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第25話

 心臓が止まりそうな音を確かに聞いた。


『あんた、あの雌猫とキスしてたでしょう?』


 リリィは確かにそう言ったのだ。

 目の前に座るリリィの背中を見つめながら、俺は湯船の中にいるにも関わらず冷たい汗を流していた。


「えっと……」

「いいわよ隠さないで。全部聞いてたから」


 普段と変わらぬ声色でリリィは続ける。


「お、起きてたんだ」

「途中からね。……あんたが悪いとは思ってないから安心して」


 ホッとしていいのか分からずに、俺はリリィの話を聞いていた。

 リリィの腕が伸び、ちゃぷちゃぷと小さく水面が揺れる。


「怒ってないんだ?」

「怒ってはいるわね」


 即答された。どきりと胸が鳴るが、リリィはなんの気ないように口を開く。


「あんたもあんな雌猫の一匹や二匹に踊らされてるんじゃないわよ。魔王になんのよ? 魔王に」

「め、面目ない」


 情けない限りである。その情けない姿をリリィをおぶった状態で見られていたわけで……。


「そういえば、あれファーストキスでしょう?」

「うっ」


 図星を突かれ口が止まった。リリィにわざわざ言うことではないと思っていたが、言葉を詰まらせた俺を見てリリィが笑う。


「呆れた。あんた、仮に私と今後キスするとしてよ? そのときファーストキスかどうか聞かれたらどうするつもりだったのよ」

「あ……」


 言われてみればその通りだ。そして誰としたのかと聞かれればそれも隠さねばならない。

 ちらりとリリィに目をやれば、お見通したかのように瞳が俺を見つめていた。


「そのとき、嘘付かれるよりはよっぽどマシだわ」


 仰け反り見上げてくるリリィは、濡れているからか妙に色っぽい。

 というよりも、ひとつの事実に気が付いて俺はどうしようもないほどに困惑した。


 だって、こんなんじゃまるで、いつか俺とリリィがキスをするみたいな。してもいいみたいな、そんなことをリリィは言っているような気がする。


「あっ」


 急にリリィの唇が目に入るようになり、俺は慌てて腰を引いた。

 理由は単純で、反応してしまったからだ。


 それに少し驚いたようにリリィの目が見開いて、けれどそれはすぐに優しい視線に変わった。


「なに、私とキスしたいの?」


 優しいけれど、意地悪そうな顔。そういえば、この子は悪魔だったなと思い出す。

 リリィはくすりと笑うと、俺の唇に右手の指を伸ばした。


「ほら、ちゅー」


 くすくすと笑いながらリリィの指が唇に触れる。だけど、そんなことだけで俺の頬は真っ赤に染まった。


「また後でね」

「お、おう」


 後でならいいんだ。と、そんなことを思いながら、俺は少しのぼせてきた頭を冷やすように水滴のついた天井を見上げるのだった。



 ◆  ◆  ◆



 落ち着かない足を揺らしていた。

 視線がせわしなく動き、ちょっとした物音にも身体が震える。


「ふぅ。いいお湯だったわね」


 聞こえてきた声のする方を見て、俺はあんぐりと口を開けた。


「なによ、私の顔になんか付いてる?」


 ぶんぶんと首を振った。付いてはないが、見てしまう。

 リリィはいつかの日のネグリジェ姿で立っていた。


 見たことはあるはずだが、こうして明るい部屋で立っている姿を見ると、どうしても意識してしまう。

 あのときは直視できなかったが、よく見ればリリィのネグリジェは色々なところが透けていた。


「に、似合ってる!」

「ありがと」


 なんとか言えた褒め言葉にリリィがくすりと笑う。濡れた髪をタオルで乾かしながら、リリィはゆっくりと俺の座るベッドへと近づいてきた。

 間近で見るとよく分かる。ネグリジェの生地が少しだけ前に出た部分に目が留まり、俺は慌てて視線を横にずらした。


「そうだテッペー。あんたにあげるものがあるから、ちょっと目瞑ってくんない?」

「え? あ、うん。わかった」


 リリィの素足に目をやっていると、そんなことを言われる。

 なんだろうと思ったが、ひとまず言われる通りに目を瞑った。


 暗い視界の中で、それでもリリィがそこにいるのを感じて、ひどくどきどきしてしまう。

 先ほどの風呂場でのやりとりを思い出して、俺は「まさか」と喉を乾かした。


「両手出して」


 けれど、俺の予想は外れたようだ。なにかを渡されるようで、少しだけ残念に思いつつ、俺はリリィへと広げた両手を差し出した。

 両手が包まれる。すぐに分かった、リリィの手のひらだ。そのまま身体が前に引かれ――


「……んっ」


 唇に、柔らかな感覚が触れ合った。

 手が更に引かれる。リリィのもう一つの手のひらが俺の後頭部を支え、押しつけるように引き込んだ。


「んぅ……ん」


 俺はなにも言うことができないまま、ただただリリィの唇を感じていた。馬鹿な俺にも分かる。今自分は、リリィとキスをしている。


 何度も何度もリリィの唇と俺の唇が重なった。舌は伴わないが、リリィの湿った吐息が合わさる度に口元を刺激する。

 どれくらいしていたのだろう。俺にとっては永遠のようにも思える時間が終わり、リリィの唇がゆっくりと離れた。


 目を開けていいのだろうか。半信半疑で、けれど恐る恐る瞼を開く。

 そこには、どこか熱を持った瞳で自分を見つめるリリィがいた。


「ファーストキス、私の」


 短く呟かれたが、言っていた「あげるもの」の答えであることに気がついた。

 どう答えたらいいか分からずに、俺はただ「ありがとう」と呟き返すので精一杯だった。


「あんたの二回目は、私だね」


 そう言うと、リリィは俺を押し倒した。

 小さく「あっ」と言う間もなく、いとも容易く俺はベッドに転がされる。


 そのまま、リリィの手が俺の両手を押しつけた。


「り、リリィ」


 動かない。動くはずがない。彼女に腕力で勝てるはずなどない。

 リリィの口元が笑ったように見えた。


「んっ」


 キスをされた。先ほどよりも強くリリィの唇が押し当てられ、そして柔らかな舌が小さく唇を刺激した。

 抵抗する暇もなく、するつもりもないのか、俺の口はリリィの侵入を歓迎する。


 リリィの身体の熱を感じながら、俺はされるがままに目の前の少女を受け入れた。


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