03 黒髪の少女(2)
めいと離れてすぐ、1階のエレベーター乗り場から難なく非常階段につながる鉄の扉を見つけた。少し開いているドアを手のひらでゆっくりと押し開けた。古い蝶番がひどく軋んだ。
鉄の扉の内側、非常階段は思ったより暗くなかった。階段のあちこちに設置された窓から太陽の光が差し込んでいるため、懐中電灯がなくてもある程度物を見分けることができた。色分けまでは難しいが、前のデパートの階段と比べると良好だ。
シュンは鉄の扉をいっぱいに開け、すぐそばの壁にはってあるフロア·マップに懐中電灯を照らした。
管理室は…地下2階か。目的地を確認し、地下に降りる階段に懐中電灯を照らす。窓がないせいか地上に比べて暗く、その程度は下りて行くほどひどくなる様子だった。
続いてシュンは何の迷いもなく暗闇に続く階段に足を踏み入れた。そして日差しがすっかり消え去った頃、地下1階の駐車場にたどり着いた。開いた鉄の扉の向こうに懐中電灯を照らすと、広い空間が広がった。
「……」
何の音も、人影もない暗くて静かな空間に、階段では再び足音が響き始める。
そうして到着した地下2階には予想通り地下1階と似た広い駐車場があった。
ちょっと時間かかるかもしれないな…と思いながら、小走りで開いている鉄門を通過した時だった。
『第1管理室』
懐中電灯の光に映ったのは第1管理室の鉄門。思ったより早く…いや、思う暇もなく発見された目的地にしょぼくれて足をゆるめた。近づいて取っ手を握ってみた。
…カチャ。
ドアも開いていた。そのまま回った取っ手を前に押した。相変わらずの古い蝶番の音を聞きながら正面に懐中電灯を照らした。目の前に広がったのはCCTVと繋がっていると見られる数台のモニターと、何か複雑そうなボタンがいっぱい取り付けられている機械で埋め尽くされた狭い空間だった。
そのまま中に入ってあちこちを懐中電灯で照らしながら何かを探し始めたシュンが雷の表示が刻まれた大きな機械の前ですっと足を止めた。
…見つけた。
シュンが見つけたのは『emergency power source』と書かれている赤いボタンだった。15階を超える高層ビルには大抵非常電源設備が備えられているので、きっとあると思っていた。何気なくボタンを押すと、重い機械音を出しながら機械に電源が入った。あまりにもたやすく事が進む事に違和感を抱きながら電池の残量を確認した。
『87%』
何故か電池は充電されていた。早速発電機として使われる燃料電池の状態を確認してみた。水素の残量は『0』と記されていた。一体どこで電力を得ているのか。しばらく首をかしげた末、機械室の内部で太陽光発電設備に使われる大型のインバータを発見し、自然に納得した。
続いてエレベーターのボタンを探して起動させた。緑色に変わったLEDを見て、これでいいのかな‥と疑問を抱きながら管理室を抜け出した。電源が入っている非常口のマークに沿って、再び上の階に上がった。管理室には階段の電灯のスイッチもあったけど、無駄に電力を浪費する必要はなかった。1階に着き、非常階段の扉を開けた時だった。
?
ドアを出てすぐ正面、エレベーターの前で何かを探すように首をきょろきょろさせているめいが見えた。
「めい?」
声をかけた瞬間、めいがびっくりしてこっちを見た。大きく見開いた両目には、慌てた様子があきらかだった。
「‥シュン? あ…、お帰り」
その少しの間を我慢できなくてうろうろしていたのか。
「何か探してるのか?」
「いや、別に」
何か気に障ることがあるように、ぷいと横を向きながら目線を剃らすめい。シュンはそんなめいを見守りながら壁にあるエレベーターのボタンを押した。すると、地下にあったエレベーターが1階に上がってきた。
チン~
いきなり開いたドアに驚いて一歩後ろに下がっためいを背に、シュンはエレベーターの状態を細かく確認した。一度最上階まで行って帰ってきたエレベーターの中に入って外に手を伸ばした。
「めい」
めいが不思議そうに目を合わせてきた。『これ乗るの?』という顔だった。
「‥ほら」
警戒心いっぱいの姿にシュンが差し出している手を小さく振りながら急かした。めいはしばらくためらったが、結局シュンの手を取ってエレベーターの中に入った。ドン、と音を立ててドアが閉まる。
「シュン、ここは‥」
狭い空間に閉じ込められためいが不安そうにあちこち目を配ったが、シュンはものともせず38階のボタンを押した。ガタン、と音を立ててエレベーターが動き始めた瞬間にめいが短く悲鳴を上げた。
「シュン‥! これ動いて‥ あの…シュン?」
慌てながらぴったりと寄り添っためいが『シュン』と言う度に繰り返し服を引っ張ってきた。そんな姿を見ていると思わず笑いが出た。
「上に上がってるんだよ」
「上に?」
その際、エレベーターが3階を通過した。
「キャッ!」
突然現れた眩しい日光に、めいが再度短い悲鳴を上げながら目を閉じた。
「な…何‥」
ゆっくりと目を開けて状況を確認した。エレベーターの広いガラスに建物の外の風景が映っていた。
「……」
一瞬にして言葉を失っためいがシュンの裾を掴んだ手に力を抜いてガラスに近づいた。
紫の瞳に映った廃墟となった都市の壮大な光景。
どんどん高くなってゆく視界にエレベーターが10階を通る頃、ガラスに近づいていためいが再びシュンのもとに戻った。
「これ…落ちない?」
めいがまたシュンの裾をしっかりつかんだ。
「はは、落ちない落ちない」
…たぶん。
上に上がれば上がるほど、裾をつかんだ手にだんだん力が入っていくのを感じた。30階を過ぎて広い都市が一目に入るようになったが、めいは力を入れすぎた手を震えながらもガラスに映った風景から目を離さなかった。
チン~
やがて38階に着き、ドアが開いた。今度は逆にめいが先頭に立った。そんなめいに服のすそを握られていたシュンもエレベーターの外に連れ出された。ドン、と音を立ててドアが閉まる。
「怖かった?」
「‥少し」
帰ってきたのは意外と率直な答えだった。
「心配するな。余程の事がない限り落ちないから。それに万が一落ちたとしても、安全装置があるから大丈夫だ」
その言葉にめいがシュンの服を手放した。解放されたシャツの裾は予想通りしわくちゃになっていた。
「…でも、綺麗だったよ」
初めて経験した高い場所からの景色は、結果的に気に入ったようだった。
「それはよかった。次はひとりでも乗れそうだ」
「そ、それは…」
慌てるめい。あまりにもありきたりすぎる反応に、シュンは笑いを押殺すことができなかった。
「ごめんめい、冗談だよ」
「……」
無表情でこっちを見つめ続けるめい。
「‥あ」シュンの表情が固まった。
普通いたずらをすると、悔しがるとか、無視するとか、仕返すとか、何らかの反応をするはずだが、めいはたまにこうやって何の反応もなしにただ無表情で相手を見つめたりする。
「……」
そして、そうやって相手を見つめるめいは本当に文字通り『無表情』なので何を考えているのか到底分からない。
「……」
何年も一緒に生活していながら、その無表情が何を意味するのか悟れなかった。
「……」
もしかしたらめい特有の怒り表出かもしれないし、またもしかしたらただ冗談を理解できなかっただけかもしれないが、
「……」
‥とにかく怖い。
そうやってしばらく冷や汗を流している相手をじっと見つめていためいがついに目線を落とした。
「それじゃあ…行くか」
「うん」
#
38階は暗くも、明るくもなかった。電灯は切られているが、建物の表面がガラスでできているため、まんべんなく日差しが届いていた。エレベーター乗り場を出て歩いていると、交差したフォークとナイフが描かれている看板が目に入った
近くに行ってみると、入口におしゃれな筆記体で『restaurant』と書かれていた。シュンが足をゆるめると、めいも従って足をゆるめた。入り口に『close』と書かれた表札がかかっていたが、ドアは半分開いていた。
「‥ちょっと入ってみるか?」
めいがうなずいた。シュンがドアを開けてレストランに入った。
入り口は暗かったが、内側に行くほど明るくなった。テーブルはほとんど内側の窓際にあり、都心の夜景を見ながらロマンチックなディナーを楽しめるように配慮された構造になっていた。高そうな気がした。
「あ」
その時、いきなりめいが小走りで先に進んで行った。自分の懐を離れ無邪気にレストランのあちこちを走り回る姿に、シュンも諦めて曖昧に挙げていた手を下ろした。
滑らかな大理石で統一された壁と床、あちこち空いた空間に置いてある古風な鉄製アンティーク造形物。高級感が漂う場所だったが、テーブル数6~7ほどの意外と規模が小さいレストランだった。
テーブルの白いテーブルクロス上にはフォークやナイフなどの食器類がほこりだらけのまま放置されており、同じくキッチンも食器類が調理器具に変っただけで似たような状態だった。特にこれといったものはなかった。
確かに…、こんな高級店に保存食なんてあるはずないか。
「めい」
キッチンから出て話しかけると、見晴らしのいい席に座ってぼんやりとした窓の外を見下ろしていためいが反応してきた。
「行くぞ」
その言葉に立ち上がっためいがワンピースについたほこりを適当にはたきながら近づいてきた。シュンはそんなめいと一緒にレストランを抜け出した。




