第29話
「俺は、リリィが好きだ」
間を置かず言えたのは、きっと彼女のおかげだろう。
ネココは、俺の返事を悲痛そうに聞いていた。
一瞬だけ眉を寄せて、ぐっと悔しそうに拳を握る。
俺なんかのためにここまで頑張ってくれる女の子。好きかと聞かれれば、はいと言うしかないだろう。
だから、やっぱり彼女は強いのだ。きちんと比べるように、聞いてきてくれたから。
「ありがとうネココさん。俺、頑張るよ。ネココさんみたいに。リリィの隣で胸を張れるよう、頑張ってみようと思う」
平凡な俺がお姫さまと。どこまでも不安は尽きないけれど、逃げてちゃ目の前の彼女に申し訳ない。
俺より相応しい奴なんてたくさんいるんだろう。だけど、それでも目指すことはだめなことじゃないんだ。
俺は、少しだけ息を吸い込むと、ネココに向かって吐き出した。
「魔王になるよ。呼び出されたときはびっくりしたけど……俺なんかでいいのかって未だに思うけど、それでも……それでも俺は目指そうと思う。ネココさんが教えてくれたように、頑張ろうと思う」
今度こそ、ネココは驚ききったように目を見開いた。
一瞬なにを言っているのか聞き返そうとして、そして彼女の顔が悔しそうに目を瞑る。
「……ほんま、うちってアホやわ」
少しだけ、本当に少しだけ名残惜しそうに呟いて、ネココは俺へと顔を向けた。
きっぱりと、澄み切った顔だった。
「これで、さよならです。お仕事は頑張ります。お兄さんのことも、きっと忘れません。でも……うちが好きになるんは、ここまでです」
ここが恋の終わりだと、彼女は告げた。
やっぱり、強い。俺なんかより、よっぽど魔王の素質がある。
ネココの右手が伸びてきた。それを手に取り「ああ、終わったんだ」と
理解する。
心のどこかで、打ち明けたら……もしかしたらもう少しだけ。そんなことも、弱い俺は思ってしまう。そんな俺の弱さを見透かすように、しっかりしろとネココは右手を握りしめた。
「勝ち目のない勝負はしません。魔王の恋人は憧れるけど、この勝負、お兄さんとお姫さんの勝利です」
握りしめられた右手が痛くなる。ネココは一瞬だけ目を瞑った。
なにを思い出していたのだろうか。ただ、再び開いた彼女の目に後悔の二文字はない。
「立派な魔王になってください。お姫さんを幸せにしてあげてください。うちを振ったんですから、すごい人になってください」
なぜだか泣きそうになってしまい、俺はぐっと涙を堪えた。
彼女との関係がなんだったのか、それは俺には分からないけれど、それでも俺は目の前の少女を決して忘れない。
明日からも彼女はカジノにいるだろう。話しかければ笑ってくれるだろう。
けれど、目の前の彼女は、きっともうすぐいなくなる。
「大好きでした。お兄さんに振られたんは、うちの自慢です」
そんなことはない。俺の方が……俺の方こそ。
けれど意地でも言葉にはせずに、俺はネココをじっと見つめた。
右手が離れる。本当の本当に、これで終わりだ。
「さよなら、お兄さん」
ネココの声を聞きながら、俺は黙って頷いた。
◆ ◆ ◆
一際歓声のあがる場所に彼女は立っていた。
彼女の周りに溢れている笑顔を、俺は眩しそうに見つめてしまう。
カジノの中でも上得意が集うVIPルーム。その一等卓で、見事にカードを捌いている少女の尻尾が揺れる。
手先のスキルだけではない。彼女が口を開く度に楽しげな笑いがあがり、勝負の熱が加速していく。
『看板娘、なりますよ。お兄さんのためじゃなく、自分のために』
そんなことを言う彼女の目は、既に俺よりもずっと先を見据えていて。頑張らなくてはと、気を引き締めた。
「ネココさん、相変わらず凄まじい人気ですな。彼女の卓だけ、売り上げも尋常じゃありませんよ」
どこから現れたのか、資料を片手にリチャードがモノクルに指を置く。単純な収支だけではない。彼女の恩恵がどれほどのものか、ここで働くものなら誰もが知っている。
「特にここ最近の彼女は、以前にも増して目を見張るものがありますな。……もしや、テッペー殿がなにか?」
リチャードの言葉に俺はくすりと笑った。皆、俺を買い被りすぎだ。
俺なんていなくとも、彼女は変わらず強く進む。
「まさか。俺はなにもしていませんよ」
寧ろ、俺がいなくなったときの方が成績がいい。少し複雑に思いながら、俺はカジノ自慢の看板娘を見つめた。
ほんの少しだけ勿体なかったかなと思ってしまい、俺はそんな自分に苦笑する。
これじゃあ彼女に叱られてしまう。
消え去ってしまった時間の中の彼女を僅かに思い出しながら、俺は伸びをして声を出した。
「よーし! 俺たちも負けてられませんね!」
リチャードが頷き、俺たちは自分の持ち場に戻っていく。
最後に一度だけ振り返って、俺は小さく呟いた。
「さようなら、ネココさん」




