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第18話


「なんだこれ……」


 辺りの惨状を目の当たりにして、俺はただただ立ち尽くしていた。


「すまねぇ大将。休み明けに来てみれば、俺が見たときにはもう」


 申し訳なさそうに頭を下げる虎の獣人は、現場監督のおっちゃんだ。大変頼りになる人で、けれどその顔は悔しさで歪みきっていた。


「大将から休み貰って、浮かれたツケだ。俺だけでも残っとくんだった」


 そう言って顔を押さえるおっちゃんに「監督のせいじゃありませんよ」と俺は告げる。しかしその声は掠れていて、背中からは尋常じゃない冷や汗が出てきていた。


 ひとことで言えば、カジノの現場が荒らされていた。


 崩壊、というほどではないが酷い有様だ。外壁にはペンキがぶち撒かれ、窓ガラスは全て割られている。せっかく完成しかけていた内装は、壁紙もカーテンもズタズタだった。


 誰がこんなことを。そんな言葉が過ぎるが、心当たりなどいくらでもいる。金を儲けようというのはそういうことだ。


「貴族か豪商か。荒くれもん雇ってやらしたんだと思いますが……くそ!」


 監督が拳を打ち付ける。俺は鼓動を速くさせながら周りの喧噪を聞いていた。


 険悪な雰囲気だ。さすがは血気盛んな作業員たちで、落ち込んでいる者など一人もいない。その代わり、このままでは人死にが出てしまうだろうほどに現場はヒートアップしていた。


「どこのどいつだ! ぶっ殺してやる!」

「おうよ! こっちは天下の王家さまだぞ!」


 まずい。まずい流れであることは間違いないのに、どうすればいいか分からない。

 要は、恐れていた「有事」のときが訪れたのだ。


「大将! カチ込みましょう! 誰がやったかなんて、酒場で数人ぶん殴りゃすぐだ!」

「指示をくれ! 俺ぁ我慢ならねぇ!」


 俺の下にみんなが詰め寄ってくる。当然だ、この現場の責任者は俺だ。

 ここで選択を間違えれば、二度と俺についてきてはくれなくなるだろう。


(けど、そんなの)


 だめに決まっている。制裁を加えるにしろ、裏を取り正当な手続きで行うべきだ。

 けれど、それをそのまま伝えるにはこの雰囲気はあまりにも――


「そ、その……とりあえず……」


 震えるように絞り出した俺の声に、その場の全員が集中する。

 一瞬静まったみんなからの視線を一身に受けて、俺はどれほど自分の考えが甘かったかを悟った。


「……あの、あれですよ」


 涙をなんとか我慢した。ここに来て、慣れたはずのみんなの姿がモンスターに見えてくる。

 無理だったのだ、初めから。少々現代の知識があったところで、ただの一介の学生が、こんな強い人たちを纏めることなど。


 掠れて声が出てこない。折れかけた心でぎゅっと目を瞑ってしまう。

 そのときだ。


「ちょーっと待ちなさい!!」


 現場の空気を切り裂くように、意気揚々とした声が天から響いた。


 みんなが「なんだ!?」と頭上を見上げる。

 俺には、顔を上げる前からその正体が分かっていた。


「リリィ……」


 なにをしているのだという疑問すら吹き飛んだ。カジノの屋根の上で腰に手を当てて仁王立ちしているリリィは、背中に輝く太陽を背負っていた。


「とう!」


 かけ声と共に、ドレス姿のリリィが飛び降りる。仰天して目を見開く俺の前で、まるで遅れて登場したヒーローのようにリリィが見事に着地する。

 地響きが鳴り、砂埃の立つ中でリリィは嬉しそうに声を上げた。


「見つけたわよ! 私のテッペーをいじめる奴はかかってきなさい!」


 おりゃーと拳を引いて構えるリリィを見て、一同がポカーンと口を開ける。


「……? どうしたの、ほら。相手してあげるからかかってきなさい」

「い、いや。すまねぇ姫さま。別に大将をいじめてるわけじゃねーんだ」


 シュッシュと拳を突き出すリリィに、一同はどう説明したものかと頭を抱えた。

 けれど、おかげで充満していた嫌な空気は霧散し、みな冷静な目で現場を見つめだす。


「それよりこれ、実際どうするよ?」

「犯人探しっていっても……自警団とかか?」


 なんだかんだで落とし前はつけさせないといけない。それは絶対で、面子を保つのも大切だ。俺は荒らされた現場をじっと見つめた。


「って、あー! 誰よこんなことしたのッ!?」


 そのときだ。今更すぎるリリィの声が辺りに響きわたる。「え? 今気づいたの?」というみんなからの視線を無視して、リリィは慌てた様子で俺の元へと駆け寄ってきた。


「て、テッペー! カジノが! なんか大変なことに!」

「そうなんだよ。直すのはそこまで大変じゃないけど、放っておいてもまたやられるだろうしなぁ」


 問題はそこだ。自然災害や事故ならば力を合わせて復旧すれば乗り越えられるが、悪意ある破壊活動は大本の原因を絶たねばならない。よしんば完成したところで、今度は営業妨害されるのがオチだろう。


「誰よこんな悪戯したの!? 名乗り出なさい!! 今なら一発ぶん殴るだけで勘弁してあげるわ!」

「い、いやリリィ。さすがにこの中には……」


 作業員に向かって憤慨し出すリリィを宥める。困った顔の一同に向かって、リリィは「じゃあ誰よ?」と眉をつり上げた。


「誰って……それが分ければ苦労は」

「は?」


 俺の一言を、リリィの冷たい声が切り裂いた。

 どこまでも深く鋭い瞳に、俺はぞくりと背筋を震わせる。


「なに? つまり、どこの誰かも分からない輩が、私のテッペーに弓引いたってわけ?」


 その瞳の奥は、青白い炎で燃えていた。

 まるで地獄の業火を背負ったように、リリィの身体からどす黒いオーラが現れる。


「リチャアアアアアアアアアァアアドッッ!!」


 その場の全員が漆黒のオーラに呑まれる中、リリィは憤怒の気合いを以て叫び声を上げた。


「ここに」


 呼びかけに応え、どこに居たのかモノクルの紳士がリリィの傍らに出現する。怒り冷めやらぬといったリリィは、俺の方をちらりと見るとリチャードに向かって声を張り上げた。


「どこのどいつがやったのよ!?」

「おそらく、手口から見て中央の貴族かと。数件心当たりがございます」


 その言葉に、俺はリチャードがなぜいなかったかを理解した。いち早く惨状を知ったリチャードは、犯人の目星を当たっていたのだ。


「ただ、その内のどれかは今しばらく時間が……」

「構わないわ!!」


 どんと、リリィの足が大地を踏みしめる。

 奥歯を噛みしめたリリィは、拳を握って宣言した。


「そいつら全員、ぶっ殺すッ!!」


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