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【新装版】 畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
四章 祖花の想い、幼芽の願い

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第2節 母たる者へ、子たる者へ Ⅰ


 ――統合生産地区。


 それは、庭都(ガーデン)中央部より南――火口湖に手を加えて作られた人工湖、そこに架かる橋を渡った先の区画だ。

 名の示す通り、生活に必要な様々な物資を生産する工場類がまとめられている。


 主に芸術性にこだわり、情緒を重視する他地区の街並みに比べ、ここはその極めて合理的な発展経緯からか、景観も他とは一線を画していた。



 そして――マルタは、自宅のテラスから、そんな街並みを眺めるのがお気に入りだった。



 ……なだらかな山肌に沿って立ち並ぶ建造物は、そのほとんどが二十世紀後半から二十一世紀にかけての、いわば近代的で機能的なデザインだ。


 庭都の多くの人間が、嫌うというほどではないにしろ、趣に欠けると、この地区の景観にはあまりいい顔をしない。



 事実、そうだろうとはマルタも思う。



 木材の暖かみも、石材の味わいも、ここには皆無だ。

 無機質というわけではなく、もちろん緑地などもふんだんに設けられているが……それらもどこか理路整然とし過ぎていて、他地区にある庭園のような面白味はない。


 だが――極めて機能的だ。

 そしてそれこそが、マルタが最も良しとする価値観だった。


 どのようなものであれ、この世に存在するからには役割がある。

 それを果たすこと、追及すること。

 それこそが何より美しく、愛しい――と。



 しかし今日の街はなぜか、暗く沈んでいるように感じられた。本来あるべき機能を失って。


 二十代前半といった具合の、幼さも残す、丸みを帯びたその愛らしい顔を不快感に歪めながら……落ち着いた瑠璃色のワンピースを翻して、彼女はテラスから部屋の中に戻る。


 そして、飾り気のないテーブルにぽつんと置かれた掌携端末(ハンドコム)に目を遣り……一つ、ため息をついた。


 昨日その端末を通じて伝えられた連絡を思い返すたび、出るのは物憂いため息ばかり。

 あるいは、街並みを眺めているとき、いつもと違う感覚にとらわれたのはそのせいだったのかも知れない……。

 ソファに腰を下ろす彼女の脳裏をふと過ぎったのは、そんな考えだった。



 ――杞憂であればいいのだけど。



 胸に浮かんだ予感が、予感だけで終わることを願いつつ……。

 彼女はまた一つ、ため息をついた。










     *     *     *




「……あら、ウェスペルス」


 ウェスペルスの執務室へと回廊を進んでいたライラは、予想外に当の本人とばったり出くわして立ち止まる。


 似てはいるものの普段の礼服ではなく……以前ライラが外出時に着ていた物に近い、動きやすさを重視した白い法衣をまとい、部下の枝裁鋏(シアーズ)隊員二人を引き連れたウェスペルスも、ここで彼女と会うことは意外だったのだろう。


 表情こそ動かさないが、部下に対してかける言葉にほんの一瞬、本当にわずかな間、空白が生まれたことを、ライラは見て取った。


 一方、部下に先に行くよう指示を与えたウェスペルスも、ライラと向き合って足を止める。


 ライラは、指示を受けた枝裁鋏隊員が走り去っていくのを見届けてから、改めてウェスペルスを振り返った。



「ケガは大丈夫なのかい、ライラ?」


「ええ……ありがとう。もう大丈夫よ、肋骨がいくらかやられた程度だったから。

 ……もっともあの子は、もっと休めって怒っていたけどね」


 子供のように口を尖らせて説教する春咲姫(フローラ)の姿を思い出し、苦笑するライラ。


 合わせて同じように笑いながら、ウェスペルスも肩を竦めた。



「それで、君がこっちへ来るということは、僕に用でも?」


「ええ。私が名目上は療養中だからといって、気を遣わず、何か事態に動きがあったら教えてくれるように、直談判しに行こうと思っていたところなのだけど……。

 早速、その何かがあったみたいね?」


 ちらりと、先に隊員たちが走り去った方を見やってから、ライラは問う。


「ああ。情報網の監視で、ノアたちはどうやら北の新開発地区へ向かったらしい、という分析がなされてね」


「それで、あなたが直接指揮に出向くというわけ?

 ……軽率じゃないかしら。

 これまで情報関係については巧妙に足跡を隠してきたノアが、そう簡単にミスをするとも思えないのだけど」


「もちろん、囮という可能性もあるけれど……手をこまねいていても仕方ないからね。

 君やグレンが後れを取ったという事実を踏まえた上で、僕自身が出向くことにしたわけさ」



 僅かな時間を逡巡に割いて――。

 ライラは胸元で拳を握りつつ「それなら」と口を開いた。



「――私も同行させて。

 あなたまでが、とは思えないけれど……二人いれば、より確実でしょう?」


「……君も……?」


 ライラのその提案に、ウェスペルスはその真意を見抜こうとでもするように、彼女の瞳を見据えたまま、しばし無言で考えていたが……。


 やがて、ゆっくりと首を横に振った。



「どうして? 数百年前、庭都黎明期のあの騒乱を教訓に結成された、私たちも含めての枝裁鋏は……その名の通り、この庭都という大樹にとって害をなす芽を切り落とす――それが役割でしょう?」


 口早に、力を込めて語るライラ。

 その、今にも掴みかかりそうな勢いにも動じないウェスペルスは、同意を求められたところで、ようやく重々しく口を開く。



「――ライラ。

 まさかとは思うけど、君の言う『害をなす芽』には……あの子たちも含まれているんじゃないだろうな?」


 ライラは眉をひそめたる。


「――どうなんだ?」


 重ねて問うウェスペルス。



 その真摯な瞳を、しばらく見つめ返した後――唐突にライラは吹き出した。

 悪い冗談だと言わんばかりに。


 そうしてひとしきり笑ったあと、「もっとも――」と、ライラはそっと目を伏せる。


 ややあって、その瞼が再び開かれたとき――。



 彼女の表情からは、笑みがすっかり抜け落ちていた。



「もっとも、あの子たちが春咲姫に直接被害を与えるようなことを考えるなら――その限りではないけれど」



 その答えを受けたウェスペルスは、小さく一つ息を吐く。



「君を連れて行かないのは、僕のアテにしている情報が囮と分かったとき、君が待機していてくれれば、別方面への迅速な対応を期待できるからだ。

 君を信頼しているからこそ、だ。

 だから――くれぐれも、馬鹿げたことは考えないでくれ。

 僕は……君と争うような真似はしたくない」


「――分かってる」


 言って、場の空気を和らげるように、ライラは表情を緩めた。


「大丈夫よ。私だって、あなたと争うなんて御免だもの。

 ――ええ、心配しないで。

 ただ、あの子のためにと……そう思っているのは、私も同じなのだから」



 ウェスペルスは、また心中を探るように、ライラの瞳を真っ正面から見つめていたが――すぐさま、小さくうなずいた。



「分かった。――なら、留守の間のこと、頼めるかい?」


「ええ、そういうことなら。こちらのことは任せておいて」


「ああ。それじゃあ――」


「ええ。あなたも気を付けて」



 挨拶を交わし、ライラと別れるウェスペルス。


 遅れを取り戻そうと、足早に回廊を進みながら……やおら懐から掌携端末を取り出すと、回線を開いた。




「――ああ、グレン、聞こえるかい?

 すまないが……一つ、頼みたいことができたよ」










     *     *     *




「ね、お兄ちゃん、そろそろあそこじゃないかなあ?」


 ひそひそと話しかけてくるナビアに、ノアも声を潜めて「そうだな」と答える。



 ――彼らが乗り込んでいるのは、統合生産地区へと向かう路面電車だ。


 電車は、ちょうど大きな橋に差し掛かるところだった。

 その下に広がるのは、千年前までは活火山だったという頭一つ低い山……その火口の窪地を利用して作り上げられた人工湖だ。


 地熱を利用して、凍り付いたりしないよう水温が一定以上に保たれているその人工湖は、ゆらゆらと幻想的に湯気を立ち上らせるさまが美しい。


 そして、湖の中央付近には――。

 橋から湖に向けて迫り出すような形で延びる岩山の上に、荘厳かつ美麗な、ロマネスク様式の城が築かれていた。


 もちろんその城が建てられたのは庭都建設後のことなのだが、それでも数百年の時間を経ていて……その過ぎた時間の分、すでに風格は古城と呼ぶに相応しいものがある。

 ただ、石造りに見えるものの、実際の建築材にははるかに耐久性の高い特殊鋼が使われているので、歳月で朽ちるようなことはない。



「前に来たのは、もう何年前になるかな……」


 窓の外、そのどっしりとした威容そのままに、ゆっくり姿を現した古城。

 そちらを指差し、あれだあれだと明るい声を出すナビアに、ノアはぼんやりとうなずいた。


 古城は主に、各種展覧会やパーティーの会場など、多目的に使用されているが、そのうちの一つに、春咲姫が他地区への視察など行幸へ出た際の宿泊所としての役割もある。


 ノアたちはもっと幼い頃、それに付き添って、かの古城に遊びに来たことがあったのだ。



「あんまり天咲茎(ストーク)から外に出ることってなかったから、楽しかったよね」


「ああ……そうだな」


 気のない返事ばかりしているな……。

 そんな風に自覚しながら、ノアは車内の方へちらりと視線を戻す。



 その先には、目立たないようにと、少し離れた座席に一人で座るカインがいた。



 父親のようだとも感じたその姿を見るとノアは、今まさに、自らの心を騒がせている――ナビアではない、もう一人の『肉親』への感情を、否応なく直視してしまう。


 すうっと背筋を駆け上がる、喜びと恐れの入り混じったその緊張感に急かされるように……ノアはぽつりと口を開いた。



「……もうすぐ、母さんと会うんだな」



 ノアの口調は堅かったが、それに「楽しみだね」と応じるナビアの表情は綻んでいた。


「お前、緊張とかしないのか?

 帰れ――って、そっけなく追い返されたりするかも知れないんだぞ?」


 能天気だと非難されたように感じたのか、ナビアは一瞬不満そうに頬を膨らませるものの……すぐにまた笑顔に戻った。



「それぐらい分かってるよ。

 でもね、それでも……会える。それだけで、嬉しいんだ」



 屈託のない妹の言葉に、そっか、と返し――。


 ノアはまた、通り過ぎていく古城を見やった。







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