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第03話

 ガリガリと引かれる線を俺は不思議そうに見つめていた。

 寝室に戻ったリリィは金色に光る燭台を持ち上げると、それを床に向かって押しつけた。ピカピカに磨かれた床石に燭台の先が当たり、ガリガリと音を立てながら床に線が引かれていく。


 部屋の端から端まで。一直線に引かれたラインを満足そうに眺めながら、リリィは得意げに胸を張った。


「よーしできたわ!」


 ふふんと鼻を鳴らされて、俺は「できたって何が?」と顔で聞く。首を傾げる俺を見やって、リリィはやれやれと腕を組んだ。


「この線が私とあんたの境界線よ。いくら夫婦の真似をするっていっても、プライベートは大切でしょ? 線からこっちのスペースが私で、そっちがあんた」


 言われ、俺は足下に引かれた線を見下ろした。アイデア自体に文句はないが、明らかに気になるところが一点ある。


「……なんか、俺のスペース狭くない?」


 線からこっち。つまり俺の領土が部屋の五分の一ほどしかない。元々広い寝室とはいえ、ちょっとこれでは狭すぎる。

 それに加え、ベッドやらタンスやらといった家具たちも全て向こうの領土である。こちらの領土にあるものといえば、ピカピカの床石と壁だけ。窓が一つあるのが唯一の救いだ。


「はぁ? 贅沢な雄ねぇ。魔王候補っていっても、あんたはまだ平民で私は王族。これでも随分と譲歩してあげてるのよ。ほら、優しい私は施しもしてあげるわ」


 そう言うと、リリィはひらりと毛布をこちらに放ってきた。どうやらこれにくるまって眠れということらしい。

 毛布自体は上等なものなのだが、俺は硬く冷たい床石を見つめて小さくため息を吐いた。


 そんな俺を愉快そうに見つめながら、リリィがふふんと鼻を鳴らす。


「まぁ、そこまで言うなら私の領土に入ることを許そうじゃない。テッペイ、ほらマッサージしなさい」

「は?」


 おもむろにベッドに横になると、リリィはとんでもないことを言ってきた。聞き返すと、早く来なさいと急かされる。

 仕方がないのでベッドに上ると、リリィは薄い寝間着でごろんと横になっていた。


「ふふふ、光栄に思いなさい。あんたに私の身体に触る栄誉をあげるわ」

「栄誉って言われても……」


 そう言いながら、俺はちらりとリリィの身体に目を落とした。

 薄い生地はほんのりと肌の色が透けていて、そこからくっきり見えるお尻の形に俺はごくりと唾を飲み込んでしまう。


(い、いいのかな?)


 よくよく考えなくてもダメな気がする。リリィとの婚約は仮面で、要はリリィと俺は赤の他人だ。

 躊躇している俺に、リリィが呆れたように声をかけた。


「あんた昼間、私に抱きつかれてキョドってたでしょ?」

「うぐっ」


 痛いところを突かれ、思わず言葉が詰まる。それに再び溜め息を吐きながら、リリィはふりふりとお尻を揺らした。


「困るのよね、夫婦のふりしていこうってのにそんなんじゃ。最低限、私くらいには慣れてもらわないと」

「な、なるほど」


 言われてみれば尤もだ。このままではいつかボロが出てしまうだろう。

 致し方ないと、俺はリリィの腰辺りに両腕を近づけた。


 ぴとりと手のひらが当たり、その感触にぞくぞくと俺は背中を震わせる。


「……な、なに? どうしたの?」

「いや、ちょっと。感動して」


 苦節十九年。お母さんやりました。哲平はついに女の子の身体に触りました。しかもこんなに美少女です。


「お母さんやりました」

「え、ちょ。なに、ほんとになにっ? 怖いんだけど!?」


 得体の知れない雰囲気にリリィが焦っているようだが気にしないでおこう。

 ひとまず指令はこなさなければと、俺はぐいぐいとリリィの腰を指で押した。


「ど、どうです?」

「あんた下手くそねぇー」


 リリィの感想に心臓がどきりと跳ねる。下手くそと言われるのがこんなにもキツいものだったとは。

 マッサージでこれなのだから、初夜で下手くそなんぞと言われた日には一生のトラウマになりそうだ。


 逸る鼓動を抑えつつ、俺は腰を押す力を少し弱めた。


「あー、いい感じいい感じ。やればできるじゃない」

「そ、そうかな?」


 やったぜ。地味に嬉しいぞと思いながら、俺はリリィの腰を揉んでいく。

 女の子から褒められるのなんて久しぶりの感覚だ。か細いリリィの腰を押しながら、俺はちらりとリリィのお尻から伸びている尻尾を見つめた。


(そういったらコレ、本当に尻尾生えてるんだな)


 人間にはない器官。リリィが人間ではないことが、実感として目の前で揺れている。

 リリィは悪魔らしいが、そこからさらに様々な種族に分けられるらしい。言われてみれば尻尾はあるけれど角は生えていないし、本当に人間の女の子とほとんど変わらない感じだ。


 揺れる尻尾を見ていると、いったいどんな感触なのだろうと、ふいに好奇心がわいた。


「って、うひゃああっ!?」


 案外硬い。そんなことを思った瞬間、リリィの身体が大きく跳ねる。思わず触ってしまい、その反応に俺もびくりと身を竦ませた。


「な、なにすんのよッ! いきなり尻尾触るなんて……この変態ッ!」

「ひぃい! すみません!」


 怒りに身を任せたリリィが起きあがって睨みつけてくる。見るとその顔は赤く染まってて、どうやら無闇に触ってはいけない場所だったらしい。


「あんた経験ないとか言っておいて! な、なんて破廉恥な趣味してんのよ! 変態! ど変態!」

「ご、ごめん! ほんとごめんなさい!」


 振り上げた枕が叩き下ろされる。べしべしと高級そうな枕で殴打され、辺りに鳥の羽が舞い散った。


「この! この! どうだったのよ! 私のファーストタッチ奪っておいて! 硬かったか!? 硬かったのかこのヤロー!」

「ひゃああ! 硬かった! 硬かったですッ! ごめんなさいいッ!」


 リリィの怒号と俺の悲鳴が鳴り響く。

 これからの生活を想像して、俺は祈るように身を屈めるのだった。

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