第5節 どうか、わたしに Ⅱ
「――どういうこと?
どういうことなの、ライラ! 答えて!」
――月明かりの降り注ぐ庭園に、春咲姫の悲鳴にも似た叫びが響き渡る。
つい今までは、大怪我を負ったノアのためにと、行方を追う前に治療設備を用意するよう、比較的冷静に、枝裁鋏隊員に指示すらしていた彼女だったが……。
入れ替わりにライラが自分の前に立つや――。
一転して、その肩を揺さぶってまで必死に問い詰めるのは、ただ一つ。
――カインの存在についてだった。
「どうして――どうしてパパがいるの?
あなたたちは知ってたの? ねえ、答えて!」
「……ええ。知っていたわ」
力無く、揺さぶられるがままだったライラは……。
静かにそう言って、ゆっくりと顔を上げた。
「……黙っていたことは謝るわ。
でもそれも、あなたの心を不必要に騒がせないために、みんなで決めたことだったの。
――それにね、あの男はカインの名を騙っているだけの偽者で――」
ライラの弁明に、春咲姫は激しく頭を横に振った。
「違う、違うよ! 偽者なんかじゃない!
あれは――パパだよ、本当の!」
「それは……あなたはそう思いたいでしょうけど……」
「――春咲姫の言う通りだ。
彼は……正真正銘、本物のカインなんだよ、ライラ」
横合いから差し込まれた涼やかな声に、二人は揃ってそちらを向く。
影になっている回廊の奥から、ゆっくりと歩いてくるのは――ウェスペルスだった。
「ウェス……ペルス……?
あなたが、どうしてここに……!」
「サラから、春咲姫が天咲茎を飛び出したと連絡を受けてね。
どうも帰りが遅いということだったから……寄り道するならここだろうと、大急ぎでやって来たんだ」
口調こそ穏やかにそう答え――しかしウェスペルスは一瞬、ライラに射抜くような視線を向ける。
君の考えは分かっている……と、そう言わんばかりのその視線に、さしものライラもたじろいだ。
「それでウェスペルス、やっぱりあれは……本当のパパなんだよね?」
「ああ、そうだ」
「――ダメよウェスペルス、証拠もなく憶測で決めつけては――!」
「もちろん、証拠ならある」
きっぱりと断言するウェスペルスに、ライラは反論を途中で呑み込まざるをえない。
「……僕は、『霊廟』をこの目で確かめてきたから……ね」
「…………!」
ライラも、そして春咲姫も……言葉を失って、ただただウェスペルスを見る。
ウェスペルスは平静とした様子で――。
しかしどこか強い口調で、二の句を告げた。
「あそこは、僕ら一握りの人間以外、立ち入るどころか近付くことすらできない聖域だ。
だけど……中から出ていくだけなら、話は別なんだよ」
「何が……言いたいの」
掠れた声でさらに問うライラ。
すべてを理解しながら、しかし否定したい、否定してほしいと……そう願うように。
だが――ウェスペルスの答えは、そんな望みを無慈悲に切って捨てた。
「……跡形もなく、消えていたよ。
生前と変わらない姿のまま安置されていたはずの、カインの亡骸は……ね」
「で、でも――!
不凋花の力でも息を吹き返すことはなかった、彼は亡くなった――それは間違いないことでしょう?
なのに、その死者が甦ったと言うの? そんなバカなことが――」
「もう、ありえるかどうかの話じゃない。
――それが、現実なんだよ」
縋り付く人間を突き放すようにそう言って、ウェスペルスは春咲姫に向き直る。
ウェスペルスの話を聞くうちに、先程の興奮も治まり、そして――何か思うところでもあったのか。
少女は、儚さと強さが同居した、いつもの凛とした表情に立ち戻り……。
まるで祈りを捧げるように、目を伏せていた。
「そう……分かったよ、ウェスペルス」
改めて見開いた青い瞳を、ゆっくりと湖の方へ向けて――。
春咲姫は穏やかな……そしてしっかりとした口調で告げた。
「パパが……パパこそがきっと。
『永朽花』なんだね――」
* * *
――人工湖北岸を目指して、ボートはひた走っていた。
北岸の港の一つから上陸した先にある、個人の研究施設――。
それが、グレンから連絡を受けた碩賢が彼らに、合流地点として指定した場所だった。
「……ねえ、おじさん……」
兄の頭を膝に抱き、手を握り、つい今まで弱々しい声で呼びかけ続けていたナビアは……。
涙に濡れたままの瞳を上げて、カインに尋ねる。
「春咲姫と会って、何か……思い出せたの?」
まずはナビアを、そしてノアを。
二人の顔を順に見やり……カインは大きくうなずいた。
「ああ……思い出した」
続けて、こうしている間にもどんどん小さくなっていく古城を振り返り、その先――さらに遠くを見据えるかのするように、目を細める。
かつて彼に、この兄妹を護ってあげて欲しいと願った者。
そして――『もう一つ』と、さらなる願いを託した者。
「オリビア……お前だったのだな」
彼が目覚める前、無限の闇の中に身を横たえていたとき。
そこに射す一条の光のように届けられた、暖かく、懐かしい声――。
それがもう一度、今度こそ完全な形で……彼の心に繰り返されていた。
――お願い……パパ。
どうかあの子たちを……ノアとナビアを、護ってあげて。
そして、そして、どうか……あの子たちの道こそが正しいのなら。
わたしが、過ちを犯してしまっているのなら。
人の命を、ゆがめてしまったのなら。
どうか、わたしに……罰を。
自らを罰することもできないわたしに、罰を――。
……わたしに――どうか。
すこやかなる死を、与えてください――。




