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五月の約束 - [あや] 編  作者: oohonoo
16/17

08 2号(1)

 遠ざかる後ろ姿が消えてからどれくらい時間が経ったのだろう。まだ日が昇っているのを見るとそんなに長くは経っていないだろうが、すぐ戻るという言葉を残してぬいぐるみを取りに行ったシュンは『すぐ』戻ることはなかった。


 元々約束を守らないシュンだから遅れることに関してはあまり感応しないが、問題はその後だった。暗い沈黙の中でうずくまっているめいがそっと頭を上げて正面を見つめた。電源を入れて床に立てて置いた懐中電灯越しに同じようにしゃがんでいるあやが見えた。


 あやは本当に微動だにしなかった。視線は懐中電灯に固定され、目も瞬かなかった。


 大丈夫かな‥


 そう思った際、ついにあやがまばたきをした。めいは反射的に頭を下げた。同じく懐中電灯に視線を固定した。その白光の柱だけが唯一の刺激源だった。


 つい先、38階であやと一緒にエレベーターに乗ったときは気がつかなかった。まさか1階でこうやって2人きりになるなんて。静かなのは嫌いではないけと、二人きりだとまだちょっとぎこちない。だから早く帰ってきてほしい。


 そっと頭を上げると、膝を抱えているあやが見えた。視線は相変わらずだった。ずっと同じところを見つめるその瞳は見れば見るほど吸い込まれそうだった。だから吸い込まれる前にまた頭を下げた。


 そうして時間が経ち、静けさに順応するかのようにほんのりと眠気がさした時、ぱっと頭を上げた。あっという間に目が覚めた。


 「2号‥」


 ささやいた独り言。その瞬間、めいの頭に浮かんだのは『布団2号』だった。それはシュンが止めたため車の中に置きっぱなしにするしかなかった布団の名前だった。


 『デパート』と言う建物で初めて会った時から『2号』と名づけた分厚い布団は研究所で使っていた1号に比べて少し重い感があるけど、その分ふんわりとしていて暖かい。ここ数日、シュンと同じ寝袋を使ったせいで2号の暖かさを忘れていたようだ。


 めいは急いで身を起こした。だけど2号を取りに行くためにロビーの方に身を向けた瞬間、ふと動きを止めた。なぜならそんな自分の突然の行動にも微動だにしないあやがそこにいたからだ。


 『あやを頼むよ』


 それはシュンが残した一言。


 ここにあやを置き去りにすると、約束を破ることになってしまう。立ったまましばらく考え込んだ後、力を抜いてしゃがんだ。どんよりとした目でじっと懐中電灯を見つめているあや。その変わらぬ姿を見てめいはうつむき、腕で覆った膝に額を当てた。


 布団を取りに行きたいが、だからといってシュンとの約束を破ることはできない。たとえシュンが約束を守らない嘘つきだとしてもだ。


 約束を守りつつ、2号を持ってくる方法が全くないわけではないけど…


 「あや‥」


 ささやいたのは、耳元で話さない以上聞きとれないほど小さい、ほとんど独り言と変わらない声だった。めいは用心深く顔をあげて、ちらっとあやを見た。変化はなかった。当然だった。名前を聞く以前に声も聞こえなかったはずだから。


 めいはたちまち勇気を出して体を起こした。そして、とぼとぼあやの前まで歩いて行った。身を覆った影にも反応をしないあやをしばらく緊張した顔で見下ろした末、決心したように口を開けた。


 「あ、あや‥!」


 それはめいがあやに初めて声をかけた瞬間だった。その一言を言うために努力した約3日間の苦労がめいの頭の中を走馬灯のように通り過ぎた。やがてゆっくりと顔を上げたあやが何も言わずにめいを見上げた。


 「あの!」


 声を出した瞬間、めいの瞳がかすかに揺れた。めいの瞳がかすかに揺れた。実際、それほど大きな声ではなかったが、今まであまりにも静かだったので言った本人も驚くほど大きく感じられた。めいは静かに声を出した。


 「ちょっと一緒に‥」


 震える声だったが、それさえも大きな進歩と言える。


 「その…」

 「……」


 しかし、すぐ言えなくなった。黙々と自分を見つめる揺れることのない瞳に少しずつ冷や汗が出た。


 ‥こういう時、シュンならどうするのだろう。


 今まであやと会話していたのはシュンだけだったのでそう思わざるを得なかった。ずっと観察してきた二人の姿を一瞬にして思い浮かべためいはためらった末、手を差し出した。


 震える手のひらに固定されたあやの視線。


 緊張感漂う静けさの中、あやが手を伸ばした。そして意図が伝わったのか、そのまま手を取り、体を起こした。細くて柔らかい手。大きくて硬い誰かの手とは大違いだった。めいはあいている手で床の懐中電灯を取った。


 「‥ついて来て」

 「……」


 そうして二人は手を取り合ったまま足を運んだ。1階のエレベーター乗り場を出てロビーに続く階段を降りた。緊張したせいで手のひらから気持ち悪い汗が出たが、だからといってめいが手を離すことはなかった。


 それに対してあやは落ち着いていた。どこへ向かっているのかすら分からないのに不安な気配が全くなかった。階段を降りてロビーに立ち入った時は自ずとめいに歩幅を合わせた。そんなあやの自発的な行動に、めいは取り合った手の向うから浅い達成感みたいなものを感じた。


 自分が気を使うほど相手は自分に気を使ってないということを自覚したからか。しばらくすると、めいもかなりの緊張を振り払うことができた。そうやって二人でロビーを横切り、庭に続く眩しい入口にたどり着いた時だった。


 めいがまゆをひそめてガラス戸の取っ手に手をのばしたとたん、急にあやが手を振りはなしてからそのまま勢いよくドアを開けて外に飛び出した。

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