第26話
何秒そうしていたのだろう。
拘束していた腕の力が弱まり、リリィの唇がゆっくりと離れていく。
「三回目も、私だね」
細く糸を引いた舌先がちらりと覗き、俺はリリィの呟きを黙って聞いた。
熱を持ったリリィの顔がこちらを見つめてきている。
改めて見なくても、リリィは可愛い。とびきりだ。
こんな子とキスをしたことが未だに信じられなくて、俺はしどろもどろに視線を逸らした。
そんな俺の顔をリリィは両手で掴んで前に向ける。無理やり視線を合わせられたかと思えば、再び唇を重ねられた。
「……四回目も、私」
その一言にどきりと胸が鳴った。直感的に目の前の少女に適わないことを悟り、自然と強ばった身体が軋みをあげる。
リリィは止まらなかった。笑顔なのか嘲笑われているのか、ともかく何度めかの口づけが始まる。
いや、何度めかなんて分かりきっている。彼女が数えてくれているのだから。
「五回目も……六回目も、私」
二回連続したキスの後に、リリィは髪を掻き上げた。指で手ぐしを通す様子が妙に扇状的で、俺は吸い込まれるようにリリィの顔を見つめてしまう。
「ずっと、ずっと。百回目も、千回目も……私」
頷こうと思ったが、俺は得体の知れない力に押さえつけられるようにただただリリィを見上げていた。
彼女の口元が小さく動き、俺はなぜか久しぶりにリリィの声を聞いた気がした。
「あんた……私のことどう思ってるの?」
「え?」
思わず聞き返した。どう思ってるのかと言われても、そんなことは普段から伝えている。
「す、好きだけど」
そりゃあそうだ。むしろ「どう思ってるの?」はこちらの台詞である。けれどそんなこと言えるはずもなく、俺はじっとリリィの返事を待つことしかできない。
不服そうに、リリィは先ほどとは違うどこか気恥ずかしそうな眼差しで俺を見下ろした。
「どれくらい好きなのよ」
「え? ど、どれくらい?」
なんて質問をしてくるんだと俺は思った。ありきたりだが、経験不足の俺からすれば正しい解答をするのは不可能に近い。
両手を広げて「これくらい」とでも言えれば楽なのだろうが、それではダメだということくらいは俺にもわかる。
「私は……私は結構好きよ」
ずいと、リリィが俺に覆い被さってきた。キスのためではない。じっと、真っ直ぐに見つめながら話すリリィに俺は困惑してしまう。
正直、リリィも全然具体的じゃない。
「お、俺も……すごく好きだよ」
「だからどれくらいよ」
卑怯だ。そう思った。これが男女差別かと思ったが、そんなことを考えている場合ではないので必死になって出口を探す。
けれど、おろおろと俺が言葉の迷宮に囚われている間に、リリィは聞き間違いかと思うほどの答えを口にした。
「私は、その……してもいいかなってくらいには……好きよ」
「ふぇ!?」
間抜けな声が出た。してもいいと言われても、まさかとしか言いようがない。
ただ、なんとなくそうなんだろうと思いながら、けれど到底信じられずに俺は情けのないことに聞き返してしまう。
「な、なにを……?」
これはダメだ。せっかくリリィが勇気を出してくれているのに。言いながら後悔している俺の前で、リリィはか細く呟いた。
「結婚。ほんとの」
その瞬間、俺は自分で自分をぶん殴りたくなった。
ふるふると震えるリリィを見て、自分の間抜けさ加減に嫌気が差す。邪な考えに現を抜かしていた自分を消したくなった。
けれどそんなことは後だ。俺は、今度こそ本当に自分の気持ちを口にした。
「お、俺も! け……結婚しよう! 本当に、その……俺でいいなら!」
もっとスマートに言えないのか。そう思ったが、目の前のリリィの目が大きく見開く。
ごくりと唾を飲んで見つめると、リリィは嬉しそうに、それはもう嬉しそうに笑った。
「なによそれ! あはは! も、もっとかっこよく言えないの?」
「ご、ごめん」
もっともな言葉である。点数をつければ20点あればいい方の俺のプロポーズに、リリィは目に涙を浮かべながら笑っていた。
「はは、笑ったらなんか気が抜けちゃったわ。結婚はまた今度ね」
「ええっ!?」
驚きすぎて思わず声に出てしまった。なんだかんだで頑張ったのに、ここに来ての保留に俺は困惑するしかない。
一体全体さっきまでの時間はなんだったのかという俺の視線を受けて、リリィはさすがにばつが悪そうに頬を掻いた。
「いやー、つい勢いで言っちゃったけどさ。あんたが魔王になれないと結婚もなにもないわけよ。さっさと結果出して、ちゃっちゃっと魔王になんなさい」
「うっ……そ、それは確かに」
ここまで来れば大丈夫なような気もするが、かといってまだ安心はできない。例えばカジノ計画が今後大崩れするようなことがあり、王家の懐に甚大なマイナスがあったとあれば、リチャードはともかく周りの面々は俺を認めはしないだろう。
「でも、それにしたってさ」
「ふふふ、なによ。いっちょまえに文句言う気?」
ぷにぷにと頬をつつかれる。文句というわけではないが、それでもお互いに頑張って口にしたのだからなにか欲しい。
そんな俺の心を見透かしてか、リリィはくすりと笑って俺の耳元へと口を近づけた。
「まぁ確かに、あんたにしては上出来な告白だった気もしないではないわ」
「そ、そう言われると照れるけど」
というか、あれで上出来なら普段どんな風に思われているのか。
「ご褒美欲しいんでしょ」
「え?」
くすりと笑う声が聞こえた瞬間、リリィの吐息が耳に触れた。
「……じゃあさ、交尾しよっか?」




