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歴史とDNA

北方ルートと悪魔の証明

作者: とびうお君

 最近新たなシベリアルートの復活がある。新しいと言うのはこれまでのシベリア=北方ルートは単なる無知が招いたことが大きい。北方ルートの過去の根拠はバイカル湖の存在にある。この住人がDNA分析によりどうやら西方地域に近い遺伝子を持つ集団だと分かったからになる。もう1つは人骨の分析で、歯の形状からモンゴロイドの可能性が示唆された。


 でもこれは大きな間違いで、今の知識ならこの判断が何故ミスったのか?良く分かる。歯の形状はあまり寒冷地のモンゴロイドの基準としては役に立たないと分かったからになる。まず大きさについては南方のパプアニューギニア集団も大きい。おそらく重要なのはシャベル型の形状だと思うがこれを判別できるほど明確な形状ではなかったと聞く。


 どちらにしろこれらの特徴はアメリカ先住民にも共通していて、推測になってしまうが、東方集団と西方集団の混血がアメリカ先住民で、西方集団にも歯に特徴的な部分があった可能性がある。とにかく歯については東方北方集団である決定的な証拠にならない。


 他にもロシア全体で東方系のDNAが見つかったことはほぼ無い。ただ一部あることはある。これについては、私は例外的なものだと見ている。欧州で日本に近いC1A2のハプロが見つかるのだが、この集団おそらくアジア系統だったと思われる。東方集団が北方ルートを通ったと言うよりは、後の西方集団の一部が初期に東方集団だったと言うだけで、むしろ西方集団の西方へ移住した北方ルートだと見て良い。


 北方ルートの遺伝子の流入はなかったではない、合ったとしても全体に影響を与えるような集団ではなかったと見ている。しかもたまにロシアで見つかる東方集団は、シベリア東部から西方に向かった集団である可能性も十分にある。例えばアメリカ先住民のルートを考えると、そこから西方に向かう集団があってもおかしくはない。


 だがあくまで南方から北上して西方なので、北方ルートによる東方集団の流入ではない。


 今でもちらほらいる北方ルート支持者は悪魔の証明に近い考えがある。北方ルートを否定することはできない。それがあるから支持してるケースが多い。そこにものすごく根拠として曖昧なものをねじ込んでくる。だが、根本は悪魔の証明だと見ている。


 大きく影響を与えたと見れる証拠を出すのが正当な支持になる。だがそういう人はほぼ居ない。


 じゃ南方ルートが大半だった根拠はあるのか?ならこれは現代のDNAと過去のDNAの補足によるものが大きい。現代のDNAからの南方ルートの推測を否定するものはなくて、逆に古代DNAはそれを支持するものばかりとなる。


 これだけデータがそろってもわざわざめんどくさい北方ルートを考える人が数多い。何故か?そこが悪魔の証明なんだ。ある日北方に大きな影響を与えた人骨のDNAが見つかる可能性は無いと証明できないからになる。


 さて根本は悪魔の証明だと書いたが、実際は一応これ証拠なの?ってものはちらほらある。その1つに石器になる。石刃技法と言われるホモサピエンスが主に使った石器技法がある。これを見ればホモサピエンスの流入が分かるとなる。


 実際西方ではそれが正しいと私も思う。だがこれが東方に来るとどうも怪しくなる。この怪しさに対する詳細な情報をイマイチ知らない人が多い。何故か?基本この手のは西洋での研究が土台になってるからになる。西洋においてはこれは強力な推論のツールになる。だが登用においてはそうではないってのをイマイチ広まってない。


 何故か?と言うと、正しくはないわけじゃないからになる。3つのパターンがある。石刃技法とともに使用者が同一のホモサピエンスの流入があったケース。境界線だけで技術の移動はあったが、担い手は別集団だったケース。3つ目はオリジナル。


 2番目に関して何故こんな面倒な例を挙げるのか?だが、これが考古学ではDNAの研究によってかなりひっくり返されたからだ。これまで同一集団の移動だと思われていたものが、人骨を調査して別集団だったことが数多かったことが分かってきた。またはその混合、新集団と混血して薄くなってしまった元集団などがある。


 巨石文明のイギリスへの移動がそれにあたる。中東からやってきた巨石文明を持った農耕民はイベリア半島において狩猟採集民族と混合して人種的には曖昧な集団になってイギリスに移動している。中国の青銅器の場合はほぼ地元の漢民族に近い集団に置き換わっている。逆に持ってきた西方集団の痕跡を調査した研究を見たことが無い。


 なおかつオリジナルの可能性もある。これも中国で農業や土器など後の時代になってひっくり返された事例が数多い。実際これは過去の技法から発展したオリジナルじゃないないのか?と言う研究者もいることはいる。


 それと言うのも、3つほど大きな変化がある。原人、旧人、新人になる。旧人の技術と新人の技術は微妙に発展としては近い。原人と旧人もそれなりにつながってるが、石器を核となる石から剥離させて作るって意味合いが強くなるのは後者の2つの方が近い。ただある面を見れば原人と旧人の技術の方が近いともいえるが、話がややこしくなるので置いておいて。


 オリジナルだとは言えないが、3つのパターンどれも同等に正しく見える。こんなものを根拠にするならまだ現代人のDNAの分析の方がマシだと言える。


 ただ現代人のDNAの分析の問題は今の位置から推測する問題がある。これはこれでかなり大きな問題がある。これによって生じた勘違いがここ10数年で数々あった。これが古代DNAを組み合わせることでかなり修正できている。


 ただ、いつになったら十分なでーたがそろったと言えるのか?それは分からない。だから悪魔の証明めいていると私は書いてるのだ。今現代、古代現代ともにDNAから東方集団に大きな影響を与えた北方ルート集団は無い。


 ただ奇妙なことに最新の分析で南北の違いが出てきた。これがどうして生じたか?これを合理的に説明できる手段が無いのも確か、そこから北方ルートの復活の部分もある。


 私はこれに関して、ヒマラヤ南麓ルートじゃないか?と見ている。インド海岸ルールでほぼオーストリア先住民のルートは確定している。問題は、どうもアジアの集団はこれもあるのだが、これとは別の集団が北方集団に大きな影響を与えている。この集団ルートと時期が違ったのじゃないか?と私は見てる。


 だがこれも私独自の見解の部分が大きい。大きな問題としてインドで発達したユーラシア集団となるのだが、これは現代のDNAからの推測になる。インドには古い系統のDNAが多く残ってるからになる。そこから東南アジアに移住したとなる。


 ただ東南アジアこそが現郷だったのだという考えも数多い。極端なものになるとホモサピエンスは東南アジア生まれだと言うものさえある。インドと東南アジアは近すぎて、どっちが起源だと明確にするのは古代DNAなしには難しい。


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