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Dの庭園 〜The Garden of dreams and death〜  作者: 長月京子
第二話:テンペスト
9/67

序曲


 君を抱いて眠りたい 永遠に


 


   1


 不協和音のあとで、不自然に音が止んだ。

 彼女の上体が崩れ落ちるのを、スローモーションで見ていた気がする。

香織(カオリ)?」

 放課後のレッスン室で、久しぶりに二人でピアノを囲んでいた。

 何が起きたか把握するのに、どれくらいの時間が必要だったのだろう。脳裏に刻み込まれたのは、倒れてゆく彼女の顔色がやけに白かったことだけで。

 窓から差し込む夕日の赤が、まがまがしくレッスン室を照らし、太陽の時がおわりを告げる夕刻。

「――香織!」

 細い手足が印象的で。――痩せている。

 幼い頃から側にいながら、彼女のそんな変化にはじめて気付いていた。

(ツカサ)。私が白血病なんて、下手なコントみたい」

 白色の病室に負けない、蒼白な顔色の微笑み。

 目眩を覚え、体中のだるさに耐えながら隣でピアノを弾き続けていたのだ。なぜ、彼女の不調に気付かなかった。

 違う、気付けなかったのだ。香織の音には、何ら不穏なものはなかったから。平和でなかったのは、自分の心の中だけで。

 おさななじみの香織。

 命の期限を数年と宣告されても、すぐには、再び彼女の音色を聞きたいと願えずにいた。

 生きてほしい。

 その本心を、どこかで忘れてしまった。

 だから、奇跡が起きたときも迷ってしまったのだ。

「司、どうしたの?」

「もう、どうでもいい」

 涙がどこから溢れでたのか、分からない。

 逃げたい。彼女からも、ピアノからも。



   2



「司。また泣いているのか」

 兄の(ハルカ)が、そっと部屋へ足を踏みいれる。弟よりも更に穏やかな眼差しが、優しく司を見た。

「親父とおふくろは、おまえのことを心配して反対しているだけだ。決して、危険を伴わないわけじゃないんだから。香織ちゃんだって、同じだ」

「そんなことは、分かってる」

「だいたい、おまえがピアノを捨てても何も状況は変わらない」

「分かってる!」

 いつもおとなしい弟の叫びが、やけに部屋の中に響いた。司の瞳から溢れる涙は、止まる気配がない。

「香織ちゃんだって、喜ばないだろう」

「でも、もう弾かない。このままじゃ弾けない。僕は普通科の学校へ行きたい」

「……司」

 おさななじみは、今も病室で孤独と戦っている。病魔に犯されながら。

 彼女が倒れた日から、一カ月。

 この日から、司の進路が音楽から遠ざかる。



   3



 病院のロビーを、制服を来た青年が通り抜けた。彼はそのまま受付へと足を運ぶ。

「あの、すいませんが。506号室の林香織(ハヤシ カオリ)さんの容体は?」

 受付で振り返った看護婦は、彼の顔を見て微笑んだ。

「また君なの?そんなに心配なら様子を見にいけばいいのに」

「いえ、でも疲れさせるだけだから」

「そんなことないわよ。少しの時間なら。消毒を受ければ無菌室に入れるわ」

「本当にいいんです。会いたくて来ているわけじゃないから」

 眼差しを伏せて、彼は低く呟く。看護婦は吐息をついて、いつもと同じことを繰り返した。

「容体はいまのところ安定しているわ。無菌室にいる限り大丈夫」

「そうですか」

 青年の安堵した顔を見ながら、看護婦がうなずいた。

「君は彼女の彼氏なの?」

「……赤の他人です。僕がここへ来ていることは、彼女には絶対に言わないでください」

「言わないけど」

「じゃあ、ありがとうございました」

 軽く頭を下げて、青年は踵をかえす。はやあしにロビーを横切って、すぐに姿が見えなくなった。

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