第08話
「なんというか、想像以上に広いですね」
石造りの豪華絢爛な造り。野球でも出来そうな広さの広間を見回しながら、俺は間抜けな声を出した。
何もない空間は余計に大きく見えるようで、向こう側の窓までの距離を確認しながら俺は傍らの老紳士に振り向く。
「これだけスペースがあれば何でもできそうですね」
「左様でございます。問題は、その何をするかですが」
リチャードは困ったようにモノクルを押さえた。
城下町の一等地に存在する巨大な建築物。王宮かと見間違うほどの宮殿めいた建物を俺はリチャードに案内されていた。
「いやはや、お恥ずかしい限り。国費を使い、絢爛な造りにはしたものの、使い道がさっぱりでして」
どうもこの建物、先代魔王が王家の力を誇示するために建てたもので、当初は宴会や祭事に使っていたようなのだが。
「現在は置物になっていると」
「そういうことでございます」
使われていないこともないようだが、それも年に数回。持て余していると言って間違いない。
勿体ないという言葉がぴったりだが、どうしたものかと俺は高い天井を見上げた。
「財政難の現状では新しい箱物を造っている余裕はありませぬ。なんとかここを再利用できればいいのですが」
「なるほど」
そこで俺に意見を聞こうというわけだ。確かに異世界からの知識を以てすればいいアイデアが出るかもしれない。
「どうですかテッペイ殿? なにか妙案は」
「さっぱり思いつきませんね」
俺は神妙な顔で言い放った。そんなこと急に言われても困る。
ただ、この広さがあればなんでもできそうではあるので、俺は腕を組んでリチャードの方を向いた。
「とりあえず色々考えてみます。なにか思いついたら言うので」
「おお! それは心強い! 頼りにしております!」
嬉しそうに笑顔を見せるリチャードに、俺はプレッシャーを感じつつも頷くのだった。
◆ ◆ ◆
「おらぁ! 俺の勝ちだッ!」
「うわ、くそっ! いいカード引いてやがるッ!」
リチャードと分かれた後、俺はけたたましい騒音の中で呆然と突っ立っていた。
目の前では角や牙の生えたお兄さんたちがなにやら盛り上がっているようで。というより目が血走っているようで。正直言って怖い。
「あー! お兄さん! 本当に来てくれはったんやあ!」
子犬のように怯えていた俺に救いの声がかけられた。振り向くと、ネココが嬉しそうに手を振りながら駆け寄ってくる。
その瞬間、酒場にいた客たちが俺の方へと睨みつけるような視線を向けた。
「んもう! 来てくれないかと思ってたんですよぉ。ほんま嬉しいわぁ!」
「ハハハ、ヤクソクダッタカラ」
ネココが上目遣いで肩をすり寄せてくる。
ごろごろと猫撫で声のネココは可愛らしいのだが、俺はそんなことよりも殺気じみた野郎共からの視線に身を竦ませていた。
「なんだあいつ、ネココちゃんと」
「殺そう」
「ああ、殺そう」
物騒な会話が聞こえてくるが聞こえないフリをした。どうやらネココはここの看板娘らしくて、常連客のちょっとしたアイドルらしい。
そんな子から甘えた声で歓迎されたものだから、俺の立場はライオンの檻に放り込まれた肉である。というか、客席に普通にライオン頭の人もいた。
殺される。そう思いながらも、俺はなんとかネココに気になったことを質問する。
「なんか、昼間よりも更に盛り上がってるね」
「ああ。うち、夜は賭場の許可取ってますよって。みんな好きなんですよ」
なるほどと俺は店内を見回した。テーブルには確かに、料理や酒の他にもカードや硬貨が積み上げられている。見たところポーカーのようなゲームに熱中しているようだ。
「お兄さんもどうです? お金持ちやし、みんな受けてくれる思いますよ」
「いやぁ、はは。僕はいいかな」
大学時代に一人寂しくカジったことはあるが、ポーカーそのままということもないだろう。ルールが分からないようなギャンブルに参加するのはごめん被ると、俺はカウンター席へと歩みを進めた。
「それにしても、本当に人気ですね。大盛況じゃないですか」
「まぁ、お酒もツマミも出ますからねぇ。うちはまだ繁盛してる方ですね」
お酒を頼むとネココは厨房へと戻っていった。店が繁盛すればそれだけウェイターは忙しくなるわけで、流行過ぎも困ったものだ。
(ギャンブルか。……んー、俺には合わないなぁ)
ネット対戦で仮想通貨やポイントをやりとりするくらいならともかく、現実の金銭を賭けるのは気が引ける。本番にとことん弱いことは自分がよく知っているので、俺は観客として客席を見守ることにした。
みんな楽しそうである。負けた人は悔しがってはいるが、それで喧嘩が起こるわけではない。粗雑そうに見えて、節度を守って遊んでいる証拠だろう。
「はい、お兄さんの分」
そうこうしているとネココが戻って木で出来たジョッキを目の前に置いてくれた。少し泡立っていて、見た目はビールみたいだ。
「わぁ、ありがとうございます」
「何杯でも遠慮せんでくださいねー」
笑って、そのまま忙しそうに次の客席に料理を運んでいくネココを見送る。なかなかに重いジョッキを口に運べば、甘い風味が口の中に広がった。
「あ、美味しい」
蜂蜜酒というのだろうか。見た目はビールに似ていると思ったが、味自体は少し白ワインに似ている。蜂蜜の風味がまだ残っていて、素直な甘口だ。
ビールは少し苦手なので、俺的にはこちらの方が飲みやすい。
「うん、うまいうまい」
ちゃんとアルコールも感じられるが、ぐいぐい飲める。度数のほどは分からないが、みんな何杯も頼んでいるようで、これは人気なはずだと俺はジョッキを傾けた。
「うぃー。酔ってきたぞ」
結構強い。ほどよく酔いが回ってきたのを感じながら、俺は魔界での一人酒をしばし楽しむのだった。