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サラダタイム

作者: 矢凪 諒

サラダタイム


 むしゃむしゃ、ぱりぱり、むしゃむしゃ。

 自分で野菜を噛む音が頭蓋を直接響かせる。

 コンビニで買った百円のサラダ。キャベツにニンジン、トウモロコシをぱりぱりむしゃむしゃ。

 そういえば、と甥っ子の顔を思い出す。トウモロコシが好きで、「コーン! コーン!」と元気に叫んでいた。その声、その必死な表情を思い出して、私は思わずにんまりとしてしまう。

 子供の成長とは早いもので、甥っ子ももうすぐ小学生だ。生まれてからの六年間実に色鮮やかで、香しく、美味しいときを過ごしたのだろう。

 彼と一緒に暮らしたのは、彼が生まれて最初の一年と、二歳前後の二ヶ月間。それ以来、正月に顔を見る以外は会っていない。

 甥っ子と過ごした中で思い出深い出来事と言えば、彼が私のアコースティックギターを壊した事だろう。中古で40万のその楽器に彼は体当たりをして、見事ギターは表面板から倒れた。ぱきっと音がして、表面の木にひびが入っていた。

 自室に置いていたとはいえ、小さな怪獣の闊歩する家でギターをむき出しに立てておいたのは私の失策だった。幸いにして、大きな損傷ではなかったので、購入金額の1割ほどの修理費で済んだ。もちろん甥っ子の母親と祖母が半分ずつ払った。

 甥っ子との生活で、楽しいこともうざったいこともあった中でその出来事が印象に残っている理由は単純だ。

 甥っ子が初めて自ら謝った出来事だったからだ。二歳で自分の罪を感じ、謝るなどと想像だにしなかった。私の母や姉も甥っ子のその行動には驚いていた。

「本当にすごいよね」

 私は一旦箸を止め、そうつぶやいた。

「私も素直に謝れれば良かったのかな」

 親友――十年来一緒に音楽をやってきた友人だからこう呼んでも文句は出まい――と喧嘩をした。


「私、音楽を辞めようと思うの」

 カフェで向かい合う席に座った親友は、キャラメルマキアートを一口飲み、そう言った。

「え、なんで?」

 私はとっさにそう訊いた。危うく手を離したコーヒーカップがソーサーにきれいに収まり、一滴もこぼれなかったのは僥倖か。

「私、もうすぐ子供が生まれるのよ」

「だから何で?」

 親友が結婚したのが一年前、その二ヶ月前に結婚の報告を受けたときは、素直に祝福した。それからも時間を見つけては私との音楽活動は続けていた。

 半年前、妊娠した事を報告されたときも、素直に祝いの言葉を告げた。

 しかし、今回はそうはいかない。

「子供ができることは聞いているよ。それと音楽を止めることとの因果関係がわからないの」

「あなた、育児の大変さを知らないの?」

「知っているよ」

 姉が大変そうにしていたのを見ていた。生活のリズムは赤ん坊に会わせることになるし、彼女の場合は実家を頼ることもできないので、一人で頑張るか、せいぜい旦那と協力するくらいだろう。旦那さんも比較的理解のある方だとは言え、仕事がかなり忙しいらしく、頼ることはできない。

「私が言いたいのは、なんで『辞める』なのかよ。『休む』じゃだめなの? あなたにとっての音楽って簡単に辞められるものなの?」

「『休む』じゃ、あなたをずっと待たせる事になっちゃう。私はあなたには自由に音楽を続けて欲しいの」

「そうよ私は当然待つよ。別に待ったっていいでしょう。と言うか、そもそも今の状態だって『音楽をやっている』と言えると思っているの?」

 いや、そんなことを言いたいんじゃない、と思ったときには遅かった。

「なんの目標もなく月に一回会って、一緒に曲を演奏して『今日も弾けなかったね』なんていいながらコーヒーを飲む、それって本当に音楽をやっているって言える? 大体、最近曲が完成しないのは、あなたがちゃんと練習してこないからで……」

 ガチャン。親友は立ち上がっていた。財布から千円札を取り出すと、テーブルの上にそっと置いた。

「ごめん」

 そう言って、私の親友はお店から走り去っていた。

 親友が去った後、一人になった席で、一人私は自分の正しさを主張していた。


 あのとき、己の正しさで己を納得させるよりも先に友人を追いかけて、謝るべきだったのだ。

 時計を見る。時間は夜の十時半。

 よし、このサラダを食べ終わったら、電話をしよう。そして謝ろう。

 そう決めてサラダを、ドレッシングもかけない水の香りと無味な野菜たちをむしゃむしゃと頬張った。ゆっくり、ゆっくりと咀嚼する。

 むしゃむしゃ、ぱりぱり、むしゃむしゃ。

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