第37話
静寂が寝室を横切った。
ぽかんとリリィを見つめる。恥ずかしそうに頬を赤らめるリリィは、けれど視線を逸らすことなく俺の返事を待っているようだった。
「な、なんでもって……なんでも?」
「当たり前でしょ」
俺の間抜けな返事にも嫌な顔ひとつせず、リリィはこちらを見つめてきた。
これはなんというか、たぶんそういうことなのだろう。流石の俺でもリリィがなにを言いたいかは理解できる。
この間の続きを、させてくれるということだ。
でも、順序は色々と大事だと思って。
「じゃ、じゃあ……キス」
言い終わらなかった。キスをして欲しいと俺の口が動く前に、リリィの顔が飛び込んできた。
「んっ」
唇が合わさって、リリィが俺の顔に両手を添える。
何度も何度も、柔らかな唇が重なった。
「好き……んぅ」
熱っぽい眼差しが見える。リリィの視線だ。
されるがままに押し倒されて、俺は必死に唇を重ね続けるリリィの体温を感じていた。
「しよ、テッペー。して」
なにがとは言わない。俺も聞かない。
今度は失敗しないように。右手の証しを少しだけ確かめて、俺はリリィを引き寄せた。
◆ ◆ ◆
朝の日差しが窓から差し込み、俺は眩しさで目を覚ました。
のそりと起き上がり、ふかふかのベッドを触る。
「そっか、俺ようやく」
傍らで眠る世界一の少女を見て、俺は思わず笑みを浮かべた。
気持ちよさそうに、嬉しそうに眠っている。
思えば、初めは部屋の隅の床石からスタートしたのだ。そして仮面を被った夫婦であった。
「リリィ……大好きだよ」
そっと髪を撫でる。その瞬間、びくんとリリィの身体が跳ねた。
「し、知ってるわよ」
驚いたのは俺だ。見る見る顔が赤くなっていくリリィを見ながら、もう一度そっと頭を触った。もう一度リリィの顔がくすぐったそうに震え、観念したようにリリィは目を開いた。
「起きてたの?」
「さっきね。……あ、朝っぱらから人の髪触ってなに言ってんのよ」
恥ずかしさを誤魔化すためにか、睨むように俺を見てくる。
リリィが身体を横に向け、そのせいでシーツがめくれた。
露わになったリリィの身体に、俺は慌てて目を逸らす。
「……なによ。昨日さんざん見ておいて」
「で、でも夜だったし。薄暗かったからっ」
当然、リリィの裸を見るのは初めてではない。けれど、慣れるわけがないと俺は首を振った。
それを見たリリィが「ふーん」と目を細める。
「夜で暗かったからよく見えなかったんだ」
「そうそう! だから……!」
その瞬間、リリィはシーツをばさりとめくった。
今度こそ本当に、上から下までリリィの裸が白日の下に晒される。
「だ、だったらよく見なさいよ……いまなら明るいでしょ」
羞恥でリリィの頬が染まる。泳ぐ視線は恥ずかしさを表しているが、それでもぐっと身体を張っていた。
「リリィ!!」
「って、ちょっと!?」
理性の限界だった。思わず飛びついた俺を、リリィがぎょっとしながらも受け止める。
だんだん思い出してきた。完璧とは言えないまでも、俺にしては上出来の初めてだった。
というか、気持ちよかった。すごくすごく気持ちよかった。
これはあれだ。リリィがすごいんだ。
「リリィ! リリィ!」
「ちょ、待っ……あっ」
リリィはすごい。最強だ。
俺のリリィが最高だ。
「リリィー!!」
「あっ、ちょ……あふっ」
リリィ! リリィ! リリィー!!
「って、ちょっと待てって言ってるでしょうがああああッ!!」
「ぐふぅッ!」
リリィの右拳が唸りを上げ、俺は全裸のままベッドから床石へと飛んでいく。
以前の定位置へと墜落していく途中で、やはり調子に乗るのはダメだなと俺は肝に銘じるのだった。
◆ ◆ ◆
呆れ顔のリリィの膝の上で、俺は耳を澄ませていた。
「まったく、あんたはすぐ調子にのるから……」
「面目ないです」
さらさらと頭を撫でられて、気持ちよさに目が細まる。
なにも身につけていないリリィの膝枕は、柔らかさと温かさでどうにかなりそうだった。それにいい匂いがする。
「あっ、ちょっと動かないでよ。くすぐったいじゃない」
「ご、ごめん!」
リリィの顔を見上げようとして、慌てて頭の位置を固定した。
ゆっくりとした時間が流れ、なにか言おうと口を開く。
「えっとその……気持ちよかった。すごく」
「ッ! あ、当たり前でしょ? 私なんだから」
リリィの言葉にくすりと笑う。確かに、とんでもない説得力だ。
最高の女の子と、俺は最高の時間を過ごしている。
「あのさ……リリィはどうだった?」
勇気を出して聞いてみた。以前の俺なら考えられない。
少しだけリリィは考えて、優しく髪を撫でてくれた。
「ぶっちゃけ言っていい? 早すぎない?」
俺は死んだ。
どうやら勇気を出したのは失敗だったようだ。落ち込む俺に、慌ててリリィがフォローを入れる。
「いやほら、前に比べたら格段な進化よ! 慣れてきたらあんただって!」
「うう、ごめんよリリィ」
結構上手にできたと思っていたのに。現実は非情である。
慣れろって。あんな凶悪な代物に慣れる日など来るのだろうか。
「あーもう! 魔王がめそめそしない! あんたほんとこういうのはダメね!」
べしべしとリリィに叩かれる。
困ったようにリリィは眉を下げて、そして俺の耳元へと口を寄せた。
「……な、何回だってさせたげるから」
俺は死んだ。
こんなの反則だと思いながら、俺はリリィの顔を見上げる。
くすぐったいとは、怒られなかった。
「これから、ずっと一緒なんだから。……す、好きなだけさせたげるわよ」
俺は、この女の子のことを一生忘れないだろう。
魔界で出会った、異世界のプリンセス。
「愛してる」
どちらが先かは、いい勝負だった。




