03 黒髪の少女(1)
「出発するぞ」
「うん」助手席に座っているめいが答えた。
アクセルを踏むと、核電池を搭載した車両が動き出した。そうやってシュンが運転する車両は狭い駐車場を抜け出し、デパートの広い出入り口側の大通りに向かった。
続く2車線道路を抜けて広い駐車場を連想させる6車線道路に進入する車両。広い6車線道路には数十台の捨てられた車両があったが、それぞれの車両の間には不思議なことに一台の車が通れるほどの空間が空いていた。
道路のいたるところに置かれている車を避けながら、左右にハンドルを回し続けるシュンだったが、そういう激しい動きにも車の中は静かたった。
研究所の外部研究車両『NP50』は何故か防音設計がされていて、車両の内部にいると集中して聞かない限り外の音が聞こえない。電気車の唯一の騒音といえるモーター音さえひっそりと静かに聞こえてくる。
…なのでNP50に乗っていれば他の車だったら聞こえない、ふだんは気にもしないような小さな音さえうるさく聞こえてくる。
バサッ‥
今隣の席から聞こえてくる音のように。
シュンは運転に集中しながら注意深くちらっと横目を使った。助手席では、分厚い羽毛布団をかぶっためいが椅子を倒して、うつぶせ後ろの空間から何かを一所懸命に探していた。
「何か探してる?」
「う…うん…」
猫のポーズで慌ただしく助手席の後ろを引っ掻き回しながら答えるめいの上半身がそのまま後ろの奥深くに吸い込まれた。
「‥あ」
そして何か見つかったか動きを止めためいが荷物の中に埋もれた上体をやっと持ち上げ、そのタイミングに合わせてシュンが再び横目で助手席を確認した。めいが手に持っているのは正方形の厚い表紙が印象的な古い童話の本。それは研究所で見た品物だった。
「それ…持ってきたのか」
シュンが童話の本を指さして質問すると、めいはほっとしたように本を抱きしめたまま目を閉じた。
「大事な物だから」
「……」
そんな雑談もしばし、車はあっという間に目的地に到着した。ゆっくり歩いても10分もかからない距離だったので、当然車では5分もかからなかった。
めいは静かに窓の外を見つめた。緑色の植物に囲まれた巨大な建物は上の層より広く設計された下の3階~4階を除き、表面がガラスで覆われており、その外見は漢字の『凸』を連想させている。
シュンは車を走らせ、高層ビルの1階の中庭に入った。
ガタン!
デコボコの道で車が大きく揺れた瞬間、助手席でめいが一瞬悲鳴を上げた。もともと車では入れないところだが、そんな細かいことを気にする必要はない。何よりも目立たない所にNP50を駐車するのが優先だから。
そうしてビルの1階、庭の奥に適当に違法駐車を済ませて車の中からめいと一緒に周りを見回した。すでに庭としての機能を失っているといってもいいほど、草と木でいっぱいな空間。窓の外は庭師のいない庭だった。
「降りるか」
同時にドアを開け、車の外に出ようとするめいをシュンが取り押さえた。めいが片腕をつかまれたまま、シュンを見つめながら首をかしげた。
「‥布団と本は置いてさ」
そのようにいっそう軽くなった身で庭に足を踏み入れためいは先ほどのせっかちさはどこに行ったのか、ただ立ってじっと草と木でうっそうとしている庭を眺めているだけだった。その横顔は何かを懐かしんでいるように見えた。
その時、シュンが1つおかしいところを見つけた。それはあまりにもデコボコな地面だった。舗装された道周辺の土地は所々が突き出た地面でいっぱいで、その異質な地面の天辺にはまるで約束でもしたかのように石ころが一つずつ付いていた。まるで誰かが人為的に作っておいたようにだ。
でもその地面の上に足の踏み場もなく生えている草の状態から見て、作られてからかなりの時間が経ったように見えた。
「…めい」
慎重な声に呆然と庭を見回っていためいがシュンを見つめた。シュンはそんなめいに軽く手招きをした。
「行こう」
小走りで近づいてくるめいを背に舗装された道の所々にひびが入ったとこに生えている雑草を避けて先頭に立って歩いた。濃度計の数値は90前後。開放的な場所だからか、植物で溢れている庭の空気中TOP濃度は100を越えずにいた。
「あ、待っ‥」
後ろで聞こえてきた少女の声に濃度計の画面を見つめていたシュンが振り向く。
「ちょ…ちょっと‥」
そこではめいが数歩離れたところで道のあちこちに生えている固い雑草たちと力比べをしていた。雑草とはいってもTOPウイルスに感染された植物だ。大半が1メートル以上伸びており、確かに小さい子供には手に負えないように見えた。
そうやって長く育った雑草の中で右往左往する姿を見て、シュンは一足遅く近付き手を差し出した。長い雑草の間を割り込んできた手に頼って、めいが踏み場を見つけ、やっと雑草の壁を抜けることに成功した。
「‥ありがとう」
「どういたしまして」
そんなふうに庭の雑草から解放されたシュンとめいは、続いて短い階段を登り、ガラスの扉を開けて建物の中に入った。背後のほこりで曇ったガラスの扉から入ってくる日光が建物の内部を薄く照らした。
広いロビー、高い天井、2階に繋がるエスカレーター、そして1·2階にかけて所狭しと並ぶ様々なお店まで。やはり高層ビルには侵入しにくいのだろうか。今まで見てきたほとんどの建物の中にはある程度植物が浸透していたが、見たところ広い空間の中に植物はない様子だった。
そうやって建物の内部を詳しく観察していたら、めいがいきなり後ろからシャツを引っ張ってきた。見慣れない光景に怖がってるのだろうか。シュンはそんなめいの手を取って、ロビー端のベンチに向かった。そして適当にほこりを払い落としたベンチにめいを座らせた。
「ちょっとここに座ってろ」
その言葉にめいが上目使いをして視線を合わせてきた。その紫色の瞳は、疑問を抱いていた。
「どこか行くの?」
「すこしビルの電源が生きているか見てくる」
質問に答えると、めいは何も言わずに頭を下げた。シュンはそのまま片膝をついてめいに目の高さを合わせた。
「‥すぐ帰ってくるから」
「……」
すると、めいはようやく納得したようにうなずいてくれた。




