第04話
「公共事業……ですか?」
次の日、ギシギシとあちこち痛む身体に鞭を打ちつつ、俺は手元の資料に目を落とした。
見たこともない魔界の文字だが、不思議となにを書いているかが理解できる。
リチャードによると、数代前の魔王が異世界から持ち込んだバベル文字という誰でも読むことができる特殊な文字らしい。
「左様です。テッペイ殿にはこれから、魔王候補として魔王職の仕事を覚えていただかなくてはなりません。来年に予定している姫さまの戴冠式、それまでになんとしても魔王として一人前になってくださらなければ」
なかなかの無茶ぶりである。ただまぁ、俺の見た目が地味なことはリチャードも気にしているらしく、魔王として国民の前に出る前にそれらしい実績を作っておこうということだ。
そりゃあみんなの前で空を割ったり大地を砕いたりできれば手っ取り早いのだろうが、生憎とそんな魔王らしい技能は持ち合わせていない。
「でもあれですね。思ったより、なんか普通ですね。魔王って言うから、もっとこう天界と戦争とか勇者とバトルとか想像してました」
資料にはやれ財政がどうとか納税がどうとか、事務的な言葉や数字が並んでいる。なんとなく親近感もわくというものだ。
「勿論、この世界にも争いはありますよ。テッペイ殿の想像している、いわゆる戦争。それを勝利で終わらせ、この城下の礎を築いたのが先代の魔王様……リリィ様のお父上です」
「なるほど。つまり、リリィは英雄の娘ってわけですか」
リチャードの話に納得した。リリィが偉そうなのも分かるというものだ。国を救った英雄、その一人娘があのリリィお嬢様ということらしい。
「ちなみに、その先代の魔王様はどんな人だったんですか?」
「そうですね、一言でいうならば凄まじいお方でした。まさに一騎当千。ご本人の強靱な力もさることながら、特筆すべきはその魔力です。その膨大な魔力により、全ての魔王軍の兵の力を引き出すことが可能でした。あの方なくしては、我が魔界の勝利はなかったでしょう」
ちょっと目眩がしてきた。そんな怪物の次に引き当てられたのが自分という現実に、俺は軽く足下をふらつかせる。
一言感想を述べるのならば、戦時中の魔王が俺じゃなくてよかったということだけだ。一代ズレていれば、俺もろともにこの魔界も崩れ去っていたことだろう。
「あ、いえ! ですが今は平和そのものですし! 戦闘力よりも、求められているものは経済です! そういう意味では、テッペイ殿が選ばれたのも偶然ではないかも知れません」
「うう、そうなんですかね」
だといいが、綺麗さっぱり自信はない。大学でもう少し真面目に経済学でも習っておくんだったと、今更ながらに後悔する。
肩を落としている俺に、けれどリチャードは優しく現状を説明してくれた。
「実際、この国に経済が必要だというのは本当です。天界との戦争、魔界が魔王様の下で一致団結して戦ったのは事実ですが、その魔王様も今はおらず。周辺諸国の中には今や我が国よりも強大になりつつある国もあります」
リチャードによれば、魔界は今、大きな七つの国によって成り立っているらしい。
戦争以後、軍事力から経済力への時代に移行していて、どうやらその流れにこの国は一歩出遅れたようだ。
「ここだけのお話、先代の魔王様はその辺りは無頓着なお方でした。なにせ、他国との経済競争に負けそうだという進言をしても『そのときは滅ぼせばよい』と仰るような方でしたから」
「ね、根っからの戦闘民族だったんですね」
だからこそ戦争に勝てたとも言えるが、戦禍の英雄は平和な世界では不要だということだろう。根強い人気は勿論あるものの、若い国民の中には現状の王家の政治に不満を持つ人たちも多いようだ。
「目下のところ優先すべきは財政改革と外貨の獲得です。テッペイ殿には、その辺りをなんとかしてもらえればと思っております」
「なんとかって言われても」
手に余りすぎる話題だ。背中に出てきた脂汗を感じながら、俺は資料に目を落とした。
「期待しておりますよ」
なにをどうすればいいのやら。笑顔で微笑むリチャードを横目に見ながら、愛想笑いをして俺は手元の資料を睨みつけるのだった。
◆ ◆ ◆
「コーキョージギョー?」
ティーカップを片手に、リリィはきょとんとした顔を向けてきた。
「リチャードさんに頼まれてさ。俺も魔王になるんだし、そういうこともしていかないと。なんかいい案ないかな?」
「なにあんた、どっかと戦争すんの? 別にいいけど、するからには勝ちなさいよ」
どうやらリリィに聞いたのが間違いだったようだ。英雄の娘さまは、魔王の仕事イコール戦争かなにかだと思っているらしい。
「ごめん、リリィに聞いた俺が悪かったよ。ありがとうね」
「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ! あんた私のこと馬鹿にしてるでしょ!?」
ティータイムを邪魔しては悪い。そそくさと退出しようとした俺を、リリィが顔を真っ赤にして止めてきた。
振り返ると、なぜか仁王立ちして俺を睨んできている。
「私だって仮面とはいえ魔王の妻よ! なんだって聞いてきてみなさいよ!」
「えぇー」
正直、時間の無駄なような気がする。けれどやる気満々のリリィを無碍にするのもいかがなものかと思い、俺はリリィの対面に腰掛けた。
「観光資源とか、公共事業で雇用をとかって話なんだけど……分かる?」
「さっぱりこれっぽっちも分からないわね」
言い切られた。ここまで潔いのも羨ましいと思いつつ、しかし呆れたように俺はリリィに見つめられる。
「ただ、あんたやリチャードが馬鹿ちんっていうのは分かるわよ」
「へ?」
どういうことだと顔を見つめる俺に、リリィは口を開く。
「だってあんた、私たちの世界のこと何も知らないでしょ? せめて城下町くらいは知っておかないと……その、コーキョージギョー? もできるわけないじゃない」
「な、なるほど」
リリィの言う通りだった。魔王だ魔界だといきなり言われて焦ってしまっていたが、まずはこの国のことを知らないとどうしようもない。色々とリチャードから資料を読まされてなんとなく知った気になっていても、やはり自分の眼で見てみるのは大切だ。
言われてみれば、この世界に来てから数日ほど。俺はまだ魔王城から外に出てすらいないのだ。
「まぁ、いいタイミングだわ。ちょうどあんたに渡そうと思ってたものがあるのよ」
「俺に?」
なんだろう。リリィからプレゼントなんて珍しい。
ぽかんとしている俺に、リリィはなにやら手渡してきた。
「これは?」
アクセサリだろうか。手元のものを見つめて俺は首を傾げた。
ネックレスのようだが、しかし装飾品ではなさそうだ。紐になにやら木簡が通っていて、紋章のようなものが描かれている。
不思議そうな顔をしている俺に、リリィは「感謝してよね」と眉をつり上げた。
「あんたの分もわざわざ作って貰ったのよ。それはね、魔王城で働く者にだけ手渡される入城許可証よ。それを首から提げとけば、城でも街でも怪しまれることはないわ」
「おお、なるほど」
言ってしまえば社員証のようなものだ。魔王城で働いているとなれば、この世界では上等な部類なのだろうし。これで身分証明の心配はなくなった。
リリィはリリィで俺の仕事のことをちゃんと考えてくれていたのだ。申し訳なくなってちらりと顔を見てみると、得意げな表情で腕を組むリリィがそこにいた。
「……で? 私に言わないといけないことがあると思うんだけど」
「リリィ様、ありがとうございます」
大げさに、「へへー」と頭を下げて感謝する。それに「よろしい」と満足げに頷いて、リリィは紅茶のカップを口に付けた。
リリィに貰った木簡を見て、やる気がふつふつと湧いてくる。仮面だろうがなんだろうが関係ない。お嫁さんが自分の仕事にここまでしてくれているのだ。俺はリリィに宣言した。
「ほんとありがとうリリィ。大事にするよ。俺、頑張るから」
「ふぇ!? いや、別にそんな大切にしなくても……てっ! 近いわよ馬鹿!」
どうやら身を乗り出しすぎたようで、リリィにぺしんと叩かれてしまった。反省しつつ、大人しく席に戻る。
こほんと咳払いを一つして、リリィは俺に向かって「ああ、そうだ」と向き直った。
「魔王を召喚したって噂は流すけどね、あんたは身分を隠しなさい」
「ん? なんでだ」
どうせいつかはバレるのだ。しかし俺の疑問に、リリィは人差し指を立てて話を続ける。普段のお説教とは違い至って真面目な声色に俺は姿勢を正した。
「魔王っていうのはね、要はポッと出てきた巨大な政治力よ。勿論、私たちの世界の伝統でありほとんどの人たちは好意的に出迎えてくれるけれど、当然逆もまた然り。消えてほしいって立場の奴らも大勢いるわ」
リリィの説明に、ぞっと背筋が凍る。確かに、言われてみれば俺の存在を疎ましく思う政敵など、それこそ数え上げればキリがないだろう。
「わ、わかった。気をつけるよ」
リリィの声に俺はしっかりと頷く。
しかし、「それもあるけど」とリリィは眉を寄せながら、俺の顔をじっと見てきた。
「それに、あんたみたいな明らかにハズレな雄が魔王だってバレたら、王家の支持率とか下がりそうじゃない」
「そ、そうっすね」
この世界は人間に厳しい。そう思いながら、俺は入城証をしっかりと握りしめるのだった。