった。
このあまりにも甘すぎる蜜の味が逆に人間からケダモノへと成り下がる恐怖として刻まれたため、私も妻も気持ちよくなりすぎるのも体に毒なのだと戒めて、以前よりも節制に励むようになったのはここだけの秘密だ。
こうして“聖女”一人を得るために連合国から求婚者や要人たちが我先にと駆けつけたわけなのだが、
日をまたぐ度に会場に集まる男共の顔から湯屋での極楽体験を味わったことで覇気が抜け落ちていくのがはっきりとしていった。
だからこそ、私はカイラスの教えで戒めている楽中之苦というものがどれほど恐ろしいのかを男共が日に日に腑抜けていく様子に何とも言えない表情で見る他なかった。
大公「何かもうダメっぽいな、こいつら……」
大公「本国からの連絡がいつまでも来ないことで これからどう動くべきかも判断できない状況なのに、いつまでも連絡なんて来ない方がいいと本気で思い始めている……」
大公「しかも、重要な情報が次から次へと湯屋で引き抜かれていることにも気づいていないし、『私の娘を娶るために来た』という当初の大義名分すら忘れているだろう、こいつら……」
大公「本当に恐ろしい限りだ。衣食住に風俗という我々の生活の基盤とも言うべき当たり前に思えたものを侮ったら、たちまちのうちに智慧のないケダモノに引きずり落とされるのだからな……」
大公「おかげで交渉は我が国に有利に運んでいるが、会議に張り合いがないのもなんか調子が狂うな……」
大公「だが、茶番はこれで終わりだ。我が娘の葬儀の時が貴様らの最後だ……!」
大公「そして、あなたの終焉の時でもありますよ、我が兄よ」
大公「……ああ、そうだとも。もう引き返すことはできないんだ」
大公「占領国であるかのように連合国の人間が幅を利かせるようになった王都の街並みを見れば、無能な国王に対して国中から怒りの眼差しが向けられていることが伝わってくる」
大公「普通に考えて、ここから形勢を逆転できるわけもないのだからな……」
大公「まあ、私も勝つつもりはないからな……」
大公「だが、最後に笑うのは私だ! 数の利や暴力では決して屈することがない 虐げられし者の怒りと嘆きの声に震え慄くがいい……!」
国王「やあやあ、大公陛下。今日もご機嫌麗しゅう」
大公「!?!!」
大公「こ、これはこれは、国王陛下……、何故にお一人で部屋から出られたのです?」
大公「すでに王都も連合国の占領下で、この王宮でさえもやがては我々のものではなくなる日は遠くないというのに、最後まで残った真の忠臣たる護衛も連れずに何をしていらっしゃるのです?!」
国王「うん? みなが愛してくれた大陸一の私の姪の葬儀が終わるまではここは私の国なんだし、これまで私に誠心誠意で尽くしてくれた一番の功労者に礼を言うために来るのは当然ではないか?」
大公「……何の話です?」
国王「いやな、今や王都は連合国の人間や貴公子が我が物で伸し歩く世界一の保養地になってしまっているだろう? その責任をとろうと思ってな。周りもそう勧めてくるもので」
大公「……逃げるのですか、お一人で!?」
国王「まあ、一人だけ責任をとることで皆の者を置いて玉座を離れるのはむしろ無責任かもしれんが、」
国王「王国の至宝にして世界の秘宝である“聖女”を死なせて神の怒りに触れた不徳を正さねば未来はあるまい?」
大公「兄よ、戯言は結構です! 今更、あなたの首にどれほどの価値があるとお思いで!?」
国王「まあ、もうないだろうな。だから、今までの礼を早く言わねばなと思って」
大公「はあ!?」
国王「――――――あるのだろう、この状況を覆す神算鬼謀が?」
大公「ふざけないでください! 私の大切な娘でもあり いつの間にか王国どころか大陸一が誇る至宝にもなった“聖女”の葬儀の時が王国最後の輝きとなるのです!」
大公「その最後の輝きを迎える前にして、何を戯けたことを!?」
大公「兄よ、まさかとは思いますが、すでに正気を――――――」
国王「ああ、戯けているな」
国王「――――――俺も、お前も、この世界の全てが」
大公「は」
国王「まあ、上手くやりなさい。お前は俺にとって最高の弟だからな。情けない兄の背中を元気よく踏み越えていけ」
大公「なっ」
国王「ほら、子供の頃、木登りした時に俺の肩にお前が乗って攀じ登っていただろう? あれと同じだ」
国王「憶えているだろう、狩猟林のある別荘で兄弟揃ってやんちゃしていたよな」
国王「俺は長男だったから 生まれながらの王として みんなを連れて 前へ前へ進むことが大事だって教えられてきたから、誰よりも身近なお前のことを散々連れ回したよな」
大公「は、はあ? なんでそんな子供の頃の昔の話なんて……」
国王「そう、俺は王様として前に進んで背中を見せ続けることが大事だからってどんどん先に進むことしか考えてこなかった」
国王「だから、将来のお嫁さんになる女の子はみんな置いてけぼりにして、すっ転んで頭にたんこぶを作って大声を出して泣きたいのを堪えて蹲っているのなんかに全然気づかなかった」
大公「あ」
国王「でも、お前はちがった」
国王「俺と並んで走ることもできたけど、ふと立ち止まって振り向いて見て 鬱蒼とした狩猟林のどこかで 誰かが泣きたいのを我慢しているのに気づいて 手を差し伸べることができる人間だったんだ」
国王「だから、彼女はお前に一目惚れしたんだよな」
大公「!!!!」
大公「……何が、言いたい!?」
国王「俺はね、みんなを置いていっちゃう人間だったってことさ」
国王「でも、そんな俺でも“真実の愛”を見つけられた」
大公「……黙れ」
国王「だから、最後ぐらいはしっかりとこの眼に焼き付けようと思ったんだ」
大公「だ、黙れえええええええええええええ!」
国王「おお」
大公「嫌味か!? “真実の愛”だなんて、私を嘲笑っているのか!?」
国王「まあまあ、そんなにかっかなさらずに最後の晴れ舞台の演出をよろしくお願いしますよ? 最後の大一番に光り輝く聖なる灯火のようにね」
大公「ここから出て行けええええええええええええええええええ! 今直ぐに!」
国王「わかったわかった。じゃあ、おやすみ、我が弟よ。また明日」
大公「………………っ!」
大公「………………」
大公「………………」
大公「………………」
大公「………………」
大公「……何が“真実の愛”だ!」
大公「……お前は殺したんだ! お前が殺したんだ、彼女を!」
大公「……だから、今日まで私の手で確実に葬るために生かしておいただけに過ぎないんだからな!」
大公「……そんなに派手に死にたいのなら望み通りにしてやるぞッ!」
大公「……願ったり叶ったりじゃないか。いったい何なんだよ?」
辺境伯令嬢「…………義父様」