19.覚醒
──スコットは、父は今何て言ったの......?
私は混乱していた。
薄々感じていながらも否定しようと必死になっていたはずの疑惑が、確信に変わったと思っていたのに。
私だけを殺すならまだしも、自分まで?
一体どういうこと......?
「グルルルル......ゴポォッ!」
オークゾンビの口から不気味な呻き声とともに、ドス黒い血のような涎が泡立ちながら滴り落ちる。
「さあ、早く我々を殺せ!」
スコットが囃し立てると、オークゾンビ達は一斉に投槍を構える。
──もうダメだ。そう思った刹那。
『ギュウウウウウウウウウン』
風が一点に集中するような音がしたかと思うと、私が手に持って身体を支えていた弓の中央に嵌め込まれていた小さく赤い石が光り出した。
その光は青白く瞬き、やがて目が開けられない程に周囲を照らし、白夜のような世界に作り替えていく。
「ぐっ......馬鹿な......この光は......」
スコットが両目を手で覆い、座り込む。
周りのオークゾンビ達も放心状態で、投槍を構えたまま動かない。
一体何が起きたというの?
あの光は、私の弓から発したものなの?
あの石はただの装飾ではなかったの?
何故このタイミングで光ったの?
私を、助けてくれたの──?
「ぐああああああああああああ!!!!」
スコットが頭を抱えて咆哮を上げる。
その時、彼から感じていた黒い何かが薄れ、フッと身体から離れた、そんな気がした。
やがて光が静かに収縮していき、そのまま静寂が舞い戻った。
「父さん、大丈夫!? 父さん!!!」
私は駆け寄って父の安否を確認する。
一体どうしたというのだろうか。
「アリーシャ......逃げろ......。私が再び私でなくなる前に、逃げるんだ......」
正気に戻った父はそう言うと、私に向かって、震える右手を大きく開いて魔法を唱え始める。
すると、白い魔法陣が浮かび上がり、淡い光に包まれた左足は、痛々しく刺さっていた矢をゆっくりと内部から押し戻していくではないか!
「グルルルル......グァァァアアアア!!」
我に返ったオークゾンビ達は私に狙いを定め直すと、一斉に槍を投擲する!
しまった!!
襲いかかる数多の槍。
四方から飛んできている、もう避けられない!!
諦めかけた、その時────
カラン、と軽い音を立てて、左足に刺さっていた矢が地面に落ちた。
私は──生きている。
「ゴボッ......」
私に覆い被さった父は、無数の槍を身体中に受け、勢い良く吐血した。
口から噴き出した血の量は尋常ではなく、生命が砕け散る寸前だと言うことが、誰の目から見ても分かるほどだ。
「父さん! どうして!? ねぇ、父さん!!!」
「......当たり前......だろう......」
偶然にも槍を回避した父の右手は、私の左足に向かって魔法陣を描いたままだ。
左足の傷口から紫色の粘度の高い液体が噴出し、完全に穴が塞がる。
今まで意識を保つことが精一杯だったはずの身体が、ゆっくりと生き返るような、そんな活力を取り戻していく。
「父さん、もうやめて! このままじゃ父さんが死んじゃう! 早く自分に回復魔法を使って!!」
「......アリー......シャ......、覚えている......か......。お前が、まだ、小さかった、こ、ろ......」
「喋っちゃダメ、ダメだよ!!」
「......私、が、ナイフで......、指を、切った時......、包帯を、巻いて......くれた......」
「父さん!! 早く回復して!! 死んじゃう!!!」
「......あり、が、とう......。生き、ろ、アリー......シ............」
ゴッ──
私を潰すまいと耐えていた父の身体から、力が一気に抜け、のしかかる。
私は目の前が何も見えなくなり、父の身体から抜け出すという意識すら消え失せる。
空を見つめる。
夜明け前の空はまだ群青色に染まったままで、小さく星が瞬いている。
「グルルルル......」
オークゾンビ達がゆっくりと近付いてくる足音が聞こえる。
でも、ダメだ。
起き上がる気になれない。
──ポタッ
父の目から流れ落ちた涙が、私の頬を濡らす。
意識が私の中に、心に、戻ってくる。
真上を見つめる目に、一筋の流星が視界を彩る。
この世界では、誰かが死ぬと流星が空を翔ると言われている。
だとすると、今のは......
──私にもっと力があったなら。
──恐れず立ち向かう強さ、みんなを守る強さがあったなら。
──『もしも、私が魔法さえ使えていたら!!!』
「はぁぁあああああ!!!!」
父の身体から抜け出した私は、落ちていた弓と矢を拾うと、力強く弦を引き絞る。
矢は、かつて私の左足を貫いていた一本のみだ。
相手は数十体。
大丈夫、やれる。
やれるよ、父さん!!!
内外の瞳孔が、ゆっくりと分離していく。
「村の! 友の!! 父の、仇!!!!!」
そう叫ぶと、指にはめていたヒュッケの形見の指輪が淡い光を帯びる。
弦を絞っていた左手から赤い魔法陣が浮かび上がり、クルクルと回り始める。
詠唱など、必要ない!
私は、ただ一本の矢を放った。
矢は火炎の渦を纏い、オークゾンビの群れに襲いかかる。
「グオオオオオオオオオオ!!!」
一体へ突き刺さった矢から炎の柱が立ち上がったかと思うと、そのままオークゾンビ達へ火炎が伝播していき、やがて四方を囲んでいた全ての化け物に延焼拡大する。
超高熱の炎の渦は、オークゾンビ達を跡形もなく消し去っていった。
森に静寂が戻ると、周りで騒いでいるのは弱々しく吹く風の音だけとなった。
断末魔を残して塵となった化け物を尻目に、私は父の亡骸に近付く。
「父さん......」
父は返事をすることなく、だが、いつものように私に微笑んだような、そんな気がした。