プロローグ
失われた庭園の中に 罪人が彷徨う
1
風の動く気配がした。
瞑想していた若き王がゆっくりと瞳をひらく。闇に属しながら、容貌にいっさい暗黒をまとわぬ、美しいすがた。肩へと流れおち、光沢をもって輝きをしめす金の髪がひらめく。
「……影かい?」
「ええ」
床に落ちていた黒い影が、魂魄を得たかのように起き上がった。
「見ていたよ。我らの――いや、私の罪をあがなう者がみていた夢を。とうとう、来てしまったね」
まといつく、長すぎる黄金の髪を手で払いのけて、彼が立ちあがった。
現実と影響しあいながら構成されるもう一つの国。宇宙の果てよりも遠くに、あるいは何よりも近くに位置する世界。
住人達の認識は、黄泉の国、楽園、浄土など、さまざまである。
長をつとめる青年は、夢の庭園と呼んでいた。
「目的は達成されず、彼はやってきた。あなたの想いは遂げられない」
「まだ庭園に迎えることは認めない」
「彷徨えと言うの?」
「そうじゃない。――闇はどこ?」
サアッと彼方から、黒い帯が室内へのびてくる。人型をとると、年若い王にむかって敬礼した。
「お呼びか」
「深淵で迷っている彼を案内してほしい」
すぐには答えず、闇が怜悧な瞳で王をみた。闇を統べる者でありながら、光をまとう麗しすぎた容姿。
だから闇の眷属の重鎮達は、この光り輝く王を異端とする。暗黒をまとう自分達ほど、陽に執着をもたないと。
たしかに、彼がこの永遠のとき、愛しみつづけるのは、光に属するかの美姫だけであるはずだった。
「あなたは、あの方を愛していらっしゃるのか」
「もちろんだよ。疑っているの?これほどに、私の招いた災いをつぐなおうとしているのに」
「ならば、なぜ人の子である少女を追いかけた。掟に背いてまで」
「……愛していた。怒るのかい?」
「いえ」
短く否定し、闇が輪郭をくずした。きたときと同じ要領で飛び去る。
「連れてきてどうするつもり?」
あきれた口調で影が言うと、彼が「分からない」と答えた。
「どうしたいのか分からない。けれど、彼を迎えるわけにはいかない。まだその時ではないよ。ただ問いたいことがある」
「問いたいこと?」
「そう。彼に問いたい。君が彼女にひかれたこと、愛した想い。それら全てが仕組まれた意志の上にあるのだとしても、彼女を求めるかと」
「求めるに決まってるわ。あなたの想いがある限り、彼の進む途は決まってるからよ。それこそ、彼は彼女を求めて、戦わないわけにはいかない。そんなふうに仕掛けたのは我々だわ。でなければ、全てが終わってしまう。戦ってもらうしかない」
「ああ。その通りだね」
彼が再び、闇の玉座に腰掛けた。
庭園は夢見るように美しい。謀反が起きようとも、この国が汚れることはない。
けれど。
掟を破った王に反旗をひるがえした眷属の者は、あろうことか外へ矛先を向けたのだ。
もう一つの国が、闇に染められる。
それは、何としても避けねばならないことだった。
2
かつて、若き長の傍にあった者達が、集った人数に対しては狭い部屋で、闇色の衣を椅子へかけた。庭園の暗き闇にある誰もがそうであるように、漆黒の長すぎる髪を持て余すようにかきあげて、席につく。
着々と、罪深き長を罰する為の舞台は用意されつつある。
部屋の中心に、紫黒の絡み合う枝に支えられて、長の命に等しい黒珠が冷たく光っていた。主の力の源であり、命ともなる。
庭園を治める青年から、奪い取った宝玉である。
集った者達にとっては、庭園から外界を除き見る媒介となった。黒翡翠のような宝玉が映す光景に、人々の目は奪われている。
光からはじまり、つがいの様に現れる闇の大陸を抜けて、銀河を映す。多くの星雲にも似た美しい情景を過ぎ、騒然と現れる美しい惑星。
重鎮であった数人の者が、長が昔にしたように禁忌とされる地へ降り立とうと目論んでいる。傍に控えた青年の元を去って、永く月日は過ぎた。
来るべき時は、間違いなく訪れようとしている。
庭園と比べものにならぬ狭き地は、いずれ果ての臨める大陸と光と夜の闇をもって、暗き彼らを迎えるのだろう。
「王の命を携えて我々は人として、かの地に降り立つ」
長い黒髪をうるさそうにはらいのけて、一人が美しい闇色の瞳を凛と光らせる。
「輪廻の理を捨てこの身が滅び魂が朽ちても、王の禍を断ってみせる。闇を統べるこの宝玉の力をもって、いずれは君を呼ぶ。人としてではなく降り立つのなら、宝玉の力で長の招いた禍を断ち切れるだろう」
「間違いなく」
一際、背の高い者が瞳を伏せて、ゆっくりと頷いた。背の低い女人のような者が浅く笑う。
「彼は、私達と同じ想いを抱かなかった」
哀しみに充ちた言葉だった。
宝玉の映す、もう一つの世界に眼を向ける。
罪深き、我らの王の末裔が生きる世界。
彼らが宝玉から視線を外し、瞳を閉じる。
光を纏うかのような、美しい王の姿を見なくなって久しい。
我々の焦がれる光への執着が、王自身にもあるのか。
わからない。答えはここにはない。
かの地にも、きっとありはしないだろう。
それでも胸の内に、わずかな未練を残している。
自分達の行いが許されぬ罪となっても、全てのはじまりは主の想いの在処にある。
3
拾いあげられた情景の全てが、今ではひどく遠いことのように思えた。
希望をあきらめながら、焦がれていた日々。
うしなった両親の想い。
彼女との出会い。
思いを馳せた故郷よりも暖かな、至福の夢。
―――歩いてきた途を後悔しているのか。
何もみえない闇の中で、声だけが問う。己のえらんだ途を悔いているのかと。
考えるまでもなく、結城晶は後悔はしていないと、心の中で答えてみた。
目前に広がる闇の深さは、大宇宙の雄大さをもって全てを包んでいる。
眠りに落ちるたび恐れていた深淵の内にありながら、なぜか安寧だった。
―――その想いが、全て組みこまれた意志でも、悔いはないのか。
「彼女を欲しいと思うか」
どこからか聞こえていた声が、ある一瞬を経て近くなった。晶が驚いた様子もなく降り向く。
辺りをそめる闇よりも、いっそう深く艶麗な黒をまとう者が背後に立っていた。
「死に神か」
乾いた声がでた。どうでもいい気がしていた。命が絶えて、全てが終わったことは感じていた。寿命の短さは、物心ついた時から刻まれていたから。
「私を死に神と?ならば、命を落としても悔いはないのか」
「……わからない。今は後悔するかもしれない」
生きたいと願うだけの幸せを、知ってしまったために。
クスリと、闇をなのる女が笑う。
「やはり、闇は光にあこがれる。それは、あの方のお気持ちに嘘はないということ」
「あの方?」
答えずに、女が告げた。哀れむように、しかし厳粛に。
「――おまえは、我らの罪をあがなう者」
「罪を?」
女は静かにうなずいた。逃れられない運命というものは、たしかに在るのだと。




