第4節 地に還る者、還ったはずの者 Ⅲ
――田園地区を離れ、戻ってきた庭都中央部の駅には、以前とは比べものにならないほどの厳重な警備が敷かれていた。
加えて、一般の作業員も多く……。
それらすべての人の目を掻い潜るため、ノアが掌携端末で表示する見取り図をもとに、駅舎を逸れて車庫の方を抜けるルートを選んだノアたち三人は――人気の無い整備場の地下へと進む。
そこは、これまでの場所とまるで違う、がらんとした大きな空洞だった。
「……ここ、何をする場所なのかなあ」
照明が行き届かないのだろう、隅の方は闇を抱えたままになっている広い空間を見回し、ナビアは小声でノアに尋ねる。
相変わらず端末をいじっていたノアは、ちらりとだけ視線を上げた後、いつものように少しぶっきらぼうに答えた。
「整備した車両とかを保管しておくんだろ。
ほら、中央には上と繋がる大きな昇降機があるし……向こうの方には、古い型の列車も並んでる」
「――それで、この先はどうなっている?」
カインの質問に、ノアは端末が浮かび上がらせる見取り図の映像を見せる。
「もう少しで、敷地外へ出るのに一番良い出口だよ。
ここの、向こうの奥にあるゲートを抜けて――」
しゃべりながら奥を指差そうとしたノアを。
「待て」と――唐突にカインが制した。
そして、周囲の暗がりに一通り視線を飛ばし……小さく舌打ちする。
「待ち伏せされたようだな。
――囲まれている」
カインの言葉に、ノアが驚くより早く――。
まさに彼らが目的としている方向の暗がりから……。
ぱん、ぱん――と、手を打つ乾いた音が響いてきた。
「……よく気付きましたね。
さすが、これまで散々、こちらの手を患わせてきただけのことはあります」
ゆっくりと、照明の白い光の下に姿を現したのは――。
花冠院の一人……ライラだった。
「さあ、いい加減に天咲茎に戻りなさい、ノア、ナビア。
春咲姫が、あなたたちをどれだけ――」
穏やかに語りかけながら三人に近付いていたライラは……突然、その動きを止めた。
そして、その切れ長の美しい目を大きく見開き――続く言葉すら失って。
兄妹を護るように、前へと出てきたカインを見つめる。
ライラとは、それなりの時間をともに過ごしたはずのノアたちでさえ、今の彼女の表情は初めて見るものだった。
それはただ驚く、という程度ではなく――。
驚愕、という表現が……何より正しい。
「まさ、か……! まさか、そんな……!
カイン? 本当に――カイン、なの…………?」
先ほどまでのものとはまるで違う、かすれた声を……震える唇からもらすライラ。
対して、カインはいつものように視線は鋭く、悠然と対峙しながら……。
やがて一言、ぽつりと――言葉を紡いだ。
「――ライラ……か」
「――――ッ!!」
当のライラばかりでなく、ノアも、ナビアも――。
皆が一斉に、カインに視線を集めた。
ライラはまだ名乗っていない。
ノアもナビアも、ライラのことを教えたことは……ない。
つまりは――知らないはずなのだ、カインは。
もともと知っていた、という以外には……ライラを。
……知っているはずが、ないのだ。
「っ! その声も――!
どうして……? いいえ、そんな、そんなはずはない……!」
これ以上ないぐらいに狼狽え、動揺するライラ。
その姿を油断なく見ながらカインは、ノアの名を呼ぶ。
自身もまた驚きの中にあったノアは……二度目でようやく気が付いた。
「目標としている奥のゲート……お前の技術で、ロックをかけることはできるか?」
「え? あ、ああ……。
あれは電子ロックを使ってるから、この端末があればできるけど」
「よし……なら、私がライラを足止めする。
その間に、お前たちはゲートの向こうへ走り抜けろ」
「――カイン、アンタは?」
「機を見て私も続く。
その後、ゲートをロックするんだ。……いけるな?」
その問いに、ノアが、そしてナビアが、続けてうなずくのを確かめると……。
カインは改めて、ライラと対峙する。
ライラの驚きは、この短い間に鳴りを潜めていて――。
そこには代わりに、怒りや不審を露わにした、険しい表情があった。
「……あなたは――。
あなたは、いったい――何者なのです!!」
「お前が言った通り――カインだ、『闇夜の天使』よ。
……私は、それ以外の何者でもない」
答えるや、カインはすばやく床を蹴った。
同時に、ノアとナビアも走り出す。
「っ! させない!」
平静でないはずが、それにもかかわらず――。
ライラの反応は恐ろしく早かった。
両の袖口から手品のように一瞬で数本のナイフを取り出すや否や――。
カインに、そして兄妹への牽制にと、舞うような華麗な動きで、一気にそれらすべてを投げつける。
――刃の構造に細工があるのか、技術の為せる技か、あるいはその両方か。
あたかも生き物のような複雑な軌道の変化をしつつ、驚異的なスピードで迫るそれらを……。
カインは、兄妹をかばうことを第一に考えた位置取りをしながら。
超人的な動きで――打ち、払い、掴み、避ける。
さすがにすべてはさばききれず、多少は肌をかすめたものの……カインは怯むことなく前進し、ライラとの距離を詰めた。
ライラも、二投目は間に合わないと瞬時に悟ったのだろう――。
ナタに近い大振りなナイフを両手に構え、カインを迎え撃つ。
「……カインのはずがない……!
あなたが、カインのはずがないのよ――!」
「言ったはずだ。それ以外の何者でもない、と」
ライラの白い法衣と白刃が、目も眩むほどの速さで閃く中――。
その光輝が映し出す影のように、合わせて、カインの黒衣もまた闇に閃く。
――何度も、何度も、何度も。
「くっ……! 誰か、兄妹の足止めを!」
何者の介入をも躊躇わせる、極限まで張り詰めた二人の死出の演武の最中――。
しかしそれには目もくれず、まっしぐらにゲートの向こうを目指して走る兄妹の姿を認めたライラは……自らの動きを鈍らせることなく、周囲を固めている部下に指示を飛ばす。
恐らくは、この二人の演武に目を奪われていたのだろう……。
指示からやや遅れて、ゲートに一番近い暗がりの中から赤衣の青年が飛び出し、兄妹の前に立ち塞がろうとするが――。
「ぅぐっ――!」
くぐもった声を上げ、赤衣の青年は後方に弾かれるようにもんどり打って倒れる。
それが、演武の最中、ライラの白刃を避けるその一瞬の間に、先に掴み取っていたナイフを投げつける――。
そんな芸当をしてのけたカインの仕業だと見抜いたのは、この中ではただ一人……対峙する、当のライラだけだった。
しかしそれが分かったとて、ライラに別の手を繰り出す余裕はなく――。
その間に、ナビアとともに何とかゲートの向こうに辿り着いたノアは、大声でカインの名を呼んだ。
そしてすぐさま、ゲートにロックをかけるべく端末を起動する。
「――時間だ。これ以上は付き合ってやるわけにはいかん」
身を翻して斬撃をかわしたカインは――その勢いを回し蹴りに乗せて、ライラの腹部に叩き込む。
ライラは反射的に後ろに飛び退いて衝撃を殺し、致命傷を避けるが……。
肋骨が二、三本砕かれたのを自覚していた。
「ぐっ……! あ、あなたが……!
あなたが、カインのはずがないのよ……っ!」
喉を迫り上がってくる血を吐き出して、ライラは――。
すでに兄妹の方へと走り出していたカインの背中に、呪詛のように叫びを叩き付ける。
「カインは――死んだ!!
あの日、確かに死んだのだから……ッ!!」
「……え……?」
カインが滑り込んできたのを合図に、咄嗟に端末を操作して電子ロックをかけ……。
ゲートが完全に閉じる、まさにその瞬間――。
わずかな隙間を縫うように耳に届いたライラの言葉に、ノアたちは絶句する。
「い、今の……今のって――」
見上げてくる二対の瞳に、閉じたゲートに背を預けたまま、カインは静かにうなずいた。
「……彼女の言う通りだ。本来、私はすでに死んだ身。
生きては――いないのだ」
「は、はあ? そんな、そんなことって……」
突然の、あまりに予想外のカインの告白に狼狽えるノア。
そんな彼を叱咤したのは、意外なほど冷静なナビアだった。
「お兄ちゃん、話は後! 今は早く行かないと!」
「――すまん、ナビア」
カインは短くそう告げると、兄妹の先に立って走り始める。
ノアも、ナビアに引かれるまま、その後に続いて足を踏み出したが――。
「一体、どういうことなんだ……?」
閉じたゲートの向こうのライラに問うように――。
ちらりと、一度だけ……背後を振り返っていた。




