第23話
寝室に帰るとそこには豪快にイビキをかいて寝ているリリィの姿があった。
布団もかけず、ベッドで大の字になって爆睡している。
どうも俺の帰りを待ってくれていたようで、けれど我慢できずに寝てしまったのだろう。
起こさないようにしないとと思い、ゆっくりと足を運ぶと、寝ていたはずのリリィが目を覚ました。
「んが? ……あ、テッペーがいる」
こちらに顔を向けむくりと起きあがるリリィを眺めつつ、俺は上着を衣紋掛けにかけながら謝った。
「ごめん、起こしちゃったかな?」
「んーいい。待ってたのに寝ちゃってた」
くしくしと目を擦りつつ、リリィはこちらを見つめてくる。
時計を確認するといい時間だ。そろそろ風呂に入って寝ないと明日に支障が出てしまう。
「お風呂入ってくるから、リリィは先に寝てていいよ」
言うと、むっとリリィが眉を寄せた。せっかく起きたのにという表情だが、待たせるのも悪い。
支度を調えている俺に、リリィは呆れたように話しかけた。
「あんたね、こんな時間に大浴場が開いてるわけないでしょ。お風呂入りたいならもっと早く帰ってきなさいよ」
「あ、そうか。しまったなぁ」
時計をもう一度確認する。リリィの言う通り、大浴場は一時間ほど前に閉まってしまっている時間だった。
「しょうがないわねぇ。こんなことだろうと思って部屋のお風呂、お湯張ってるわよ。入りなさいよ」
「え? いいの? ありがとう、リリィ」
言われてみればボイラーが作動しているようで、リリィはお風呂を沸かして待っていてくれたらしい。
少し感動しつつ、俺はお言葉に甘えさせてもらうことにした。
◆ ◆ ◆
「おー、ほんとにお湯だ。いい感じだな」
湯船に手を入れて、感心したように声を出した。
この世界だと、こういう部屋に備え付けの浴室は大贅沢だ。シャワーを浴びるにしろお湯を張るにしろ、わざわざ薪で焚かないといけない。
さすがにその辺りは女中に任せているリリィだが、それでも気をきかせて自分専用だった風呂場を提供してくれたのは嬉しかった。
(というより、いつもここでリリィはお風呂に入ってるのか)
意識したとたん、なんだか妙に恥ずかしくなってきた。こほんと咳をひとつ払って、浴室を見回してみる。
壁にはボディブラシが何本も掛かっていて、どうやら毛先の柔らかさが違うようだった。俺なんかは素手にタオルなので、こういうのを見るとドキリとしてしまう。
「このブラシでリリィが」
手に取り、じっとブラシを見つめる。要はこのブラシはリリィの素肌に毎日接しているということで、しかも何本もあるということは身体の部位別に使い分けているということだ。
「……これだけ妙に柔らかいな」
なんの動物の毛なのだろう。ブラシとは思えないほどふわふわな毛先に、俺は「どこの部分のやつだろう」と思いを馳せる。そりゃあこれだけ柔らかいということは、さぞデリケートな部分――
「って、いかんいかん! そういうのはダメだぞ俺!」
ぶんぶんと首を振ってブラシを壁に戻した。せっかくのリリィの行為、こういう裏切りはよくない。
確かに刺激の強い空間だが、心頭滅却すればエロもまた涼しい。平静を装いつつ、俺は石鹸を手に泡立て始めるのだった。
◆ ◆ ◆
「うわー、めっちゃ泡立つ。いいシャンプー使ってるなぁ」
ブクブクと髪が泡で覆われていく感覚に、俺は思わず声を出した。
そもそもこの世界でシャンプーを使ってるのなんて貴族の御婦人方くらいだ。普通は石鹸で髪も身体も洗って、実質魔王城で働くような人ですら、大浴場ではそうしていた。
「確かに……リリィの香りだな」
くんくんと鼻を鳴らす。どこかで嗅いだことがあると思ったら、リリィの髪からよくしている匂いだ。
ただ、リリィはもっといい匂いである。シャンプーの香りは彼女の匂いの一部分で、他にもいろいろな香りが混ざってリリィの匂いになっているのだろう。
「っと、シャワーの蛇口が」
泡だらけの頭で蛇口を探る。しまったと思うが、どうやら慣れない浴室で見失ったらしい。
目を開けたら痛いだろうし、困ったなと思っていると浴室のドアがノックされた。
「テッペー、どう? ちゃんと入れてる?」
リリィの声だ。慣れない俺を心配してくれたようで、問題ないと返事をする。
「あ、リリィ。あったかくて気持ちいいよ。ありがとね」
お湯は問題なく張れていた。シャンプーの蛇口問題などは些細なことだ。俺の声を聞き、リリィは「ふーん」とそっけない返事をした。
「それならよかったわ。じゃあ、私も入るから」
「わかったー。……って、うん?」
聞き間違いだろうか。なんかリリィが「自分も入る」と言った気がする。
そこで、リリィもまだお風呂に入ってないのではという可能性に俺は行き着いた。眠ってしまったから入ってなかったのだ。
要は先ほどの言葉は「あんたが出たら私も入るわよ」であり、それはつまりリリィが一番風呂を譲ってくれたことに他ならない。
「それなら早いとこ出ないとな」
俺は急いで蛇口を探す。せっかくのお風呂だが、あまり遅くなってもリリィに悪い。
そんな風に俺が手の先に意識を集中させていると、背後でガチャと音が鳴った。
少し冷たい空気が背中を刺激し、それが再びガチャリと止まる。
「え?」
どう考えても扉が開いた気配だ。そして、誰かが俺の背後に立っている。
「……え?」
ひとつしかない可能性に思い至って、俺はそんなまさかと動きを止めた。
鼓動が速くなり、いやいやと内心首を振ってみる。
「私もまだだからさ、一緒に入るわよ」
少し照れたリリィの声が聞こえ、俺は心臓を止めかけた。




