11.オーク侵攻
──「ひゃっ!?」
アリーシャは、天から落ちてきた水滴が頬をかすめ、驚いて飛び起きた。
今は何時くらいなのだろう。
深々と矢が刺さった左大腿部が灼熱のように熱を帯びている。
出血は止まっているようだが、忘れかけていた痛みが舞い戻ってきてしまったように思えて、怪我の具合を観察した自分を呪いたくなった。
今は森のどのあたりなのだろう。
周りがほとんど真っ暗で、霧が出てきているせいもあり、視界がとても悪い。
また、燻したような燃え滓独特の臭いがあたりを包み込み、全く鼻が効かない。鋭い五感に頼って生活しているエルフにとって、この状況は宜しくない。
一体今は何時頃なのだろうか。
──ホーッ......ホーッホーッ......
梟の鳴き声が森に谺響しており、一寸先は闇の現状を更に不気味に演出している。
当たり一面は無残にも焼け焦げた木々が覆い、月明かりがほんのりと『深樹海』を照らしているためか、気味が悪い中に神秘的とさえ思えるような幻想的な情景に仕上がっている。
「起きたか、アリーシャ。怪我の具合はどうだ」
いつの間に隣に座っていたスコットが静かに声をかける。
音量を絞っているということは、まだ完全に追手を振り切った訳では無いらしい。
怪我をした脚も、早く消毒しなければ破傷風にかかってしまう。
消毒にはアルコールが一番だ。特に、スピリタスのような高濃度の酒が──スピリタスって何だっけ?
エルフは酒を飲まない。それに、アルハザードの酒と言えば、人間が作る葡萄酒以外、聴いたことがない。
架空の酒の名前を、まるで日常的に知っているように想像したアリーシャは、いよいよ細菌が脳まで達してしまったのではないかと怖くなった。
「......ええ、平気。それより、ここはどこかしら。それに私、いつの間に眠っていたの?」
「ここはフェルミナ村と洞窟の中間あたりだ。怪我が酷いから肩を貸して走っていたが、段々とお前の意識が朦朧としていたのでな。一休みさ。」
本来ならばスコットの補助魔法で幻影を見せて痛みを誤魔化したり、追い風を作って身体を軽くする事も出来る。
──そもそもハイエルフであるスコットならば、これくらいの治癒など容易いはず。
しかし、それを行っていないということは、彼の魔力が底をついてしまったということだろう。
これは非常に良くない状況と言っていい。
手負いの弓闘士と、魔力を使い果たした賢者。
スコットは弓の腕も相当なものだが、普段魔法で弓の制御を行っているため、その恩恵がない今は流石にオークの軍勢から私を守りながら戦うことは出来ないだろう。
「私が怪我なんて......、弓の攻撃を受けたから!
それに、村のみんなが!」
アリーシャは目に涙を浮かべて自身の不甲斐なさを省みるが、言う先のない言葉は虚しく響き渡る。
──そういえば、何故オークはフェルミナを襲ってきたのだろう。
エルフとオークは現在は交流こそ無いものの、元々は同盟を組んでいた仲間同士。
余程のことがない限り、調和を崩すようなマネはしないはずだ。
それに、まずは何にせよ言付けの遣いを出すはず。アルハザードでは異種族に要件があれば、大使を送るのが礼儀だ。
それなのに、何の前触れもなく......
「──あまり時間が無い。急ごう」
スコットの先導で、村と正反対の方向へゆっくりと歩み出す。
左足が焼けるようで立つことも精一杯だが、そんな泣き言を言っている場合ではない。
愛弓を杖替わりに、脚を引きずりながら一歩また一歩と進む。進むしかない。
「ヒュッケ......」
幼馴染みの名前を無意識に呟く。
月が放つ青白い光がアリーシャ達の道を照らしている。
目の前は、相変わらず焼け野原となって変わり果てた森が続いていた。