01 眠れない夜
食水は思っていたより簡単に見つけることが出来たが缶詰や乾燥食品みたいな保存食はとっくの昔に無くなったみたいでどこに行っても見つけることが出来なかった。故に、数時間の間で手に入れたのは近辺のコンビニで発見したいくつの水のペットボトルが全部だった。
デパートの二階、窓から入ってくるかすかな光の柱に頼りながらキャンピングコーナーで発見したバーナーの取っ手を回した。空気中にガスが漏れ出る音がしてスパークと一緒に火が入った。
幸にバーナーは作動するみたいだ。
火力を上げるとバーナーの上に咲いた火花が周辺を薄いオレンジ色に染めた。火の調子を見ると他のバーナーも正常に作動しそうだった。適当に火力を減らして上に水が入ったコッヘルを載せた。
暫くしてコッヘルから水が沸く音が聞こえ始めた頃、ふと回りを見回した時はもうつい先まで微弱に視野を照らしてくれた光の柱達が完全に消えていた。
オレンジ色の明かりに頼りコッヘルの水を二つにコップに取り分ける。錆つきにくいステンレスのコップ。同じく二階で調達した物だ。
お湯でコップが熱くなり目が闇に熟れてきた頃、湯気が立ち上がる二つのコップを両手で持ち厚い羽毛布団がある所まで歩いて行った。バーナーから3メートルほど離れた所にある厚い羽毛布団からは相変わらず足二つが突き出ていた。
「めい」羽毛布団に告げたた一言。
声を聞いたか布団が小さくばさつきながら反応してきた。
「水だ。まだ熱い」
すると半分布団から出ためいが『うん』と返事しながらコップを貰った。
布団を包んだまま両手で掴んだコップに息を吹き込みながらゆっくりとお湯を冷ますめい。少し動くだけで汗が出るこの時期に厚い布団を一日中身に纏って汗ひとつかかない人はきっと世界中探しても何人いないはずだ。
「もう布団から出たらどうだ?」
「まだ寒い」
‥めいが寒がりやなのは研究所の頃から良く知っていたけどまさかこれ程とは。
今朝デパートに付いた時、三層で偶然羽毛布団を発見しためいはそのまま体を隠すに丁度いい皮を見つけたヤドカリのようにその中に入ったきり出なくなっていた。
そのおかげで余裕を持って周辺一帯に何があるのか大抵探索することが出来たけど、さすがにこれくらいになると…
「心配しないで」
暗闇の中でどうやって気付いたかめいはまるで考えを読んだかとように話してきた。
「‥特に痛い所はないから」
そうやって話しながらも忘れずコップの中に息を吹き込んでいためいが遂にお湯を口にした。厚い羽毛布団の中でお湯を飲む姿をじっと見つめているとこっちまで暑くなるような気がした。
「めい」
「ん?」
今まで一日のほとんどを暖かい温室で過ごしてきためいが寒さに敏感なのは十分理解できる所だが、それにしても調子が変だ。
「ちょっと手を見せて」
「……」めいは水が半分残っているコップをじっと見つめたあげく物静かに右手を伸ばしてきた。
細く弱々しい腕の脈を手で測ってみる。
…やはり。
かすかだけど確にめいの脈は弱くなっていた。
他の手でめいの額を触ってみる。不意に顔に向かった手にもめいは慌てる事なくおとなしく目をつぶった。若干冷たかったけど額に当てている手の平の温もりによって冷えた肌はたちまち暖かくなった。
一般的に考えておでこが少し冷たいという理由で体に異常があると思うのは変だが、手が触れた時初めて感じた温度は暑い日に一日中厚い布団の中に入っていた人の体温ではなかった。
「今日はもう寝た方がいい」
体を起こしコップを片付けてから弱いバーナーの明かりを頼りに夏用寝袋を床に敷いた。軽くたたくように寝袋のほこりを払った後席に着いてめいを呼んだ。
布団が床に引きずかれる音に続き割れたガラスの窓から入ってくる暗い月光に布団を巻いたまま手探りをしている少女に姿が照らされた。虚空を漕ぐ手に手を伸ばした。
手が捕まれた瞬間そのまま身を投げ出すめいを柔らかく抱きしめた。一日中纏っていた布団では人の温もりが感じられなかった。普通の人ならいつ死亡しても可笑しくない急激な体温低下だけど…
めいは普通じゃない。
時間が経つとめいの肌からかすかに温もりが感じられて布団の中で自分をギュッと抱きしめている体温が少しずつ上がり始めた。
「めい」
『ん?』とめいが反応してきた。
「寒くないか」
布団の中で首を横に振るめい。ちょっと擽ったい。
布団に隠され顔は見えなかってけど何となくほほ笑んでいるような気がした。研究所でもたまに保護監視の次元で一緒に睡眠を取る度にめいは何がそんなに楽しいのか眠るまで謎の笑みを浮かべたりした。
「‥お休み」
「うん」
めいの笑いが混じった声を最後に続く沈黙の中でシュンは穏やかに目を閉じた。
めいが特別な体を持っているのは事実だが、と言って急激な体温低下を無理なく耐えられるという事ではない。なぜなら機能的にめいの体は普通の人とあまり変わらないからだ。
‥ただ色んな実験だ投与された各種の薬品によって変質された体が普通の人ならあり得ない異常症状を起こすだけだ。
ゆっくり瞼を開けると小さく上下に動いている布団の表面が暗い視野に入った。
だからめいの体が体温を調整できなくなった場合はこうして外部から体温調節を手伝う必要がある。
小さな動きと共に囁くような息音が聞こえてきた。抱きしめる腕の力が抜けた事でめいが寝入ったのをうっすら分かることか出来た。
心配しないで…か。
実験のために痛覚の一部を遮断したとは言え体温減少による異常を感じなかったはずはない。体の中の細胞がちょっとずつ活動を中止し筋肉が段段固まって普通に動くことさえ儘ならなかったはずだ。
しかし、にも拘らずめいはどうってことないように心配するなって言った。研究所を出た一週間の間、たった一言の愚痴も口にしなかった。今まで体温異常が発生する度に専用の施設でお湯に入ったり部屋の温度を高めるような処置を当たり前のように受けてきたのにだ。
毎日規則的な生活をしてきた温室の中の少女がいきなり始めた温室外での不規則的な生活。めいにとっては多分想像以上にしんどい一週間だったはずだ。
「ふう‥」小さくため息をついた。懐で物静かに眠りに落ちた小さい少女の強さに頭を下げずにはいられなかった。
彼女以上に強くならなければいけないという思いに寝そびれる夜だった。




