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第07話

「……あんた。もしかしなくても昨日、私の足の匂い嗅いでなかった?」

「ぎっくぅ!」


 開口一番、リリィの言葉に俺は身体を震わせた。だらだらと汗を流している俺を、リリィが呆れたような顔で見つめる。

 燦々と太陽が照りつける。魔王城の麓に栄える城下町の街道を、俺はリリィと一緒に歩いていた。


「なんというか……あんたってほんとダメよね。向こうの世界でモテなかったのも分かるってもんだわ」

「うぐぅ、返す言葉もございません」


 本当に何も言い返せない。しょんぼりと肩を落としていると、追撃をかけられた。


「思えば、マッサージのときも急に尻尾触ってくるし。ほんとマジありえないわ。まさかあんたが、あんなマニアックな変態ヤローだったなんて」

「……ごめんなさい」


 あれはどう考えても俺が悪い。思えば尻尾なんて敏感な場所だなんて当たり前だし、考えなしに触った俺に全面的な非がある。


 けれどもし、言い訳をしていいなら、仕方がないじゃないかとは思う。異種族云々の前に、そういうのが得意な連中はそういう経験を積んだから得意なわけで。なんの経験もない自分に怒るならせめて、そういう経験を優しく教えて欲しい。


「って……ちょ、ちょっと! そんなに落ち込まないでよ! なんか私が悪いみたいじゃない!」

「ごめん」


 肩を落とす俺に、リリィが「あーもう!」と髪を搔きむしった。

 申し訳ないと思った矢先、手のひらが何か柔らかいものに包まれる。


「へ?」


 そのままぐいっと引っ張られる。身体のバランスが崩れ、前を見るとそこには俺の手を引くリリィの姿があった。


「ちょ、ちょっとリリィ!?」

「あーもう、うるさい! これくらいでキョドってんじゃないわよ!」


 ずんずんとリリィは王都の街を進んでいく。俺はついて行くので精一杯だ。

 ただ、手のひらから感じる柔らかさに、俺は慌てて口を開いた。


「リリィ! やっぱちょっと! そ、外だし!」


 我ながら情けないことを言ってしまう。けれど、少女に引かれる男が一人。行き交う人がチラチラとこちらを見てきて、俺はなんだか恥ずかしくなって顔を赤くした。


「いいの! あんたは私の婚約者なんだから! 結婚は仮でもね、そこんとこ忘れるんじゃないわよ!」


 目を見開く。そして、ぎゅっと握る力が強くなった。


(リリィ……)


 揺れる桃色のサイドテール。前を行かれて分からないけど、もしかしたらリリィも恥ずかしいのかもしれない。


 昨日なんて、マッサージをしたのに。なんなら腰も尻尾も触ったのに。どうしてこんなにも身体が熱くなるんだと、俺は自分の変化に戸惑った。


「あ、ありがとう!」


 これだけは伝えないと。そう思い、突き進むリリィに向かって声を張り上げる。

 ほんの一瞬だけぴたりとリリィの歩みが止まって、けれどすぐに再び前に進み出した。


 更に強くなった手のひらの温かさを感じながら、俺は魔界のお姫様をしっかりと見つめる。


 恐る恐る強くしてみた手のひらは、怒られることはなかった。



 ◆  ◆  ◆

 


 街行く人々を眺めながら、俺は唖然と口を開いた。

 右手の温かさに気分をよくしながら、きょろきょろと辺りを見回す。


「それにしても……色んな人がいるな」

「あーたりまえでしょ? 王都よ王都? 魔界の中でもとびきり賑やかだっての」


 呆れたようにリリィが言うが、俺が驚いているのは人の多さではない。なんなら、人の数なら新宿の駅のほうが何倍も上だ。

 けれど、新宿の街で歩いているのは人間なわけで。


「あっと、す、すみません!」


 思わず肩がぶつかった人に、俺は全力で謝った。

 慌てる俺に、リリィが盛大なため息を吐く。


「はぁあ、この小心者が私の旦那って。勘弁して欲しいわよマジで」

「い、いやだって。あの人……」


 言いながら、リリィに言っても仕方がないことに気がつく。

 先ほどぶつかった男の人に振り返り、俺はごくりと唾を飲み込んだ。


(ほ、骨?)


 怪物の骨。そうとしか表現できない。

 まるで恐竜の化石が、そのまま動き出したような。そんな見た目の化け物が、きちんと服を着て歩いているのだ。


 彼だけではない。街を行き交う人を見回せば、やれ角だのやれ尻尾だの、翼や触手になんでもござれだ。

 まるでRPGゲームの世界。いや、少し違うか。人間は自分だけで、本来ならば敵キャラの彼らは至って平和に生活の営みを送っている。


「うおっ!?」


 傍らを、やけに露出の激しい女性が通り過ぎる。ビキニのような上着からこぼれそうな胸も、今の俺の目には止まらない。

 ずるずると大きく長い蛇の尻尾を引きずって行く彼女を、俺は「ほぇー」と見送った。

 確か、ラミアとでもいうのだろうか。セクシーなお姉さんの上半身に巨大な蛇の下半身は、否が応にもここが異世界であることを伝えてくる。


 ネココなんかはまだ人間に猫の耳と尻尾が生えただけだが、ラミアの尻尾なんかはコスプレで通すには本格的すぎる。


「ちょっと、なに他の雌に鼻の下伸ばしてんのよ」

「へっ?」


 じとりと、リリィが目を細めて睨んできた。

 それが先ほどのラミアの女性を指しているのだと気がついて、俺はぶんぶんと首を振る。


「ち、違う違うっ! 胸じゃなくて、尻尾をっ!」

「はぁー!? あんた、あんな蛇女が好みなの!? 自分は二足歩行のくせして!? マジ信じらんない!」


 切れ長の目が怒ったように俺を見つめる。リリィは俺と繫がった左手を見つめると、それを思いきり振り払った。


「いつまで握ってんのよっ!」


 叩きつけられるように振り払われた右手が宙を切る。先ほどまで感じていた温かさが搔き消えて、俺は寂しくなった手のひらを見つめた。

 なんともこの世は諸行無常だ。幸せな時間は驚くほどに短い。


「うう、ごめんって」

「ほんとマジ最悪だわ。人がちょっと気を許したら、他のメスに尻尾振って」


 ずんずんとリリィが人並みをかき分けていく。明らかに機嫌が悪くなったリリィの背中を必死に追いかけながら、俺は異形の人々の街を進んでいった。


(もしかしてリリィ……ヤキモチ焼いてくれたのかな)


 ふとそんな考えが頭を過ぎる。そりゃあ自意識過剰だとは思うが、もしかしたら、ちょっとだけ。


「……あんた、まさか私がヤキモチ焼いてるとか思ってないでしょうね。あんま調子乗ってると叩き出すわよ」

「ソ、ソンナコトオモッテナイヨ」


 振り返ったリリィに釘を刺された。やはり浮かれるとろくなことがない。

 リリィは仕方なく俺といてくれているだけなのだ。言うほど嫌われてはないのかもしれないが、それを好意と勘違いしては彼女にも失礼だろう。


(でも、女の子と手を繫いだぞ)


 これは進歩だ。ここ数日で、加速度的に俺の人生における「一度はやってみたいことランキング」が埋められている。この調子で上手く行けば、いつかはもう何個かは埋まるかもしれない。


「ふふふふ」

「……大丈夫? めっちゃ気持ち悪い顔してるわよ」


 怪訝そうなリリィに心を軽く折られながら、俺は魔界の街を婚約者のお姫様と一緒に堂々と歩いていくのだった。



 ◆  ◆  ◆



「うわーすごい。リリィだ」


 見上げた先の顔を見つめて、俺はあんぐりと口を開けた。


「ふふん、すごいでしょう」

「すごいすごい! リリィって本当にお姫様なんだなぁ」


 得意げなリリィに頷きながら、目の前の巨大なリリィを眺める。

 王都の広場。そこにはリリィの銅像がこれでもかと目立つように配置されていた。


 煌びやかなドレスを身にまとい、憂いを帯びた表情で立つリリィはまるで童話に出てくるお姫様だ。

 現実のリリィと見比べて「銅像の方がお姫様っぽいぞ」と思ったが黙っておくことにした。俺も成長しているのだ。


「そういったら、今日は地味な格好だね。マスクもしてるし」

「当たり前でしょ、王女が城下町をぶらぶら歩いてたらまずいわよ」


 リリィの返事に合点がいったと俺は手を叩く。

 今日のリリィはいつものドレスではなく平民のような服装で、顔は布のマスクで覆っていた。簡素なものだが、なんとなくアラビアンな感じで可愛い。


「なによ」

「いや、普通の服も可愛いなぁって」


 なんか、リリィを身近に感じられる。豪奢なドレスは確かにお姫様で可愛らしいのだが、平凡な生まれの俺から見れば非現実的なのだ。それに、なんだかんだでドレスよりも身体のラインが出るので目にも嬉しい。


「ば、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ。ほら、見たなら行くわよ。あんまりここにいたらバレそうだわ」


 それもそうだ。いくらマスクをしていても、リリィの美貌は目立つ。面倒なことになる前にと、俺はリリィと一緒に広場を後にした。



 ◆  ◆  ◆



「……異世界から来たあんたから見てさ、この街ってどうなの?」


 帰り道、傾いてきた日を浴びながらリリィがぽつりと呟いた。

 彼女にしては珍しく真剣な声色に、俺も改めて街を見回す。


 亜人に獣人、角に翼に牙に爪。身体の大きさも歩き方も、街行く人たちは皆違う。

 行きのとき見かけたようなラミアの女性が、嬉しそうな顔で狼の獣人と腕を組んでデートしていた。


「いいところだと思うよ。正直言うと、もっと怖くてめちゃくちゃなとこだと思ってた」


 なにせ魔界だ。文明度だって地球とは全然違う。

 だけど街は至って平和そのもので、こんなにも色々な種族の人たちが暮らしているのに争い一つ見かけない。


 そりゃあ難しい問題もたくさんあるのだろうが、けれど俺は今日リリィと一緒に見た街の素直な感想を言葉にした。


「俺の世界じゃあさ、肌の色が違うだけで喧嘩したり。それ考えたら、この世界の人たちなんて何もかもが違うだろ? いい人たちなんだなって思うよ」

「……そっか。ありがと」


 口にして、ぼんやりと「そういえば俺、魔王になるんだよな」と考えた。

 思えば大変なことだ。ポッと異世界からやってきただけの俺が、この人たちの上に立つ。いいのかなと思いつつ、少し怖くなって背中が震えた。


「シャンとしなさいよね、ほんと」

「が、頑張ります」


 もしかしなくてもリリィは、これを見せるために俺を街に連れ出したのだろう。

 凄いなと思いながら、俺はリリィの隣を歩きながら街を眺めた。


 異形の者が集う、魔王城の城下町。そこでは猫も喋れば人魚が噴水で遊んでいる。そんな街に、魔王として呼ばれた者がいるらしい。

 そいつはどうもニンゲンという大外れで、自分になにができるかを目下のところ模索中だ。


 どうしたものか。そう考えていると、ふと指先を柔らかな刺激が触れた。

 驚いて見てみると、リリィの右手が俺の左手と繫がっている。


「慣れてもらわないと困るでしょ」

「そ、そっか」


 澄まし顔でリリィに言われ、俺は平静を装った。

 慣れる日なんて来るのだろうか。果てしなく疑問しかないことを考えながら、自分の心臓に落ち着けと強く念じた。


 争いのない魔界の街で、悪魔のお姫様と手を繫いで歩いている。

 もしかしたら、いやしなくても、呼ばれてよかったかもしれないと思いながら、俺は長く伸びる自分とリリィの影を見下ろした。


「ま、私たちの世界でもエルフとダークエルフなんか、しょっちゅう殺し合いしてるんだけどね」

「台無しだなおい」


 なぜ今ここでそれを言うのか。切なそうに眉を下げた俺を見て、ケラケラと嬉しそうにリリィが笑う。

 なにはともあれ魔王の道は険しそうだが、この子とならば大丈夫な気がする。そんなことを考えながら、俺は左手を少しだけ、ほんの少しだけ強く握りしめるのだった。

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