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第01話

 見上げていた。

 わけが分からないことだらけの頭で、俺はその少女を見上げていた。


 石造りの部屋に、薄暗い照明。淡く光っているのは、床に描かれた幾何学模様。

 魔法陣みたいだと思って、それがどうやら本当に魔法陣であることに気がついて、俺は唖然と口を開けていた。


「ちょ、ちょっと待ってよ!! なによこの冴えない雄はぁっ!?」


 自分を見下ろしていた少女の眉が、不満げにぎゅむりと寄った。

 窓から注ぐ月光に煌めくブロンドは、うっすらと桃色を帯びている。撫でずとも分かるきめ細かい白い肌。髪と同じ色の眉毛をつり上げながら、少女は俺に向かって指を突きつけた。


「こんな奴が魔王なんて、絶対に認めないからねッ!!」


 そう叫ぶ少女の声が部屋の中にこだまする。追いついていない頭を必死に回転させながら、自分の身になにが起こったのかを、俺は冷たい床の上でただただ考えるのだった。



 ◆  ◆  ◆



 いつも通りの一日だった。いつも通りに大学に行って、いつも通りに一人で昼飯を食って、いつも通りテキトーに講義を聴いて帰路についた。違うところがあったとすれば、四限が教授の都合で休講になったくらいだ。


 掲示板を見ながら、やったぜと胸躍らせた。「早く終わったし、ラーメンでも食って帰るか」と、いつもの帰宅路を変えたのが間違いだったのかも知れない。


 浮き足だった右足が階段を踏み外して、「しまった」と思った次の瞬間には、俺はここに立っていた。


「……なんだ、これ」


 早川哲平、大学2年生。まだまだ若輩者ながらも、なんだかんだスーパーで子供に「おじさん、チャック開いてるよ」と言われるくらいには生きた人生。

 そんなおっさんとお兄さんの狭間を生きる俺の目の前には、見たこともない景色が広がっていた。


「えっ……いや、ちょ。マジでなんだこれ」


 石造りの部屋に月光を通す、木組みの窓枠。そこに震える右手の指を乗せながら、俺はパチクリと目を見開いた。


 街だ。ひとことで言えば、そこには街が広がっていた。


「が、外国とか、そんな……はは」


 嫌な汗が背中を流れる。ヨーロッパ? 地中海? なんとなくだが、俺でも分かる。

 夢かとも思ったが、そうでないことが実感として嫌というほど伝わってきて。俺は待ってくれと再び眼下を見下ろした。


 ポツポツと見える灯りは、人の営みだ。問題はそれが人間かどうかという話で……。


「異世界よ」


 そんな俺の祈るような葛藤を、背後からの声が切り裂いた。

 恐る恐る、声の主に振り返る。呟いたのは先ほどの少女だった。


「異……世界?」

「そうよ。私たちは魔界って呼んでる。あんた、そこに呼ばれたの」


 腰に手を当てて、少女はあっけらかんと言い放つ。不満げな表情を隠そうともしていない少女を見つめ、俺は助け船を出すようにもうひとつの人影に目を向けた。


 少女の傍ら。モノクルだろうか……片目だけの眼鏡をかけた老紳士風の男が頭を下げる。

 銀色の髭を小さく震わせて、男は低い声で話し始めた。


「突然のお呼びたて、誠に申し訳ございません。わたくしはこちらに居られます、リリィ・オルセリア・サタナゲート様の執事をさせていただいております、魔界四天王の一人リチャードでございます」

「へっ?」


 丁寧な口調でされた自己紹介に、俺は耳を疑った。先ほどから聞こえてきている不吉な二文字に、俺は勘弁してくれとリチャードを見つめる。

 俺の困惑を見て取って、リチャードは簡潔に現在の状況を教えてくれた。


「貴方様は、魔界に魔王として召喚されたのでございます」


 リチャードの深くも重い眼差しが、その言葉が真実だと告げてきていた。

 きっとそれは本当で、俺はそこでようやく、今まで目を逸らしてきた事実を視界に捉えた。


 角だ。リチャードの頭に角が生えている。細く鋭い角が二本、まるで竜のように。見てみれば、ご丁寧に太く鱗の付いた尻尾まで揺れていた。


 リチャードだけではない、俺はリリィと呼ばれた少女にも目を向ける。


「魔界って……はは」


 可愛い。そう思った。言われてみれば納得だ。こんな綺麗な女の子、地球でなんか見たことない。

 美少女とはこういうことだと言わんばかりのリリィの顔。それでも、そんなリリィのお尻からはぴょこんと黒い尻尾が生えていて。


 黒いスペードのような尻尾の形に、俺は「悪魔って、本当にいたんだな」と納得した。


「だーかーらー! こんな奴が魔王なんて認めないって言ってんじゃん!」


 黒と白のドレスを着たリリィが、俺を睨みつけるように指さした。

 細く長い指でさされながら、俺はきょとんとリリィを見つめる。


 そういえばさっきから、魔王がどうとか。そりゃあ魔界なら魔王の一人はいるだろうが。意味が分からずに顔を上げている俺に向かって、リリィはぎゃあぎゃあと喚き出した。


「そもそも! あんた種族はなんなのよ!? こんなボヘっとした奴、見たことも聞いたこともないわよ!」


 眉を寄せたリリィの顔が、ずいっと近づく。値踏みされる視線に、俺はおずおずと声を出した。


「えっと……に、人間……かと」

「ニンゲンんんっ?」


 不満そうなリリィの顔が、これでもかと爆発した。リチャードに振り向き、顎でくいっと指示を出す。

 リチャードは懐から本を取り出すと、神妙な面持ちでページをめくり始めた。


「しばしお待ちを。ニンゲン……ニンゲン」


 ペラペラとページをめくる音だけが響き、俺は得体の知れない審査の時間を冷たい床でただただ過ごす。

 そのうちリチャードの指がぴたりと止まり、その顔が驚愕の色に染まった。


「こ、これは……ッ!?」


 目を見開き息を止める。リチャードの緊迫した様子に、リリィが顔を輝かせて声を上げた。


「えっ、なになに!? 実はめっちゃ当たりだった!?」


 詰め寄るリリィに、リチャードの声が濁る。しかし観念したのか、リチャードは重々しい口を開いた。


「腕力はエルフ並み。されど魔力をひとかけらも持たず……特殊な能力の一切を有していない」

「は?」


 リチャードの声に、リリィの顔がピシリと止まる。なにやら不穏な空気を察して、俺の心臓がバクバクと音を立て始めた。

 とりあえず、誉められていないことくらいは分かる。


「さ、さすがになんか長所あるでしょ。ほら、他になにが書いてあるかリリィ様に言ってみなさい」


 リリィの声に焦りが混じる。不満を通り越した緊迫した様子を、俺はただただ見守った。

 ごくりとリチャードの喉が鳴り、おそらく最後の記述を読み上げる。


「唯一の長所。……ち、知能は我々なみ……だそうです」


 静かに本の閉じる音がして、リチャードは重々しく瞑った瞳で天井を仰いだ。

 リリィの口があんぐりと開かれる。こちらをさす指がぷるぷると震え、寄っていた眉が泣き出しそうに八の字に歪んだ。


「ふ、ふざっ……」


 鋭い目がこちらを睨む。深く息を吸い込んで、リリィは一気に吐き出した。


「ふっざけんなあああああああああああああッッッッ!!!!」


 怒号。ビリビリと震える石造りの壁が、音を立ててひび割れる。一瞬意識を持って行かれそうになって、俺は必死に奥歯を嚙みしめた。

 ずんずんと、リリィがこちらに歩いてくる。


 襟首を摑まれて、勢いよく持ち上げられた。見た目の華奢さからは信じられぬ、凄まじい力だ。

 リリィの可愛らしい顔が鼻先に近づくが、喜んでいる余裕は勿論ない。


 怖い。何歳年下か知らないが、こんな可愛い子なのにとんでもなく怖い。


「外れもいいところじゃない!! てか、マジありえないんだけどッッ!!」

「ひぃい! すみませんっ!」


 つい謝ってしまった。なにも悪いことはしていないはずだが、人間なのが悪いと言われてしまってはどうしようもない。

 謝る俺にリリィは更に眉間のシワを深くした。


「ピィピィ謝るなぁあッ! あんた自分がなんになるか分かってんのッ!」

「わ、分かってない! 分かってないから!」


 必死に無実をアピールする。このままでは殺されてしまうとチビりそうになっていた俺を摑む腕を、優しくリチャードが遮った。


「お嬢様。お気持ちは分かりますが、彼に罪はありません。まずはこちらが誠意を見せるべきかと」

「誠意ぃい!? こ、この役立たずに、誠意ぃい!? あんた、私の身にもなってみなさいよ!?」


 リリィの言葉にリチャードが複雑そうに眉を寄せる。けれど、俺に説明をするほうが先決だと思ったのか、老紳士は改めて俺に向かって腰を折った。


「数々の非礼、お許しください。けれど、どうか分かっていただきたい」


 そう言うや、リチャードは右手をリリィの方へ広げた。

 そこには、眉を寄せ怒り心頭のリリィの眼差し。睨みつけてくる彼女の視線にビクビクしながら、俺は続くリチャードの言葉に耳を疑った。


「貴方様には、ここにいるリリィ様と……結婚して子を為して頂きます」


 心底嫌そうなリリィの顔。

 いつも通りの一日。そのはずだった。


「い、嫌です……」


 ようやく絞り出した言葉を呟いた瞬間、どこからか十二時を告げる時計の音が鳴り響く。

 こうして、俺の人生を変える一日目が、終わりを告げた。

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