表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【新装版】 畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
一章 全にして一なる花咲く園
9/75

第2節 存在しないもの Ⅱ


「――だろうな」



 調べた住民情報の結果に驚くノア――。

 その声に応えたのは、この部屋にいるはずのない……第三者だった。



 弾かれたような勢いで、あわててそちらを振り返る兄妹。



 ドア近くの壁際――そこに、きらびやかなこの部屋には不釣り合いな黒い影が、静かにたたずんでいた。



 まるで、初めからずっといた――と、言わんばかりに。




「少なくとも、私は……この街の住民になった覚えはないからな」



 黒い僧服の男――カインの落ち着き払った言葉に、驚くノアはまるで返事ができなかった。

 大きく見開いた目をまたたかせ、中途半端に口をぱくぱくと動かす。



 そんな兄に対し、ナビアは……。


 初めこそ同じように驚いていたものの、すぐさま、満面の笑顔で声を上げた。



「おじさん!」



 尻尾を振ってじゃれつく無邪気な子犬のように、今にもカインのもとへ一直線に駆け寄りそうなナビア。


 妹の、そのあまりの無警戒さにようやく我に返ったのだろう――。


 ノアは、立ち上がりかけたナビアの手をすばやく掴んでソファに引き戻し、カインを睨み付ける。



「……アンタ、いつの間に――どこから!」


「ドアを開けて正面から入り、少し前からここにいた。

 お前たちが気が付かなかっただけだ」



 答えながら、カインは堂々と部屋の中を横切り、バルコニーに面したガラス戸の前に立った。

 そして……何かを確認するように、そこから外を窺う。


 ノアはと言えば、そうするカイン自身の動きこそ警戒しつつ、反論する。



「しょ、正面からって――!

 そんなことされて、気付かないわけないだろ!」


「その先入観をもっていてくれれば、案外たやすいことだ。しかし――」



 外を見ていたカインは、ようやく二人の方へ向き直り、小さく頭を下げた。



「無断で侵入した非礼は詫びる。すまなかった。

 正直にノックしたところで、招き入れてもらえるとは思えなかったのでな」



 横柄というわけではないものの、しかし同時に愛想に欠ける物言いに、ノアはムッとしないでもなかったが……。


 そんなことよりもまずは確認しておくことがあると、苛立ちを抑えながら口を開く。



「カインって言ったよな。アンタ……俺たちの味方、なのか?」



 ……何の駆け引きもない、愚直なほどまっすぐな問い。


 そうしたのは、まるで大樹のように静かにたたずむカインが、あまりに泰然とし過ぎていたからだった。

 生まれて十五年にも満たない自分では、この大樹を相手には未熟で、どうしたところで駆け引きなどにはなりえないと……そう感じたからだった。



 あっさりとあしらわれるだけなのではないか――。



 そんなノアの予想に反し、カインは言葉を選んでいるらしくわずかの間を置いてから……。


 やはり愛想はないものの、逆にそれだけ重みがある答えを返した。



「……私はそのつもりだ。

 少なくとも、お前たちに危害を加える気は毛頭無い」



「なら……どうしてだ? どうして俺たちの味方をする?」



 一度目を閉じ、何かを思い出すようにまた沈黙を挟んでから、カインは答える。



「そう頼まれたからだ。お前たち二人を護って欲しい――と」



「頼まれた……? 誰から?」



 当然のように質問を重ねるノアに、目を伏せたカインは頭を振った。



「……姿は見ていないが、声からすれば女だ。

 それ以上は……私にも分からない」



 あまりに予想外の答えに、ノアは思わず「はあ?」と間の抜けた声を出してしまう。


 一瞬、緊張感さえ緩みそうになるが……。

 それを踏み止まると、代わりに上ってきた感情は怒りだった。



「ば……バカにするなよ、そんなことあるわけないだろ!

 誰とも知れない人間の頼みを聞いて、俺たちの味方をするなんて……!

 そんな、庭都(ガーデン)全部を敵に回すなんてこと、あるわけないだろ!」


 テーブルを叩いてまくし立てるノア。


 しかし、カインは対照的に、感情の枝葉をそよとも波立たせることなく……。

 もう一度、大きく首を横に振った。



「実のところ、今の私には……記憶らしい記憶が無い。

 ゆえに、理由までは分からないが……心の底から、私はその『頼み』を聞き入れたいと強く感じた。そうしなければならないと信じた。

 だから――行動した。

 容易には信じられないだろうが……ただ、それだけなのだ」



「……おじさん、記憶ないの……?」



 ノアの背後からひょっこりと……悲しそうな顔を出して尋ねるナビアに、カインはうなずく。


 カインのその、不思議と透明感さえ感じる真摯な表情に、そもそも人を疑うことに慣れているわけでもないノアは……いい加減毒気を抜かれたのか、困り顔で息をついた。



「しっかし、そう言われてもなぁ……。

 そんなことを頼む人間が、今、この庭都にいるとは思えないし……」


「あ――もしかして!

 ね、お兄ちゃん、お母さんじゃないかなあ?」


 どこか嬉しそうにそう言うナビアに、しかし兄は――辛辣な反応を見せる。




「……あの女のわけないだろ。バカなこと言うな」




 口調こそ静かながら、そこに込められた強い負の感情を、ナビアは敏感に感じ取ったのだろう。

 ごめんなさい、と謝りながら小さくなる。



「……どうやら、心当たりはないようだな。

 お前たちならあるいは――と思っていたが」


「それよりも、だよ……!」


 ナビアの発言による悪感情の名残をなびかせながら、ノアはカインを見る目をすがめる。


「まだ、アンタ自身のことを何も聞いて――」


 そう問うノアの発言の最中、カインは唐突に肩越しにガラスの向こう、外の方を見やった。

 そして、静かにしろと告げるように、兄妹へ手を向ける。




 その眉間には、いつの間にか深い皺が刻まれていた。








     *     *     *




 ――建物の陰に、そして夜の闇に。

 己の気配を殺して溶け込み、通りを隔てた向かいのホテルを観察するヨシュア。



 つい先刻、碩賢(メイガス)より連絡を受けた兄妹の潜伏場所――それがここだった。



「……ヨシュア隊長」


 そんな彼の下に、彼と同じ赤衣に身を包んだ青年が音もなく駆け寄る。



「付近の警備隊を動員しての包囲が完了しました」


「名目は?」


「危険分子が現れた際に備えての、我々枝裁鋏(シアーズ)との合同訓練と伝えてあります。

 目的は、被疑者の速やかな確保。

 しかし……突入は隊長が単独で行うとのことでしたので、彼ら警備隊には万一に備え、我々の指揮下で壁になってもらっているだけですが」


 ヨシュアは視線を巡らせて、もう一度ホテルとその周囲を確かめる。


 建築様式は同じロココを基調に、しかし背は少し低い建物に挟まれた、その宮殿ともビルともつかない五階建てのホテルの周りには……一定の間隔を空け、行き交う人々にまぎれるようにして、警備隊員がぽつぽつと配置されていた。


 部下は壁という表現を使ったものの、ヨシュアにはそれが適切だとは到底思えない。


 もっとも――。

 兄妹の逃亡の事実そのものが、一般の住民どころか警備隊にも未だ伏せられている上に、当の兄妹に気取られないよう目立つわけにもいかない――となると、これ以上厳重な包囲を敷くわけにもいかないのだが。



(それでも、確保には充分でしょう……部屋にいるのがあの二人だけならば、ですが)



 兄妹がいるという部屋の方向を見上げるヨシュアの脳裏に、黒い宣教師の姿が過ぎる。


 警備隊員程度の実力では、何人が束になろうと、およそ太刀打ちできないだろう――あのカインという男には――。


 何より苦い屈辱の記憶が蘇り、思わず拳を固く握り締めてしまう。



 ――これ以上の失態は重ねない。今度こそ、主ライラを失望させはしない――。




「汚名は、そそがせてもらいますよ……必ず――!」







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 人物それぞれに、深い事情がありそうですね。 その上で次はどうなる?と思わせるハラハラ感もあって、ますます続きが気になります!
[良い点] ナビアのお墨付きが出たようですが、そうでなくても、カインに裏がなさそうに見えるのが何とも不思議です。 ノアもそんな雰囲気を感じているから、余計に苛ついているように思えました。 裏表があるか…
[一言] イイですねこの謎が謎を呼ぶ感じ!! 昔プレステであった、ゼノギアスというゲームを思い出しました! あれも聖書をモチーフにしてましたね。 好きだったなあ、ゼノギアス……(遠い目)。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ