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【新装版】 畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
五章 そして、万花は楽園に還りゆく

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西暦20XX年 某所 ~宵の明星の追憶~


 ――彼女に会うまで僕は、この世に存在はしていたが、生きてはいなかった。



 ただ、この世に在ろうとする身体の欲求と、大人から与えられる命令に従って……。

 そのための、最善の行動を取り続けるだけ。


 他の仲間のように、殺すことへの嫌悪も、死ぬことへの恐怖もなかった。



 なぜなら――僕には、心が無かったから。



 動物でさえ心を持っているのだから、動物に劣り――。

 かといって、完全な機械ほど、徹底した便利な存在でもない。


 人なのに人になりきれないから、結局何者でもない――。

 それが、僕だった。




 だけど、彼女が――オリビアが。




 本人はそんな気は露ほどもなかったのだろうけど、僕に心を与えてくれた。


 何者でもなかった僕に、人としての生命を、吹き込んでくれた。




 葬悉(そうしつ)教会は、その都合のいい教義に、創造主としての神を謳っていたけれど――。

 僕にとっては、それがまさしく彼女だった。



 ――彼女の存在なくして、僕という人間はありえない。



 だから僕は、何よりも、ひたすらに彼女を――。

 その命を、心を。護ろうと努めた。


 それは僕にとって、生き甲斐なんて言葉すら生温い……。

 まさに、生きる意味そのものだった。



 だから――。





「どうして? お兄ちゃん、どうしてパパを死なせたのっ?

 ねえ、どうして……ッ!」





 ……彼女の非難は、僕を打ちのめした。


 彼女の慟哭は……即ち、そのまま僕の慟哭でもあったから。



 だけど僕は、それを甘んじて受けなければならない。

 僕はこうして責められることを承知で、彼女とカインを天秤にかけたのだから。


 彼女にとってカインという存在は、自らの命と同等か、それ以上に大切なことを承知の上で、僕は――彼女を選び取ったのだから。




 僕や、仲間にとっても父のようだった彼を――この手に、かけたのだから。




「ねえ、どうして……っ! どうしてなの……!」



 僕に縋り付き、小さな拳で胸を打ち、泣き濡れる彼女に、僕はかける言葉を持たない。


 思いをすべて打ち明け、赦しを乞うこともできるだろう。

 けれど――それで軽くなるのは、僕の心だけだ。


 そしてむしろその分、彼女は自分のせいだと自らを責め、その心を傷付けるだろう。



 もっとも、聡明な彼女のことだ――僕が何も言わずとも、すでにその理由には思い至っているかも知れない。


 だけどそれならなおさら、僕はそれを口にするわけにはいかなかった。



 言わなければ彼女はこうして、僕に思いの丈をぶつけることができるから。


 理に適うかどうかなんて関係なく――。

 ただ、沸き上がる悲しみの捌け口にできるからだ。



 ……今思えば――。

 初めて彼女と言葉を交わしたとき、僕の口からこぼれ出たのは謝罪だった。


 だけど今回は、あのときとは違う。

 その一言こそ――発することは許されない。



 ――ごめん。ごめんよ……。



 だから僕は、せめて心の中で、そう応えるしかなかった。










 ――その日も、彼女は礼拝堂で、父の棺の前にいた。



 一週間もすると彼女は、感情のまま、僕を面と向かって非難することはしなくなっていた。


 だけどそれは、僕を赦したからというわけじゃない。

 あの日よりは、多少なりと心が落ち着いてきたから……というだけのことだろう。



 現に、一ヶ月が過ぎようという今になっても、彼女は僕に声をかけようとはしない。


 近くにいても、たとえようがないほど何とも悲しく、痛々しい目を向けるだけ。



 碩賢(メイガス)やライラだけでなく、僕までが彼女の不凋花(アマランス)の恩恵を受け、永遠の命を得ていることを、きっと……疎ましく思っているのだろう。


 けれどそれもまた、僕の望んだ道だった。



 肉体が不老不死になろうとも、精神をそれに付き合わせるのは容易ではない。

 だからこそ、心の刺激、感情が大切になる――碩賢はそう言っていた。


 そして、憎しみもまた感情であり……情動の一部を担うに足るものであると。



 だからこそ僕は、彼女の不凋花を受け、不死となった。


 憎まれ、疎まれようとも――それで彼女の助けになるならと。

 父の仇として在り続けることが――彼女の生きる力の一つになるならと。



 ……もっともそうなると、彼女の心の安寧のためにも、これまでのように側に居続けることはできないだろう。

 だけど……距離が遠いなら遠いなりに、彼女を護るため、力を尽くすことはできる。



 それに何より――カインとの約束がある。


 彼女を護り続ける、永遠の重荷を決して一人で背負わせはしない――という、約束が。



 ――その決意すべてを、彼女に語るわけにはいかない。

 だけど、せめて別れは告げておこうと……僕は、背を向ける彼女に近付いた。



 僕の存在に気付いていたのだろう、名を呼ぶと彼女は、さして驚くこともなく振り返った――いつものあの、見ていてつらくなる、悲痛な眼差しで。




「オリビア……今日はお別れを言いに来た。

 僕はもう、君の前に現れることはしない」




 いくら僕を疎ましく思っていようとも、その感情は別にして、さすがに驚いたのだろう。

 オリビアは、大きく目を見開いていた。



「僕がしたこと……言い訳はしない。

 だから、この先も……僕を憎んでくれて構わない」



「……お兄ちゃん」



「――さようなら、オリビア。

 君のこれからが、いつまでも、幸せなものでありますように――」




 挨拶を長引かせては、何より僕の方が未練がましくなりそうだった。

 だから、簡潔にそれだけを告げて、早々に立ち去ろうとした。



「……れないよ……」



 だけど、オリビアの何事かを呟く声が、僕の足を止めた。


 最後に、恨み言でも何でも、思いをぶつけたいというなら――。

 それを受けるのは役目だと思って、僕は振り返る。




 果たして、そこにあったのは……泣き顔だった。




 そんなことはあるはずもないのに――。


 僕にはそれが、彼女と初めて言葉を交わしたときの……あの泣き顔と重なって見えた。




「……なれないよ……!

 幸せになんてなれないよ!

 お兄ちゃんまでいなくなったら、幸せになんてなれるわけないよ……っ!」



「オリ、ビア……?」



「――憎めるわけないよ!

 悲しいし、つらいけど……!

 怒ったり、あたったりもしたけど……!

 でも……でも、お兄ちゃんを憎むなんて……!

 そんなの――できるわけないよぉ……っ!」



 大粒の涙をぼろぼろこぼし、しゃくり上げながら。


 オリビアは、確かに思いをぶつけてきた――僕の予想とは、正反対の思いを。



「お兄ちゃんだって、パパのこと好きだったのに……!

 なのに、わたしのためにパパと戦って……!

 でも気を遣って、そんなこと一言も言わなくて……!

 お兄ちゃんだって悲しいはずなのに、つらいはずなのに……いつまで待っても、そんなこと言ってくれなくて……!

 だからわたし、なんて慰めればいいか、謝ればいいか、分からなくて……っ!」




 ――そうだった。




 僕は……なんて愚かなんだろう。


 オリビアが、人を憎むことなど、できるはずもないのに。

 それを生きる力にするなんてこと、あるはずもないのに。



 本当に、なんて愚かなんだろう。


 あの日の泣き顔と重なるはずだ――。

 僕はあの日と同じく、彼女に責はないのに、態度でそれを勘違いさせて――。


 そう……同じ過ちを、繰り返していたのだから。



 僕はオリビアに一歩近付くと、そっと小さな頭に手を置いた。



「……ありがとう」



 そう言うのがやっとだった。

 彼女の慈愛を前に、それ以上の言葉が思い浮かばなかった。


 だけどそれだけで、オリビアは僕の思いを察してくれたのだろう。



 俯き加減に近寄り……。

 僕の僧服の胸元を、両手でぎゅっと握り締める。



「じゃあ、約束して……!

 ずっと一緒にいてくれるって。側にいるって……!

 わたしを、一人にしないって……!

 もう……もう、これ以上、大切な人が居なくなるのは嫌だから……っ!」



 涙ながらの訴え。


 それに対する、僕の答えは決まっている。




「分かった、約束する。


 ――いや……誓うよ。


 何があろうとずっと僕は、君の傍らにいると」




 ――言葉は所詮、言葉でしかない。


 だけど僕は、そこから少しでも心が伝わるようにと――。

 出来うる限りの思いと力を込めて、そう告げた。




 ――そうだ、誓おう。


 僕は、彼女の向こう――カインの眠る棺に目を向ける。




 この先ずっと、僕は彼女の側にあり、助け、護り続けると――カイン、あなたにも。


 オリビアを頼むと……そう託してくれた、あなたにも。





 改めて、誓おう――。







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― 新着の感想 ―
[良い点] ウェスペルスの春咲姫への想いがめちゃくちゃ切ない…… 心を与えてくれた人、それは死んで欲しくないでしょうね! それに加えて、憎まれると思ってたのに、反対のことを言われる。つまり、心情的に…
[一言] ウェスペルス切ねえ……。 こういう言い方をするのはアレですが、ウェスペルスの負っているものは、ある種の呪いのようにも見えますね。 「オリビアの意志を護る」、ただそのことだけを自らに課した呪い…
[良い点] 永朽花が仮りそめの命を与えるという、一見矛盾して見えるところに、何かの意思のようなモノを感じます。 新史の人間には、どんな結果になろうと感謝しかない、という考えにはなかなか至れないと思…
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