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第06話

「はぁー!? お金が欲しいい!?」


 その夜、俺は呆れたように眉を寄せるリリィの声を聞いていた。

 ベッドの傍らに正座して、申し訳ないと頭を下げる。


「あんた、仮にも魔王になろうともあろうものが……さ、酒場のメスにお金借りるって。ちょっと考えれば、あんたの世界の通貨が使えないことくらい分かるでしょうに」

「申し開きもございませぬ」


 深々と頭を下げる俺に、リリィは「まぁいいわ」とため息を吐いた。全面的に俺が悪いので、俺も素直に反省する。


「王都の酒場でご飯食べて、お金がありませんじゃ袋叩きにされても文句言えないわよ? よく許してもらえたわね」

「まぁ、そこはなんとか。立て替えてもらえて」


 昼間、日本円しか持っていないことに焦る俺を救ってくれたのはネココだった。

 固まる俺に「どうしたんや?」と聞いてきてくれたので、少し悪いと思ったが「財布を忘れてきた」と噓を付いたのだ。


「立て替えた? 誰が?」

「ウェイターの子が」


 それを聞いたネココは満面の笑みで胸を叩いた。「ええて、ええて。任せときぃ」と、ツケにしてくれたのだ。その代わり、また明日来てくれと言われてしまった。


「ふぅーん、ウェイターねぇ。物好きな奴もいるもんね。……ま、いいわ。踏み倒すわけにもいかないし、ご飯代くらい出してあげるわよ」

「おお、ありがとうリリィ」


 恩に着ますと、俺は再び頭を下げる。それに「調子いいんだから」と目を細めて、リリィは小さな袋を差し出した。

 受け取り、そのずっしりとした重さにびっくりする。


「うわ、金貨じゃん! いいのか? こんなに貰って」


 袋の中には金色や銀色の硬貨が何枚も入っていた。この世界の通貨のことはよく知らないが、どこからどう見ても酒場の昼食代にしては高額そうだ。


「そんなもんじゃないの? 庶民の店になんか入らないから分かんないけど。足りないよりマシでしょ。余った分は、まぁお小遣いにでもしなさいな」

「お、おお……ありがとうリリィ」


 ツケを払いにいって「足りません」では話にならない。ただ、大金をポンと貰うなんて慣れていないから戸惑ってしまう。残った分は返せばいいと思いながら、俺は懐に袋をしまった。


「それで、そのウェイターてのはどんな奴なのよ? なんか随分と親しくなったみたいだけど」

「ん? ああ、可愛い亜人の女の子だよ。猫族の」


 その瞬間、ぴきりとリリィの額に筋が入った。きょとんとリリィを見てみれば、なぜか睨みつけるように俺を見下ろしてきている。


「ほぉーん。へぇー。可愛い亜人の。にゃーにゃー猫なで声の」

「い、いや。にゃーにゃーは言ってなかったかな」


 急に機嫌が悪くなったリリィを見やる。どうしたんだろうという俺の視線に、リリィはぷいとそっぽを向いた。


「まぁ別に? あんたが誰と仲良くなろうが知ったこっちゃないけどね!」

「う、うん」


 特段仲良くなったわけではないが。まぁ知り合いがいるというのはいいことだろう。俺は貰った小袋を握りしめながら、猫口の店員さんへと思いを馳せるのだった。


「あんた、今晩毛布抜きね」

「なんで!?」



 ◆  ◆  ◆



「こ、こんなに受け取れませんよっ!」


 翌日、再び訪れた酒場でネココがぶんぶんと首を振った。

 値段が分からないのでとりあえず払ってみた金貨一枚。それを突っ返されて、俺はマジマジとコインを見つめる。


「これってそんなに高価なの?」

「当たり前ですよ! 金貨ですよ金貨!? それ一枚あったら、うちで一月どころか半年は余裕でご飯食べれますよ!」


 ネココに言われ、ぎょっとして俺はコインを握りしめた。辺りを見回し、自分とネココしかいないことを確認する。

 混んでいるときに返金しに行くのもアレかと思い営業前に顔を出してみたのだが、どうやら正解だったようだ。


 焦りながら金貨を袋にしまう俺を見て、ネココがその中身に目を丸くさせた。なにせ中には金貨も銀貨もじゃらじゃらと入っているのだ。


「お、お兄さん、マジでなんのお仕事してるんです? もしかして危ない系の人?」

「大丈夫大丈夫」


 とりあえずと、俺は小さな銀の棒貨を取り出した。ネココに渡すと、にっこりと笑って頷かれる。


「これならうちの一月分くらいですよ。お釣り渡しましょうか?」

「ごめん、お願いできるかな」


 申し訳ないと頭を下げる。腰に付けたポシェットから、ネココは十数枚の硬貨を俺に手渡した。

 光が鈍く、表面も薄汚れていて錆びたり緑色に変色したりている。日本の十円玉をうんと汚くした感じだ。日本史の教科書で出てきそうな雰囲気だった。


「これ一枚で日替わり一回食べれますんで」

「なるほど。ありがとうね」


 聞けば、庶民は金貨や銀貨を使うことはほとんどないらしい。貯金のときなど財産として所持することはあるが、普段の買い物で使うことはまずないそうだ。


「金貨とか。家買うときくらいしか使いませんよ」

「そ、そうなんだ」


 呆れ果てたネココの顔を見て、俺は今後リリィの金銭感覚を一切信用しないと心に決めた。


「実は俺、外国から来たばかりでね。ここの世事に疎いんだ」

「あー、それでですか。お金とかも国によって違いますもんね」


 納得したように頷くネココにほっと胸をなで下ろす。せっかく打ち解けた仲だしと、俺はネココに気になっていたことを聞いてみることにした。


「それで、この街の公共事業とか……そういうのをやってくれって呼ばれたんだけど……実際のところどんな感じなの?」

「んー、ぶっちゃけ厳しいですねぇ。先代の魔王さんの頃は戦争にも勝って景気もよかったけど、今は全然って感じですよ」


 あっけらかんとネココは話す。意外な言葉に、俺はきょとんとネココを見つめた。見る限り、活気に溢れたいい城下町のように思えたからだ。


「そうなんだ。活気あるように見えるけど」

「いっても王都ですからね。そりゃあ田舎よりはマシですけど、庶民の懐は淋しいもんですよ。特にあの王女さん? アレはあきまへん」


 出てきた言葉に、心臓がどきりと跳ねた。王女なんて呼ばれるのは、俺の知る限りでは一人しかいない。


「えっと、その……王女っていうと……リリィ姫?」

「あー、そうですそうです。あの人、てんで何もできませんから」


 びしゃりと切って捨てられ、俺は思わず苦笑してしまった。俺のことを外様者だと聞いたからか、ネココは歯に衣着せずに話を続ける。


「例の失言が有名ですけどね、それ以前に何にもしてませんし。まぁ箱入りのお嬢さんに市政を任すのはキツいですよ」

「失言?」


 初耳だ。確かにあのリリィなら失言の一つや二つしてそうだが、なにを言ったのだろうか。

 不安そうに見つめる俺に向かって、ネココはあっけらかんと言い放った。


「スピーチのとき、不景気のこと聞かれて『お金がないならなんか売ればいいじゃない』って」

「お、おおう」


 頭がくらりと揺れた。なにを言ってるんだあの人は。リチャードの苦労も忍ばれるというものだ。

 絶対にリリィに政治を任せてはいけないと心に刻み込みながら、俺は痛くなってきた頭で乾いた笑いを浮かべた。


 そんな俺の顔を覗き込みながら、ネココがニヤリと笑って顔を近づける。


「お兄さん、もしかしてお姫さんの雇われですか? そんならうち、お姫さんのこと応援しよかなぁ」

「はは……まぁ、そんな感じです」


 濁しながら、俺はどうしたもんかと考え込む。どうもリリィは嫌われているという以前に頼りにならないと思われているようだ。リチャードが新しい魔王に意気込んでいるのも、そういう事情もあるのだろう。

 思案する俺に、ネココは言い切った。


「ぶっちゃけ、誰もお姫さん自体には期待してませんよ。大臣さんだろうが役人さんだろうが、景気良うしてくれるなら誰でもええんです。部下が優秀ならそれでええんですよ」

「なるほど」


 言われてみれば至極もっともで、リリィが敏腕の政治家になる必要はない。それこそ、俺でもリチャードでも、どちらかが目立った成績を出せばそれがそのままリリィの支持に繫がるということだ。


「まぁお兄さんがいますしぃ、これでお姫さんも安泰やわぁ。応援してますから」

「あ、ありがとうございます」


 猫なで声のネココに軽く身を引いてしまう。なにやら好意的なものを持たれているようだが、なんとなく危険な感じだということは俺にも分かる。


「いや、でも助かりましたネココさん。ありがとうございます」

「ほんま? 役に立った?」


 礼を言われ、嬉しそうにネココの耳が跳ねる。しなだれかかりながら、ネココは指の先を俺の胸元に押しつけた。


「お礼に今度、うちと遊んでくれません? どっかデート行きましょうよぉ」

「え、いやそれは……その、まずいというか」


 イジイジと動かされる指先にどきどきしながら、俺は平静を装ってきっぱりと断ろうと口を開いたのだった。



 ◆  ◆  ◆



「それで、デートの約束をしてきたわけね?」

「いやその、デートっていうか、また食べにきますって。それだけっていうか」


 その夜、俺は三度みたびベッドの傍らで正座をしてリリィの視線に晒されていた。

 ギロリと睨みつけられて、ばつが悪そうに視線を外してしまう。


「別に、あんたがどこの雌とイチャコラしようがどうでもいいんだけどさ。一応は私の婚約者なわけよね? そこんとこどうなのよ」

「も、申し訳ございません」


 腕を組み、脚も組んだリリィに正直に頭を下げる。店の常連になってウェイターと親しくなっただけなのだが、リリィからすれば面白くなかったようだ。


「……決めたわ。あんた、明日私とデートしなさい」

「へぅ?」


 突然言われ、間抜けな声を上げてしまった。そんな俺を、ぎょろりとリリィが睨みつける。


「なによ、私とデートするのがそんなに嫌なわけ?」

「い、嫌なわけないよ! 嬉しい! すっごく嬉しい!」


 慌てて「わーい!」と両手を上げる。それを胡散臭そうに見下ろしながら、リリィは眉を寄せたまま言葉を続けた。


「それで、どっちなのよ?」

「え?」


 質問され、俺はきょとんと返事をした。どっちと言われても、なにがなにやら分からない。

 分かっていない風な俺を見て、リリィはげしりと顔を踏んづけた。


「へぶっ」


 柔らかなリリィの足の裏が顔に当たり、思わず声が漏れてしまう。


「だーかーらー、私とその雌猫、どっちが可愛いかって聞いてんのよ!」

「へぶっ、ぶっ!」

 

 げしげしと、リリィの足の裏が連打される。とりあえず逃れようと、俺は至極当然のように答えた。


「可愛いって……そりゃあ、リリィだけど」

「へ!?」


 ぴたりとリリィの足が止まる。

 別に、ご機嫌取りのためでもない。ネココも可愛いが、どちらかというと彼女は素朴というかボーイッシュで。好みはあるだろうが、その聞かれ方ならリリィと答えるのが正しいだろう。


「そ、そう。まぁ、当然よね。……いやまぁ、あんたに褒められても嬉しくもなんともないけど」


 少し機嫌が戻ったのか、リリィはぐりぐりと俺の顔を踏んできた。結局踏まれるのかと思いつつ、俺はリリィの足の匂いをとりあえず嗅いでみるのだった。

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