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第19話


 城下町に建てられた、一軒の洋館。

 そこの持ち主のグラン・ジョセフは表向きは慈善事業を展開する政治家だが、裏では人身売買のビジネスで私腹を肥やしている。それは貴族の中では割と有名な話で、しかし今までそれを咎める者はいなかった。


 人身売買といっても、数世代前までは普通に行われていた奴隷産業。それによって反映してきたグラン家が現代もきな臭い事業に手を染めていても、周りは誰も文句を言わない。


 洋館の造りは素晴らしく、豪華絢爛な外壁と内装は、魔王城と比較しても決して見劣りするものではなかった。


 中でも彼の自慢はリビングに作られたステンドグラスの壁で、色とりどりに輝くガラスを眺めながら晩酌を楽しむのが彼の日課だ。

 総工費、1億ギニー。彼としても大奮発してこしらえたステンドグラスは、今日も華麗に月光を受け輝いていて――


「おらああああああああああああッッ!!!!」


 そのステンドグラスが、かけ声と共に粉砕された。


「うわああああああああああああッッ!!!!」


 あまりに突然の出来事に、グランは驚いて絶叫する。

 なにせ優雅に晩酌をしていたら、自慢のステンドグラスが粉々に砕け散りながら見慣れぬ少女が突っ込んできたのだ。


 吹き飛ぶガラスの破片がグランの身体に突き刺さる。咄嗟に顔だけ庇ったグランは、血みどろになった身体で必死になって助けを求めた。


「ひ、ひぃい! 誰かー!! 族が、族があああ!!」


 腰を抜かしながらもグランは扉へ向かおうとする。

 逃げまどうグランの首根っこを、突き破ってきた人影がむんずと掴み上げた。


「あんたがグラン・ジョセフね。ネタは挙がってんのよ、観念なさい」

「ひぃいいッ!! たす、助け……!!」


 太ったグランの巨体を軽く持ち上げながら、リリィは怒りの声を口にする。そんな凄惨たる現場に足を踏み入れながら、俺はただただ冷や汗を流していた。


「リリィ、あんまり手荒にしちゃ……」

「もうこいつで決まりでしょーが! 手加減は終わりよ手加減はァ!!」


 そう、あれから数時間。なんとリリィは犯人候補の貴族全員の屋敷に襲撃をかけたのだ。初めは「たのもー!」と玄関をぶち壊していたのだが、ふん縛って犯人でないと分かると、情報を仕入れ次のターゲットに。


 そうこうしている内に、3件目の貴族の屋敷でグラン家と共謀して王家のカジノ計画を頓挫させる計画書を発見した。


 既に共犯の貴族の屋敷は壊滅しており、首謀者たるグラン・ジョセフをリリィは憤怒の形相で睨み上げる。


「よくも私のテッペーをこけにしてくれたわね……ただで済むと思わないでよ!」

「ひぃい! 早く、だ……誰かー!!」


 そのときだ、グランの声に呼ばれるように屋敷に地響きが起こる。

 扉をバキリと開けて入ってきた牛男は、天井まで届くかというほどの大男だった。


 庶民の家よりも遙かに高い天井。そこに後頭部をすり付けている大男の身長は、優に3mを越えている。

 牛の頭部から荒い息を吐く大男に、グランはでかしたと口を開いた。


「おお! 来てくれたか! 早く、この不埒な族をぶっ殺してくれ!」


 どさくさに紛れてグランがリリィの捕縛から脱出する。悠然とリリィを見下ろす大男の背に隠れながら、グランは勝ち誇った笑みを浮かべた。


「こいつはな、東の国で見つけた拳闘のチャンピオンだ! 薬で多少凶暴になってもらったがな! はははー! お前らなんかすぐに肉塊に変えてくれるぞ!」


 大男が背中から巨大な戦斧を取り出す。大きく振りかぶる男の巨体に、けれどリリィは「ふーん」と目を細めた。

 しかし、あまりにも体格が違いすぎる。リリィがいくら普通の女の子よりも怪力とはいえ、これはまずいと俺はリチャードを見やった。


「り、リチャードさん! ここは一旦……」


 瞬間、大男の斧が唸りを上げる。

 一切の躊躇のない、殺害のための一振り。俺があっと思う間もなく、大男の戦斧がリリィの顔面に炸裂した――


「リリィ!!」


 叫ぶ。そんなまさかと鼓動が跳ねるが、しかし目の前に広がる光景に俺は唖然として息を呑んだ。


「……で、このデカブツがどうしたってのよ?」

「!?」


 牛男の瞳が驚愕に見開かれる。狂化したとはいえ、彼もまた百戦錬磨の拳闘士だ。当たり前のように片手で止められた己の戦斧を、牛男は信じられないと見つめた。


 少女の柔肌。そのはずなのに、自慢の戦斧はビキリとひび割れて刃をこぼしている。

 ぎゅっと握りしめて斧の刃を叩き割ると、リリィは呆れたような顔で牛男を見上げ拳を構えた。


「あんた、どっかのチャンピオンなんでしょ? こんなことやってなかったら、傷の一つくらいは貰ったかもね」


 振りかぶる。リリィの素直すぎる大振りに、俺は確かに光り輝くものを見た。

 戦争の英雄。覇王の血筋。リリィの言っていたことが、俺の脳にリフレインされる。


『いざとなったら、私がぶっ飛ばしてあげるから!』


 あれは、冗談でもなんでもなかったのだ。

 リリィの拳が光り輝く。それは、魔力によるものなのか、それともただの圧倒的な眩しさ故の幻想か。


「落とし前、つけさせてもらうわよ」


 ぶん殴る。ただ真っ直ぐに、ただ純粋に。

 牛男の鍛え上げられた身体に、リリィの拳が炸裂した。生身に見えるが筋力増強に鋼化の魔法が組み込まれた無敵の肉体。その鋼の肉体が、轟音と共に弾け飛ぶ。


「ひっ!」


 吹き飛ばされた牛男の身体が、後ろに隠れていたグランに襲いかかった。慌てて逃げようとするが既に遅い。


「ぷぎゃっ!!」


 蛙が潰れるような音と共に、グランは牛男にぶつかって間抜けな声を上げた。

 そのまま二人は壁を突き破り、屋敷を破壊しながらの遙か遠くへ飛んでいく。


「……よし! 一件落着ね!」


 壁に開いた大穴を満足そうに眺めるリリィを見やりつつ、俺は開いた口を塞ぐことも忘れてただただその惨状を見つめているのだった。



 ◆  ◆  ◆



「ね! だから言ったでしょ!? 私に任せておきなさいって!」


 その日、リリィは大満足といったように上機嫌だった。

 寝室でにこにこと笑顔を振りまくリリィを見やりながら、俺は先ほどのことを思い出す。


 下手人であるグランのその後はリチャードが処理することになった。少し気になったが「テッペー殿にはまだ早いですね」と言ったリチャードの笑みが意味深で、あまり深くは聞いていない。


「その……リリィって強かったんだね」

「当たり前でしょ? 私のお父さまを誰だと思ってんのよ」


 当然のように応えるリリィに、俺は「そりゃそうだ」と納得した。魔界を手中に収めた大英雄さまだ。俺なんかとは当たりの具合が違う。


 目の当たりにしたリリィの規格外のあれこれに、俺はもう笑うしかないなと微笑んだ。


「なんか、ごめんね。本当は俺がやらなきゃいけないんだろうしさ」


 随分とまぁ情けのない魔王候補だ。尻に引かれる以前に、指先ひとつでリリィに負けてしまうだろう。

 けれど、少し肩を落としている俺の前に、リリィがゆっくりと近づいてきた。


 俺が顔を上げる前に、柔らかな感触が顔を包む。

 それが抱きしめられたリリィの胸だと気がついて、俺はぎょっと頬を染めた。


「リリィ!?」

「なーに、テッペー」


 返ってきた優しい声色に、俺は軽くびっくりする。

 俺の頭をよしよしと撫でながら、リリィは大丈夫だというように少しだけ強く抱きしめた。


「私ね、気づいたの。テッペーって、すっごくすっごく弱っちぃじゃない?」

「うっ……ま、まぁね」


 口ごもる。リリィと比べられるとアレだが、そうでなくともニンゲンである俺は最弱種族だ。

 そんな弱い俺に向かって、けれどリリィは優しい口調で語りかけた。


「でも、私にもないものを持ってる。私にはできないことができる。だからさ、あんたは弱っちくてもいいの。その代わり、今日みたいなことがあったらさ……私がまっさきに飛んでって、むかつく奴をぶん殴ってあげる」


 暖かかった。柔らかなリリィの胸に、俺はこてんと額を付ける。


「そしたらさ、きっと私たちって無敵の夫婦になれるわよ」


 リリィの鼓動を聞きながら、俺はなぜだか分からないが、本当に申し訳ないことに、せっかくのドレスを濡らしてしまった。

 それに少しも怒りもせずに、リリィはゆっくりと俺の頭を撫でてくれるのだった。


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