第1節 命が咲くには Ⅲ
――熱で頭がぼうっとする。
眠りも浅い。
そのせいか、見る夢が妙な現実感をもっていて……。
本当のところは眠っているのか起きているのか、どうにも曖昧になる。
頭の中で夢と記憶が同じ色をして浮かび、ごちゃごちゃと混ざり合い、勝手に目まぐるしく移り変わる。
そんな思考の流れに翻弄されながら……。
しかしナビアは、ふと見かけた記憶の断片を、何とか意識して拾い上げた。
(そういえば、あれっていつだったかなあ……)
――それは、身体が弱い彼女が、特に酷い高熱を出して倒れたときのことだ。
熱を出すのは特別珍しいことでもなかったが……。
そのときの高熱は、報告を受けて駆けつけた碩賢が、普段見せないような険しい顔をしていたぐらいだから……よっぽどだったことが分かる。
そして当のナビア自身も、その高熱はただ事ではないことを理解していた。
いや――もっと正確に言えば、意識したのだ。
そのとき、彼女は……『死』というものを。
かつて、天咲茎の裏庭に迷い込んできたあの親鳩によって――。
初めて触れ、感じた……『死』。
それが、他でもない、自分のすぐ側にも迫ってきていることを。
……怖かった。
死にたくない、生きていたい――と、必死に自分の命の灯を守ろうとした。
吹き消されないように、奪われないように……か細い灯りを必死に胸に抱き続けた。
だが、まだ幼くか弱い彼女は非力だった。
死の冷気にあてられ、その灯は今にも消えてしまいそうになった。
そんなとき、霞む視界にぼんやり浮かび上がったのは、彼女を呼ぶ兄の姿だった。
そしてふと、彼女は思った。
――あたしが死んだら、お兄ちゃん、どう思うだろう?
どうするんだろう……?
素直じゃなくて、意地っ張りで、強がりで、でも……本当は優しい兄のことだ。
きっと泣いてくれるだろう。
いっぱい悲しんで、いっぱい泣いて……それで……。
――それで?
彼女は素朴に疑問をもった。
それで、どうなるんだろう?――と。
そして……そのとき、見たのだ。
それは、高熱に浮かされた頭が見せた、幻覚のようなものなのかも知れなかったが……。
遠い未来の、可能性の一つらしき光景を。
その光景の中にいたのは、大きく成長した兄だった。
ナビアの死を悲しみ、そして悲しんだゆえに……。
そうした死を無くそうと研究に打ち込み、命を、より慈しむようになった――兄の姿だった。
――ああ……そうなんだ。
それで、彼女は悟った。
恐れ、拒んでしまっていた『死』に、まるで真逆の光を見出した。
たとえ自分が死んでも、何もかも無くなるわけじゃない――。
あの親鳩が死んだとき、自分が、兄が、子鳩が……何かを感じ取ったように。
誰かがきっと、そこからしか得られない、大事なものを受け継いでくれる――。
それこそが、『死』の意味なんだと。
――花が散っちゃうのは、そこから、もっとキレイな花を咲かせてあげようとするからなんだ。
きっと、人もおんなじなんだ。
そうやって、ずっと……続いてきたんだ。
「今のところ、情報網に動きはナシ、か……」
――体調を崩して寝ているナビアのベッドの脇。
すぐ側に引っ張ってきた小さなテーブルで、掌携端末を使い、警備隊を中心とした情報の流れを監視していたノアは……。
特に警戒するような動きがないことを一通り確認し終わったのを機に、いったん視線を外して、凝りを解そうと首をぐるりと回した。
「さて、と……」
ナビアがまだ大人しく眠っていることを確認すると、ノアは額の濡れタオルを、新しく冷やしたものと取り換えてやる。
気持ちいいのか、ナビアの寝息は少しばかり穏やかになった。
そうして寝込んでいる姿を見て、ついノアが思い出したのは――。
今まさに、当のナビアが夢うつつの中で思い返している記憶と同じ出来事だった。
……高熱を出して倒れたのが、ちょうど一人でいるときだったため……発見が遅れて、生死の境をさまようことになったナビア。
ノアがその事態を知ったのは、容態が峠を越えて安定してからだった。
なので、最も危険だったときを実際に目の当たりにしたわけではなく――結果として、彼は妹の死を感じることはなかったのだが……。
「……だけど……お前は違うんだよな。
あのとき、一体何を感じたんだろう……」
ノアもナビアも、そのときにはすでに、不老不死に違和感を覚え始めていた。
命の在り方として正しくないのでは――と、疑い始めていた。
だが、実際に生きるか死ぬかという体験をしたのだから、ナビアはその考えを曲げてもおかしくないとノアは思っていた。
死を間近に感じた妹がその恐怖を語り、不老不死を望むなら……自分も考え直すべきなのでは、とすら考えていた。
しかし――ナビアは考えを変えなかった。
いや、むしろ……。
それ以前よりもその想いには迷いが無く、洗練されているようにすら見えた。
もともとが説明下手だし、高熱のせいで記憶が曖昧になったりしたということもあるのだろうが……。
病の床で何を見、感じたのか、ナビアはノアに語ろうとはしない。
しないが――それが何もなかったという意味でないのは、ノアには明らかだった。
「今思えば……天咲茎から逃げる、その考えに――信念についてきたのは。
お前が俺に、じゃなくて……俺がお前に、だったのかもな。
偉そうなこと言っておきながら、俺なんてまだ、迷いも甘えも残ってるんだから」
言っていて、何とも自分が情けなく感じて――。
ノアは、はあっ、と大きく息を吐いた。
「……しっかし……カイン、遅いなあ。もう暗くなってきたぞ」
窓の外の景色は、気付けばすっかり夜の気配を帯びている。
このままじゃ夕食がいつになるか分からない――。
そう考えたノアは、ナビアがよく寝ていることをもう一度確かめてから……。
カインが帰ってくるまでに何か、自分でもできる準備をしておこうと――食堂のキッチンに向かうことにした。




