表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【新装版】 畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
二章 落果の芽吹く場所へと

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/75

第2節 決意と迷いと Ⅱ


「――あ、お兄ちゃん、もうすぐご飯できるから、おじさん呼んできてね!」



 端末にかじりついての情報整理も一段落し、部屋を出てみれば漂ういい匂い。

 それに惹かれて、食堂に顔を出したノア――。


 そんな彼に妹が投げつけたのは、労いの言葉どころか、新たな仕事の指示だった。




「アイツも大概、カインにべったりだよなあ……。

 天咲茎(ストーク)にいるときは春咲姫(フローラ)だったし……実は本能で、自分により甘い相手を嗅ぎ分けてるとか……?」


 追い出されるように食堂を離れたノアの足取りは、とぼとぼと力無い。



 今ナビアが作っているシチューが、実は春咲姫から伝授されたものであるように……。

 ナビアは天咲茎にいる頃は、姉のようでもある春咲姫にべったりだった。


 しかしそのときにはまるで感じなかった、やるせないような感覚が今のノアにはある。



 ――二人が、まるで親子のようだから――?



 ふっとノアの脳裏に、そんな考えが過ぎった。



 ……親子――。


 正直なところ、その言葉から導かれる感情は、ノアにとって良いものではない。



 まず彼は――そしてもちろんナビアも、父親のことはまったく知らなかった。

 そもそもデータすら無いのだ。


 ただこれは、別に後ろめたい理由があるわけではない。


 不老不死を手に入れた庭都(ガーデン)の人間たちは、精神の安定のため、なるべく変化の無い生活をしないようにと心がけているわけだが……。


 それが長い年月のうち、結婚という制度の在り方を大きく変えた。


 端的に言って、配偶者を一人と決めること――それは、日々の生活から変化を奪い取るのではないかと、敬遠する人間が増えたのだ。


 結果として今では、結婚をする人間がいないわけではないが、恋愛をするならするで、そうした枠にとらわれないよう自由に、というのが庭都住民の主流になっていた。



 つまるところ、兄妹の母親は、父親は誰なのか、特に気にしていなかったのだ。



 そして天咲茎もまた、それを無理に詮索するようなことはしなかった。

 だから、父親のデータは、消されたわけでも、改ざんされたわけでもなく……初めから存在していないだけなのだ。


 一方――母親については、きちんとデータも残っていた。


 顔も、名前も、住所も――データベースの中に、それを何度も閲覧したノアたちの頭の中に、確かな記憶として刻み込まれている。



 だが……逆に言えば、それだけしかなかった。



 兄妹の実の母親は、ノアたちを天咲茎に預けてから、会いに来るどころか連絡の一つも寄越さなかった。この十数年間一度もだ。


 それでもナビアは、そんな顔を合わせたこともない母を無邪気に慕っていた。

 いや、今でもそうだ。


 一方……ノアはと言えば、歳を経るにつれ、母に対して、薄情だと嫌悪を募らせるばかりだった。



 ――だけどそれは、もしかしたら、拗ねているだけなのかも知れない――。



 まるで親子のようなナビアとカインの姿を見るにつけ、ノアはふと、そんな風に思った。


 そんな、親子のようなナビアとカインの関係を、自分はうらやましいと感じているのではないだろうか――。

 そしてそう感じるのは、母に甘えたいと願いながら、それが叶えられずにいたから――。

 だから、母のことを必要以上に嫌っていたのではないか――と。


 そんな風に、思ってしまったのだ。



(でも……あの女が薄情なのは確かなんだ。

 そうだよ、拗ねてるだけだなんて……そんな、小さい子供じゃあるまいし……)



「ああもう、バカバカしい……!」


 つまらないことを考えたと悪態をつき、ノアは少し乱暴にカインの部屋のドアを開ける。



 窓際で、射し込む夕日を浴びながら……。

 いつもの黒衣姿のカインは、泰然とたたずんでいた。



(父親……か)



 それはやっぱり、こんな風に大きくて、何にも動じないような存在なのだろうか……。


 ついさっきまで考えていたこともあって。

 ノアはしばらく、そんなカインをぼうっと見ていた。



「ノア……? どうかしたのか?」


 改めて呼びかけられたノアは、ああ、と少しバツが悪そうに目を合わせる。


「えっと……いや、ナビアがさ、もうすぐ夕飯ができる、って……」



「それでわざわざ呼びに来てくれたのか。

 ――すまないな、お前も一仕事終えたところだろうに」


「いやまあ……何て言うか、ほら、ナビアのヤツ、うるさいしさ。ほっとくと」


 ささやかながら、思わぬところから労いをもらって、ノアはつい照れてしまう。

 それを隠そうと、つい、口がどうでもいいことを並べ立てた。


「それでアイツが機嫌損ねたりして、この先ずっとマズいメシ作られたりしたら困るだろ?

 だから――」


 何気ないノアの言葉。


 深い意味があったわけでもない、照れ隠しのその言葉に、しかし意外にも――。

 カインは、鋭く言葉を重ねてきた。



「この先ずっと――か。

 本当に、そう思っているのか?」



 一瞬何のことか分からず、怪訝そうにするノア。


 カインはもう一度、真剣な表情でゆっくりと問い直す。



「この先ずっと――いつまでもこの生活を続けていられると、本当にそう思っているか?」



 今度こそ、ノアはカインの真意を悟った。


 悟っただけに、軽々しい発言をすることもできず……しばらく押し黙って考える。



 そしてカインはそれを、ただ静かに見守っていた。





「――俺は……」


 やがて、自分なりに考えを整理したノアは……。

 真剣な表情で、改めて口を開く。



「俺はさ。ただ普通に、人間として当たり前の寿命を迎えるまでの間、ナビアとこの庭都で生活できればよかった。穏やかに過ごせればよかった。

 そして、それは決して不可能なんかじゃないって思ってた。

 でも――」


 ノアは一瞬目を伏せる。

 開け放したドアから流れ込み、鼻をくすぐるシチューのいい香りがなぜか、切なく感じた。



「天咲茎を逃げ出して、実際にこうして生活を始めてみて……分かった。

 データを改ざんしたりして、住む場所とか身分証明といった環境を確保しても、結局、不老不死を否定した以上、俺たちは歳を取る。

 移り変わる存在だから、変わらない環境の中には居続けられない。

 だから……永遠の命があって、永遠に俺たちを追い続けられる存在を相手に、最期の時を迎えるためには……一つの所に留まることなく、逃げ続けるしかないんだ。

 でも、それは……本当に難しいことなんだよな」



 ノアは笑う。

 自分を――自分の中の甘い考えを、嘲笑う。



「……少し考えれば分かることなのにな。

 多分俺、敢えてその事実を見ないようにしてたんだ。

 きっと何とかなるって、楽観視してないと……逃げ出すなんてできなかったんだ。

 こういう、一見平穏な生活ができる環境を作っておいたのも、裏を返せば、そんな甘えの表れなんだと思う。

 ――情けない話……だよな」


 自嘲するノアを見据え、カインはいつものように、落ち着いた声で応じる。


「だが、お前は行動した。

 そうするべきだと信じる道を、確かに選んだのだ。

 そこには、確かに信念があるはずだ……お前自身が、今はまだ分からなくとも。

 それに……だ。

 安定した生活環境を作ろうとしたのは、何も甘えのせいだけではないだろう?」


 やはり表情は乏しいものの、心を見透かしたかのようなカインの言葉に……。

 ノアは驚きながらも、それを認める。


 折しも階下からは――。

 その理由となる人物の「おそーい!」という怒声が、微かに響いたところだった。



「……ナビアはさ。本人も少し言ってたと思うけど、ああ見えて意外と身体が弱いんだ。

 ちょっとしたことで、すぐに体調を崩して寝込んだりする。

 だから、アイツに負担をかけたくなかった。

 いくら俺と同じ考えを持って、不老不死を否定して逃げ出す道を選んだとしても……つらい目には遭わせたくなかった。

 アイツがいつまでも変わらず笑っていられるように……。

 できる限り、苦労をしないですむように……したかったんだ」


 一度、階下からの呼び声に応えるように、ちらりと背後を振り返ったあと。

 「でも」とノアは続ける。



「……最近、分かってきたんだ。

 アイツは……平穏だからってだけで笑うんじゃなくて、自分を――いや、むしろ俺を励ますために笑うんじゃないかって。

 笑っていれば前を向けるって分かってるから……だから笑うんじゃないか、って。

 ――俺が思ってたより、ずっと強いんだな……って」


 ノアの言葉を受けて、カインは静かに――しかし満足そうに、うなずいた。


 当のノアは、その反応に……。

 嬉しいとも恥ずかしいとも言えない表情で、所在なく頭を掻く。



「――まあ、アイツ自身、それをどこまで分かってるのかは怪しいとこだけどさ」


 まるで、ノアのその発言が聞こえていて、それに対して意義を申し立てるような絶妙のタイミングで――。

 「おーにーいーちゃーん!」と、また階下から怒声が届けられる。



 それに対して、カインが珍しくはっきりとした苦笑を浮かべた。




「……取り敢えず、話はまた後にした方が良さそうだな」







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 20話まで読みました。 ナビアが可愛いくて、ノアは勿論、カインや読者にとっても清涼剤のような存在になっている気がします。 ヨシュアの行動は、普通に生きて死ぬ私達では想像もつかないような…
[良い点] おー。世界観が徐々に明らかに☆彡 そうかあ。新たな子が生まれにくいのなら、 そしてまた、すっごく長く生きているのならば。 ほんと。親子の関係そのものが、 希薄になっていたりしそうだね。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ