第1節 見届ける者たち Ⅱ
「ノアの様子はどうじゃな、カイン?」
部屋から出てきたカインに、グレンとともに待っていた碩賢は声をかけた。
「……思っていたよりも元気だが、さすがに疲労が限界に来たのだろう。今は休んでいる」
「不凋花を素直に受け入れてくれるのなら、義手など使わなくとも済んだのじゃがな」
老成した仕草で、碩賢は頭を掻く。
「それで……碩賢。
あなたはこれから、あの二人をどうするつもりだ?」
「うむ、天咲茎に連絡して保護する――」
「! 待ってくれ碩賢、それじゃ――」
慌てた様子でグレンが口を挟もうとするが、当の碩賢が手を振ってそれを止めた。
「――のが一番じゃが、内密に……というグレンとの約束もあるし、研究者としてあの子らの生き様に個人的な興味もある。お前さんが心配するようなマネをするつもりはないわい。
……それよりカイン、お前さんの方はこれからどうするつもりなんじゃ?
よもや、オリビアのもとへ帰ってやろう――というわけでもあるまい?」
碩賢の問いに、カインは目を伏せ、言葉を選ぶようにやや沈黙を置いた。
「……私の目的は、ノアとナビアを護り、無事に地上へと送り届けること。
そして――」
改めて見開いた涼やかな瞳で、グレンと碩賢を交互に見やる。
「そして、もう一つ。
我が娘オリビアの願いにより、庭都の長たる春咲姫に……安息を。
――死の安息を、告げることだ」
カインの言葉を聞いたグレンは、信じられないとばかり――。
怒りも露わに詰め寄った。
「おいアンタ……自分が何を言ってるか分かってるのか? 実の娘だろう?
かつて、殺し屋に成り下がってまで助けようとした娘だろうっ?
それを……殺すと、そう言うのか!?」
「……グレン。お前も人の親だというなら分かるだろう。
親だからこそ――子を想う親だからこそ。
涙を呑んででも、下さなければならない決断があることを」
「あの子を手にかけることが、その決断だと言うつもりか!?
そんなことが――ッ!」
「待たんか、グレン。落ち着け」
今にもカインに掴みかかりそうになるグレン――。
その大柄な身体を押し退けるように、碩賢の小さな身体が二人の間に割り込んだ。
「すぐそこには安静にしているケガ人もおるのだぞ。
ここで暴れて巻き込むつもりか?」
碩賢の説得を受け、グレンはしぶしぶといった感じで引き下がる。
そのさまに、子供を見守る親のように満足げにうなずき……。
碩賢は、カインを振り返った。
「その行為の是非についてはひとまず置いておくとして……カインよ。
知っての通り、ワシらはともかくオリビアは、オリジナルの不凋花をその身に宿す、正真正銘の不老不死。
ヨシュアとは違い、本人が痛みや苦しみで生存を否定しようと、不凋花がそれを許しはせんじゃろう。
そんなあの子に……どうやって死を与えるというのじゃ?」
「――根拠は分からない。
だが……今の私にはなぜか、それができるという確信がある」
自らの手に視線を落とし、静かに断言するカイン。
碩賢は、ほう、と興味深げにうなる。
「ノアも言っていた。
私が死者である以上――この身をかつての姿のままに保つ、オリビアの願いを受けた死者である以上――。
それができるのは、私しかいないはずだ……と」
「……そうか……。
ノアの坊主も、その答えに行き着いたか」
そう応じる碩賢は、ほんの僅かなものながら、微笑さえ浮かべていた。
面倒を見てきた教え子の出した答えに、いかにも満足していると言いたげに。
「先生――あなたは、何か知っているようだが」
「後でノアに聞いてみるんじゃな。
あの子に、お前さんの推察通りだと、ワシが太鼓判を押したと言ってやれば……話してくれるじゃろう」
カインの問いをそう受け流して、碩賢はくるりと背を向けた。
「さて……では戻るか、グレン。
馬鹿正直な宣戦布告を受けてしまったことじゃしな」
ちらりとカインに目を遣り――。
グレンは、放っておいていいのか、と碩賢に確認を取る。
「カインが言ったじゃろう? 春咲姫の死は、本人の願いだと。
それが心の底から強く発したものであれ、迷いの中で偶然こぼれ出たものであれ……あの子から生まれたものであることには変わりがないんじゃ。
ならば、ワシらがまず先にしなければならないことは、春咲姫の真意を確かめること。
降り立った死神に大人しく頭を垂れるのか、あるいは全力で振り払うのか――その意志を問うこと。そうじゃろう?」
碩賢の答えに、グレンは気を抜くように小さく息をつき、素直に同意する。
そしてそうかと思うと……。
依然として険しい視線を、カインに向けた。
「……カイン。
以前、春咲姫に牙を剥くのなら容赦はしないと――そう忠告したこと、覚えているな?」
「――無論だ。
お前に受けた恩、仇で返すような形になったのは心苦しいが……覚悟している」
グレンは、ふん、と鼻を鳴らす。
そして――
「……思い上がるな。俺が助けたのはあの兄妹だ。
アンタに返される恩なんざ――元より無い」
そう言い残して碩賢に先立ち、部屋を後にしていった。
「さて――ではな、カイン。
お前さんらに言わせれば、お互い、真っ当な命ではないんじゃろうが……。
こうしてまた、お前さんと言葉を交わせたことは……望外の喜びじゃったよ」
「……私もだ、先生。
それに、ノアを助けてくれたこと、そして――永きに渡り、オリビアを見捨てることなく、側に付いていてくれたこと。
――改めて、礼を言わせて欲しい」
「なァに、どちらも望んでやったことじゃよ。
……礼には及ばんわい」
にかっと、子供とも老人とも取れる無邪気な笑みを残し、碩賢もまた部屋を出ていく。
カインはそのドアに向けて――その先の二人に向けて。
もう一度、深く深く頭を下げた。
「……それで、碩賢。
本当に、カインは……春咲姫の命を奪うことができるのですか?」
先に施設のエントランスで待っていたグレンは――。
廊下を近付いてくる小さな人影を見て取るや否や、早速、先刻から抱いていたその疑問を投げかけた。
「先程のあなたは、春咲姫の不凋花が絶対のものだと言っていながら、まるで……それが覆される事態がありえることを、あらかじめ知っていたようでもありました」
「うむ……知っておったよ」
グレンの問いに碩賢はうなずいた――かと思うと、すぐさま首を横に振る。
「――いや、少し違うな。
ワシは……そもそもは信じておらんかったのだから」
「……どういうことです」
「可能性として考えてはいたが、それも、不凋花を絶対だと信じるがゆえのことでしかなかったのじゃよ。
何があっても揺らがないと信じていたからこそ仮定した、言葉遊びのようなもの……と言うべきか。
――遍く世の事物には表裏がある。
それゆえに、生の象徴である不凋花にも、同じく死の象徴となる真逆のものがあるはずだ……とな。
それが――ワシがかつて存在を仮定し、永朽花と名付けたものじゃ」
「それが……カインだと?」
「……そうじゃ。
つまり永朽花たるカインには、粒子の対消滅のように、不凋花を死滅させる因子があるということじゃな」
「ですが……どうしてそれがヤツなのです?」
自分の前を通り過ぎ、出入り口のゲートへ向かう碩賢に、足とともに言葉の上でも追い縋るグレン。
「お前さんなら、ウェスペルスから聞いておるじゃろ?
どうしてカインの亡骸が、この千年の間、かつての姿を維持し続けたのか――。
その理由を考えれば、科学的な検証ができるわけではなくとも……答えとしては納得のいくものになるのではないか?」
碩賢の助け船から、彼の言う納得のいく答えを導き出したのか――。
グレンは、はっとする。
「……そういうことじゃよ」
言って、碩賢は柔らかな朝陽の射し込むゲートを前に、はたと立ち止まった。
「のう、グレン。……かつてどこかの詩人が詠んだ、こんな内容の詩を知っておるかな。
死に際して、誰より『死』そのものが、最も慈悲深いがゆえに、自らの役割を嘆き悲しんでいるのだと。
哀しく、つらく――しかし本当に大切なことだと理解しておるから、涙を呑んで役割を果たしているのだと。
そして、それゆえに……死の先は、安らかなのだと――」
「いえ……浅学なもので」
グレンに背を向けたまま、碩賢はゲートの先、陽の光を追って空を見上げる。
「……そうか。
しかし、その詩が正しいのであれば……死を取り除くばかりか、あまつさえ死者を甦らせようとまでしたワシらは、そんな『死』の悲痛なまでの決意と覚悟を、自分たちの都合ばかりで踏みにじり――冒涜していたのかも知れんな」
「たとえ、そうだとしても――」
グレンは碩賢を追い抜き、ゲートを開いて振り返った。
「あなたたちによって救われた命――いや、魂もある。
それは間違いないんですよ」
碩賢は一度、ちらりとグレンの顔を見上げると、
「そうか。
――であれば、何よりじゃがな」
開け放されたゲートを抜けて、陽光の下へ足を踏み出した。




