第31話
休憩室に入ると、なぜかそこにリリィがいた。
なにやら難しそうな顔で腕を組んでいたが、俺が入ってきたことに気がつくとパッと笑顔を輝かせる。
「あ、テッペー!」
「リリィ、どうしたの?」
そういえばここに来る途中、休憩帰りのネココとすれ違ったのだが、含みのある笑みを浮かべていたなと思い出した。
「雌ネコがここで待ってればあんたに会えるって言ってたから」
「なるほど。……って、そうじゃなくて」
おそらく休憩室に案内したのはネココだろう。そこはファインプレイなのだが、俺にはリリィの行動を読むのは難しい。
俺の顔をふんすと見つめて、リリィはにっこりと笑みを浮かべた。
「あんた、あの雌ネコにきっぱりと引導を渡してやったらしいじゃない。それでこそ私のテッペーよ! 褒めてあげる」
「え? ああ、ネココさんと話したのか」
詳細は不明だが、ひとまずリリィは上機嫌のようだ。目を細くしながら満足そうに笑う姿は、相変わらず可愛らしい。
(ということは、ネココさんとのことは聞いてるのか)
少し気恥ずかしいが、それならそれで好都合ではある。俺は最初からリリィ一筋なわけで、それがリリィにもちゃんと伝わったようだ。
俺の顔を見上げながら、けれどリリィは少しだけ眉を寄せた。
「でも、私との交尾を雌ネコに相談するなんて。ほんと、どういう神経してんの?」
「面目次第もございません」
その話もしているのか。これはまずいですよと思うが、どうもリリィは話したこと自体を怒っているわけではないようだ。「それはともかく」と俺に向かって両手を広げた。
「ぐちぐち悩んで。雄ならどんと襲ってきなさいよ! なんならここで抱きなさい! 私を! 今すぐ!」
「えぇ……」
思わず声に出てしまった。案の定リリィはぷんすこと怒り出すが、さすがに無茶というものがある。
こんなとこで王女とおっ始めた日には、周りからどう言われようと反論できない。
「なによ! やっぱり私とするのが嫌なんだ! テッペーのくせに!」
「いやいや! そんなことはないよ!」
怒っているリリィの目尻に段々と涙が溜まってきているのを見て、俺はぎょっと目を見開いた。
うおー!と暴れるリリィをなんとか宥めつつ、俺は自分の馬鹿さ加減を後悔する。
「だってッ……テッペー、なんかすぐ寝るしッ。全然、襲ってこないしッ」
「ごめんって! 別に嫌なわけじゃないよ!」
自分なりにきちんとしてからと思ったつもりだったが、リリィへの配慮が足りていなかった。リリィだって勇気を出して次を誘ってくれたのだ、そりゃあ無視されていたら不安にもなる。
「……ほんとに?」
「ほんとほんと!」
勢いよく頷いて、それを見たリリィが鼻水を豪快にすすった。「じゃあなんで?」と聞かれて、そりゃそうだよなと俺はリリィの顔を見つめる。
「いやその、そういうのはちゃんと魔王になってからにしようと思ってさ。魔王になって、自信持ってリリィを抱くよ」
自分で言っててとんでもない。女の子と手も繋いだことがなかった奴が、今では女の子を待たそうとしている。
ただ、俺の精一杯のかっこつけを、リリィはじっと見つめて聞いてくれた。
「毎晩?」
「え? いや、毎晩!?」
思わず聞き返す。リリィの体力を考えたら身が保たなそうだ。
けれど、魔王になるというのはそういうことなのだろうと思い直し、俺は強く頷いた。
「わ、分かった! 任せろリリィ、毎晩だ!」
「……うーん、毎晩はいいかも」
どっちなんだ。せっかくの決意をかわされて、女の子ってよくわかんないわと俺はリリィを見つめる。
ただ、泣いていたリリィの顔がいつの間にか満面の笑みに戻っていて。
「むふー。楽しみ」
待ってるからねと笑うリリィに、俺はこくりと頷くのだった。
◆ ◆ ◆
「魔王の証ですか?」
その日、俺とリリィは寝室を訪ねてきたリチャードの話に首を傾げた。
「なにそれ。そんなものがあったら苦労しないわよ」
ソファでふんぞり返りながらリリィが言う。それには俺も同感で、そんなズバリなものがあるならこれ以上の話はない。
リチャードもそれは承知なのか、モノクルに指を当てながら一冊の本を見せつけた。
「わたくしもそう思っておりました。しかし、これを見てくださいませ」
「なによ……えっと『魔王の証明』? なにその古くさい本」
リリィの言うとおり、リチャードの持つ本はところどころ破れたりしていて、数百年の年期があると言われても違和感はない。
その中の1ページを開きながら、リチャードは丁寧な口調で説明し始めた。
「どうやら、王家には魔王に就任する際の試練のようなものがあったようなのです。その試練に打ち勝った者が魔王となる証を手にすることが出来る……と。事実、これに書かれている記録によれば歴代の魔王様方はその試練を乗り越えているご様子」
「試練ん? そんなの聞いたことないわね。……っていうかリチャード、あんたお父さまが魔王に就任したときに側にいたんでしょ? 他の四天王はともかく、なんであんたがその試練のこと知んないのよ」
もっともなリリィの指摘に、リチャードは面目なさそうに頭を下げた。ページに目を落とし、こんなものがあったとはといった様子だ。
「なにしろ、魔王様の活躍は非の打ち所がありませんでしたから。もしかしたらお母上はご存じだったのかもしれませんが、必要ないと判断なされたのでしょう」
「まぁ確かに……お父さまでダメなら誰が魔王やんのよって話だしね」
難しい顔をしながら、リリィは俺の顔をちらりと覗いた。
言いたいことは分かる。リリィのお父さんは大戦の英雄で、どれくらい凄かったかというと、そんな魔王の証なんて必要ないくらい皆から支持されていたということだ。
反面、俺がその証を持ってないのは非常にまずい。
それにリリィも気づいたのか、苛立たしげに爪を噛みしめた。
「まずいわね。そんな試練、テッペーにクリア出来るとは思えないわ。最悪……というかほぼ確実に死んじゃうわよ」
「……俺もそう思う」
なにせ魔王の証明をするための試練だ。どんな内容かは知らないが、正直なところただの人間である俺がクリアするビジョンが全く思い浮かばない。
「お父さまもやってないんだし、いっそ無視するってのは?」
「それはまずいでしょうな。ほぼ確実に反対勢力に問いただされます。その場合、各派閥の候補者たちで試練に挑む流れになりかねません」
というか、そうなるだろう。そして俺の出る幕はなくなりそうだ。
八方塞がりな状況に、リリィは「あーもう!」と髪を掻きむしった。
「内容は? 体力勝負じゃないなら、テッペーでもチャンスはあるわ」
「それが……どうも試練の内容は極秘事項のようで。一切の記述がありませぬ」
ページをめくりながら、リチャードが苦しそうに声を出す。当然といえば当然だが、ここに来てそれはあまりにも痛い。
けれど、リチャードはとあるページに指を止めて、うむと力強く頷いた。
「ですが、可能性はありそうですぞ」




