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Dの庭園 〜The Garden of dreams and death〜  作者: 長月京子
第三話:MEMORY

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6:MEMORIES 6

 MEMORIES 6


   1


 ゆっくりと庭園の門が開かれた。二人の男が、両脇にバラの群生を見ながら敷石の上を渡って行く。

 現在、表向きに財閥の主導権を持っている吹藤和彦の顔色が、焦りによって青ざめている。背後をついて行く側近も、いつもの穏やかさを保てぬ形相で、自然と険しい顔立ちになっていた。

 英国の本宅から、一時間以上車を走らせると、吹藤和彦の名義となっている洋館に着く。今はその館に、退いてなお吹藤を統括する老人が滞在しているはずだった。

 凝ったレリーフの並ぶ長い廊下を歩いて、二人が迷わず奥の部屋へと進んで行く。

 光・マリー・S=ボーフォード=久方の懐妊。

 総帥から、ひどく簡単にそんな連絡が入ったのは、今朝のことである。

 内容から導かれる事態に、驚きと憤りを隠せず、和彦は多様なスケジュールを無視してこの洋館に赴いて来た。

「総帥。失礼いたします」

 ノックもなしに奥の部屋へ入り、和彦が何の前置きもなく、ゆったりと椅子にかけている老人に問う。

「光の懐妊とは、一体どういうことですか」

「挨拶もなく、やって来るなりそれか。とりあえず座りなさい」

「結構です。事の真偽を確かめに参上しただけです。総帥」

 二人のやりとりを少し後ろで聞いている斎藤が、唇をかみしめている。本宅の風巳の元へ赴いたことを、これほど悔やむ結果になろうとは思いも寄らなかったのだ。

 久方光が身ごもる相手は、総帥にとっては血を分けた兄しか許されない。吹藤晶(フトウ アキラ)。彼しか考えられないのだ。

「――まだ子が宿ったと確認されたわけではないが。まぁ、時間の問題と言ったところだろうね」

「光の所在は?」

「お前達は知らずともよい。時期が来ればここへ戻って来る」

「では……」

 言いかけたまま口にできない名を察してか、老人が口を開く。

(アキラ)のことか」

 金縛りにかかったように、和彦も斎藤も身動きできなかった。分かっていても、最後まで認めたくなかった、光の相手が彼であることを。

 彼でしかないことを。

 今まで沈黙を守っていた斎藤が、耐え切れず吐き捨てる。

「光様のお相手は、血のつながった異父兄だということですか」

「何がいいたいのだ、斎藤」

「いえ。失礼致しました。(アキラ)様は?」

「二階の寝室で眠っているだろう。連れ帰るなり、好きにすればよい」

 責めを受ける構えも、理由を話す姿勢も見せない老人の傲慢さを前に、和彦が素早く背を向けた。

 もう一刻も、魔性でしかない老人といることに耐えられなかった。

(アキラ)は連れて行きます。失礼いたしました」

 和彦に続いて、斎藤が軽く会釈をして部屋を出た。どうにもならない所まで来たのだと、二階へ向かいながら斎藤が思っていた。

 どうにもならない。

 継ぐ者を残せば、吹藤晶には逃げ場がなくなってしまう。放棄することが許されない立場においやられる。

 結城夫妻を殺めただけでは飽き足らず。いや、彼を意のままに動かすための犠牲を払ってまで、総帥は成し遂げたのだ。

 華美なシャンデリアを頭上に、二人が吹き抜けの階段を上がり、二階の寝室へ向かった。

 ノックに返答はなく、和彦が斎藤を振り返って眉を潜める。吹藤晶の心を映したように、堅く閉ざされたドアを、わずかの迷いを払うように開け放った。

 風が、奥の窓からカーテンをなびかせて渡って来る。白く、静まり返った広い室内のベッドに、人影が横たわっていた。

「―――……」

 呼びかけるつもりで唇を動かすが、和彦は声が出なかった。主の肩越しで全てを見た斎藤も、膝が震え出すのを止められない。

「晶っ」

 まるで叱責するかのように名を呼び、和彦が近づく。

 天蓋のある、人間一人のためには大きすぎる寝台で、力なく目を閉じている様子に、生気が見られない。

 庭園の緑態を臨める窓から降って来る朝の陽光が、斜めから(アキ)の頬を照らしている。

(アキラ)?」

 軽く頬を打つと、おぼろげに目が開かれる。像を結ばない瞳が空をさまよった後、かすかに声が漏れた。

「――……か」

 聞き取れない細い声。闇を映す、美しい瞳が何を見ているか分からず、斎藤が思わず、投げ出された彼の手を握り締める。

「晶様」

 薬を、使ったのだ。望む行為が導かれるために。

 いまだ覚めずにいる効用が、彼から正気を奪っていた。

「卑劣な、ことを……」

 痛哭しそうな斎藤の肩をなだめるように叩き、和彦が唇をかんだ。

 人の道から外れた契り。

 その先に待っている未来の暗さに、誰もが身が竦んで動けなくなる。



 かぼそい腕が伸びて来た。頬に落ちて来る長い髪が、首に絡み付く。

―――熱い。

 差し出されたグラスに注がれた真紅の祝杯は、拒むことのできない悪夢の始まり。

 暗く陰った前途をかいま見せる罠だと分かっていながら。知らぬふりをして、口に含み、飲み干した。甘さに隠された苦みが、喉の一端を焼く。

 霞んだ視界で最後に見たのは、太刀打ちできない荘厳な老人の姿。

―――よい夢を。

 夢。人肌の温もりが伝わって来る。

 ぼんやりと視界を開くと、長い髪が視野を阻み何も見えない。闇に浮かぶ白い影の正体を解き明かすこともままならず。

 むせ返るような甘い芳香が、正気を彼方へ遠ざける。

―――熱い。

 額を伝う汗に触れる指先の気配。

 高熱で臥せった幼少の頃の記憶が蘇った。覚えている、母がどんなふうに、自分を慈しんでくれたか。

 熱を拭うように、何度も延ばされた手。いやに心地よくて、引き寄せる。快諾できないという危機感が薄れ、過ちへと踏み出した。

 母を亡くした今、この身を癒す気配を有する者は――。

 駆け抜けた愛しさにかられて、強く抱き寄せた。柔らかな肢体を傷つけぬように。

―――(アキラ)

 違和感が体を突き抜けた。愛しむ者達が、決して口にしない言葉。

 厭う一族の未来を照らすためだけの、名。

 呼ばない。彼女が呼んでくれるのは、本当の名前。

―――兄様。

 これは光。血を分けた、妹。込み上げて来る嫌悪感。

 終わり。全ての終わりを、この手で始めた。

「――――っ」

 ハッと夢から覚めると、額から汗が滑り落ちた。ひきずるように身を起こして、晶はここがIMDIの病室であることを知った。

 グイッと上着の袖で汗を拭うと、胸の奥にわだかまっているものがグッと胃の腑から上がって来そうになる。

 夢だと安堵したのもつかの間、自分の犯した過ちを思い知り、吐き気がした。

 考えずにいようとしても、導き出される将来を思わずにはいられなかった。

 子が宿るということ。血を分けた妹に、忌むべき血統を受け継いだ自分の。間違いようもなく。

 精神的な衝撃は心身の不調となり、晶が目眩を堪えて、個室の隅に据えられた洗面台へ倒れ込むように身を寄せる。

 キュッと蛇口をひねると同時に、込み上げて来たモノを全て吐き出した。

 様子を見に病室を覗いたソフィア=サッフォークが、慌てて駆け付ける。

「どうしたの?」

「別に――」

 蒼ざめた顔で無理に口元を歪め、晶が笑おうとする。背中に延ばされた女医の手に過剰に反応して、パシリと払いのけた。

「触らないでくれ」

「どうしたの」

「何でもない」

 覚悟していたにも拘わらず、これほど衝撃を受けてしまう。まだ諦めていなかったのか、輝かしき未来と、――彼女を。

 光と総帥の元を訪れるのが、どういう意味かは分かっていた。分かっていて、選んだのだ。一本しかなかった選択枝に沿って。

「大丈夫なの?」

 全てを吐き出したにも拘らず、晶が何度もえづいた。ソフィアがなす術もなく見守る中で、彼が呟いた。

「今は一人にしてくれないか」

「でも」

「大丈夫だから。ゆっくり眠りたい」

 眠れるわけがなかったけれど。一人で、泣きたかったのかもしれない。

 覚悟を決めて、吹藤の人間に生まれ変わるために。

「そうね。今はゆっくり眠った方がいいわ」

 深く追及はせず、ソフィアが病室を出て深く息を吐き出す。なぜ、あれほどの拒絶反応が出ているのかは、何となく分かっている。

 吹藤のファミリーの、道徳を外れたやり方は今に始まったことではない。

 打ちのめされ、今にも脆く崩れ去りそうな青年に言える訳がなかった。脳波を継続させるサンプルが完成を見たなどと。

「早川が、羨ましいわ」

 唯一、癒す手を持ち、彼の安らぎを総ている少女。ソフィアは決して、その立場を望んでいるわけではない。研究者として誇りを持っている。

 ただ、時折辛く思うのだ。彼を追い詰める側にいることを。

 いつから、これほど心を移していたのかは、分からなかったけれど。



   2



 緑条の合間を縫うように、陽射しが落ちてくる。庭園に佇む二つの人影を見届けて、斎藤克行が洋館の中へ戻った。

 長い廊下に据えられた東向きの窓から、枠を形どった影が濃く大理石の床に描かれている。

 窓際へ身を寄せて斎藤が再び庭を眺めると、変わらず二つの人影が、遠くで寄り添うように立っていた。

 久方光が兄の子を身ごもったと確認されて、この洋館へ帰って来たのは一週間も前のことになる。

 吹藤の次期当主と噂されるようになった晶は、欠かす事なく妻となる妹の元へ足を運ぶようになった。

 光の側に立ち、笑っている彼の様子が、斎藤には哀れにうつる。全ての希望を捨てて、歩んで行こうとする姿勢に胸が傷んだ。

 引き返すことが許されないなら、せめて、決められた人生の中での幸せを見いだしてもらいたかった。光を愛することで、幸せになれることに、早く気付いてほしかったのだ。

「斎藤」

 呼びかけに振り向くと、晶がやってくる所だった。傍らで立ち止まった彼の痩せた頬が痛々しく、思わず会釈のフリをして視線を伏せた。

「IMDIへ戻る。送ってくれないか」

「分かりました」

 痩せてもなお揺るがない久方譲りの美貌と、黒曜の瞳。その瞳に宿る想いが、光だけに注がれる日を待つしかない。

 純白のスカートの裾をひるがえらせて、光が二人の側へかけてくる。わずかな仕草にまだ幼さを残す彼女が、兄の手をとった。

「またいらして下さいね」

「ああ」

 鋭く冴えた表情を緩ませて、晶が妹へ笑いかける。彼なりに、これからの幸せの在りかが分かっているのだと、斎藤がわずかに安堵した。

「光。見送りはいらないから。もう部屋へ戻って休むといい」

「はい」

 殊勝に従い、光が晶に深く頭を下げる。晶と斎藤が一階のロビーを抜けて外へ出た。

 駐車用の敷地へ行く道程で、前を行く斎藤がふと足を止める。

「どうしたんだ?」

「晶様。本当に、これでよろしかったのですか」

 即答ではなかったが、肯定の返事が短くかえってきた。斎藤が振り向いて、笑顔を見せる。深く深く頭を下げて告げた。

「この度は、御婚約誠におめでとうございます」

「ありがとう」

 素っ気なく礼を述べて、晶が歩き出す。

「もう一つだけよろしいですか」

 声をかけて、斎藤がじっと彼の背中を見つめる。こちらを向かず、晶はただ歩みを止めた。

「光様を愛していらっしゃるのですか」

「……愛しているよ」

 どこからか向かって来た突風が、庭の樹々を激しく揺さぶって過ぎて行った。

「安心しました。このまま、幸せになって下さい」

「言われなくても……」

 掻き消えた語尾を追及せず、斎藤が再び車への道程を先導する。しばらく立ち尽くしていた晶が、のろのろとそれに続いた。

 今はまだ心からそう言えない吹藤晶の心を知りながら、斎藤は問わずにはいられなかった。

 いまだ食事を受け付けず、点滴による細い管からの栄養で身を保っている青年の幸せのために。



   3



 いましがた会議が終了したばかりのIMDIの第二会議室で、アルバート・Sが集めた書類に目を通している。少し離れたテーブルで、ソフィアがきつい眼差しで彼の様子を伺っていた。

 まだわずかに熱気を残す室内に、二人だけが沈黙を守って残っている。

「アルバート博士」

 険しい声に何げなく顔を上げて、アルバートがソフィアを見る。

「まだいらしたんですか。もう戻られても結構ですよ」

 何の思惑も表には出さず、彼は眼鏡を外して表情を緩ませる。ソフィアが納得ならないという気色で、席を立ってツカツカと歩み寄った。

「一体どういうつもりなの。あなたがあんなことを言い出さなければ」

「しかし、可決されました。それに最も人権を尊重した結果だと思いませんか。サンプルの投薬については、全て吹藤晶の意志に任せるんですからね」

「他の研究員は知らないわ」

「何のことですか」

「彼に選択権がないことをよ。サンプルを放棄することを、彼のファミリーが許すわけがないわ。あなたはそれを知っていて」

「もう決まったことです」

「卑怯なやり方ね。そんなに晶の才能が許せない?」

「それは聞き捨てなりませんね」

 スッと笑みを潜め、アルバートが強い眼差しを返す。

「私は誰よりも、彼の才能を伸ばすことだけを考えていますよ。――他の誰よりもね」

 気圧されて口をつぐんだソフィアの背後で、ノックの音がした。返答するまでもなく扉が開かれ、白衣を身にまとった晶が入ってくる。

「ここで会議を開いていると聞いたけど」

「ええ。急なことだったのであなたまで連絡が行かなかった」

 ニコリと笑みを送ってから、アルバートが晶へ向けて書類を滑らせた。

「会議はもう終わりました。議題については、その書類を」

 手元に届いた書類に目を走らせて、晶が何の感想もなく席につく。全く興味がなさそうな素振りだった。

「サンプルがようやく完成しましたが、使用についてはいろいろ問題があったので。結果はそのとおりです。あなたの意志に委ねられた。どうしますか」

「好きにすればいい。……医学に貢献できるなら、投与してもらってかまわない」

「待ちなさい!」

 静かに成り行きを見守っていたソフィアが、バンッときつくテーブルを打った。

「そんなに簡単に結論を出さないで。どんな副作用が出るかもはっきりしていないのよ」

「死ぬわけじゃない」

(アキラ)!」

 声を甲高くした女医をなだめるように、アルバートが割って入る。

「ソフィア博士。副作用の危険性はほとんど解消されています。それに決まった筈です。彼の意見を優先すると」

 ギリッと歯を食いしばって言葉を呑みこみ、ソフィアが会議室を出ていった。荒々しい音をさせて、扉が閉められる。

「さて。私も部屋へ戻りましょうか。あなたは、IMDIへいつ戻ってきたんですか」

「今さっきだ。すぐにここへ向かったから」

「そうですか。先日、婚約なさったそうですね。おめでとうございます」

 皮肉か祝辞か分からない口調を受けて、(アキ)が「知ってたのか」と深く息をついた。席を立ったアルバートは退出せず、晶に近づいて、無造作に腕をつかむ。

 そのままグイッと袖を上げて、腕の皮膚が紫に変色した箇所に目を向けた。痛々しい点滴針の跡を無表情に眺めて、厳しい口調で注意する。

「見ていられませんね。いつまでハンストを続ける気ですか」

「俺の意志じゃない。本当に受け付けないんだ」

「日に日に痩せて、まるで病人のようです」

 言い置いて、アルバートが細い腕を離して退出のために背を向ける。

「アルバート・スペンサー博士」

 ふいに漏らされた、改まった呼びかけに立ち止まると、晶が続けて言った。

「サンプルは今すぐにでも使用可能なのか」

「可能ですよ」

 以前より髪が伸びて、更に大人びた晶は手負いの獣を思わせる。そんな青年の様子を見下ろして、アルバートは次の言葉を待った。

「じゃあ、今すぐ投与してくれないか。煩わしいことは、さっさと済ませておきたい」

「分かりました。では、私の研究室へ」

 他には一切の会話もなく、二人が会議室を後にした。

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