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Dの庭園 〜The Garden of dreams and death〜  作者: 長月京子
第一話:夢に眠る
2/67

1:風立ちぬ

1


 早朝の校舎に一つの人影がある。廊下を歩きながら、吹藤風巳(フトウ カザミ)は落ちつきなく辺りを見回した。今日づけで、私立の貴子葉(キシバ)学園の高等部に転入してきたのだ。いささか早く登校しすぎたのか、校舎には生徒の姿が見あたらない。

「職員室はどこだろ」

 一階をぐるりと回ったが、不思議なことに職員室はなかった。綺麗に清掃された階段を上がって、二階を回る。

 あの突き当たりの角を曲がった辺りにありそうだ。

 そう思い、風巳は少し歩みを速くする。どこからか、パタパタと廊下を走る足音が聞こえてきた。

 どうやら自分以外にも生徒が来ているようだ。

「わっ。ご、ごめん」

 突き当たりの角を曲がった途端、何かが胸の辺りにドンッとぶつかった。

 フワリと、甘い香りが鼻をつく。

 女の子だ。男子校からきた彼は、驚いてしばらく口がきけなくなる。

 一方、勢いよく風巳にぶつかった彼女は、顔を押さえて「ごめんなさい」と頭を下げた。

「あ、いや、……僕の方こそ、ごめん。大丈夫?」

 我に返り、慌てて頭を下げると、初めて彼女が真っすぐ風巳を見た。

「私は大丈夫。ごめんなさい。あの、制服が違うけど、転入生?」

「うん。今日から二年に」

 答えると、人懐こい笑顔が返ってきた。 同時に、肩の辺りで揃った褐色の髪がサラリと揺れる。

「じゃあ、同じ学年だね」

「本当に?――ところでさ、あの、職員室はどこかな」

 風巳も笑みを浮かべて聞くと、彼女は「こっちだよ」と、いま彼が歩いてきた道をさす。

「私も日直で今から行くところなの。案内してあげる。……でも、正面玄関から入ってきたら、二階の職員室の前にでるのに。うちの学校、職員室は階段上がった二階だから。裏玄関からきたの?」

「そうみたいだね。よく分からないけど」

 廊下を歩いていると、窓からグランドに人影が点在しているのが見える。クラブ活動が盛んなようだ。

「あれは何部?サッカーかな」

「うん、そう。けっこう強いんだよ。ね、クラスとかはもう決まってる?」

「クラスはまだ」

「そうなんだ。どこの学校からきたの」

「東京の星雅(セイガ)学院から」

 答えると、彼女は目を丸くして「すごい」と言った。

「頭いいんだ」

「そうでもないよ」

 謙そんすると、彼女は「同じクラスになれるといいね」と笑った。

 職員室へ着くと、彼女は端のデスクにいる教師のところへ行ってしまった。風巳は別室で担任になる教師を紹介されながら、この分だとすぐに馴染めそうだと、そっと安堵する。

 家の束縛のない生活が始まる。それでも手にした自由は、全てではない。別室をでながら、気を引き締めた。 自分が他の学生と異なる事情を持つことに、変わりはないのだ。

 深く息をついて、外のグランドを見た。小さな影がたくさん走り回っている。羨ましいと思えた。

 クラブのにぎやかな掛け声は楽しそうだ。

「――名前ぐらい、聞いとけば良かったかな」

 さっきの彼女の笑顔が、頭をよぎった。



 クラスメートの半分が女子であるだけで、これほど印象が明るくなるのか。 名門の星雅学院が暗かったわけではないが、明るさの質が違う。賑やかと華やかの差だろう。

 風巳は教壇で担任に紹介されながら、改めて女子の存在を確かめる。 彼女はいないな。 一通りクラスを見渡しても、朝に出会った彼女はいなかった。

 残念。自分で思っていたより、ずっと落胆していることに気づく。

「じゃあ、吹藤。何かクラスのみんなに言うことがあったら」

「あ、はい。――今までずっと男子校で男ばかりだったから、女子の存在にちょっと戸惑ってます。分からないことばかりだと思うので、いろいろ教えて下さい。どうぞ、よろしく」

 言って頭を下げた時、教室の前の扉がゆっくりと開いた。

「遅れてすいません。次の教科の先生にプリント取りに来いって言われて」

 聞き覚えのある声。風巳が振り向いて、目を見張る。

 両腕に山のようなプリントの束を抱えて、今朝の彼女が入ってきたのだ。言葉もなく見つめていると、彼女も気づいてちょっと笑った。

「御苦労だったな、結城。重かっただろ。彼は転入生の吹藤だ。とりあえず二人とも席につきなさい。吹藤は窓際の開いてる席だから」

「はい」

 担任はそのまま教室をでる。一気にクラスの中が騒がしくなった。席へ着くと、近辺の席のクラスメートが興味津々と風巳を取り囲む。

 前の席の男子が、思い切って声をかけてきた。

「星雅からくるなんてすげーな、おまえ。俺、木崎京一(キザキ キョウイチ)。よろしく」

「あ、どうもよろしく」

 それをきっかけに、周りからも声が飛んできた。

「俺、沢田巧(サワダ タクミ)。共学だからって喜ぶなよ。うちの女子、凶暴だからさ」

「何吹きこんでのよ、沢田は。今のは嘘だよ、吹藤君。あたし室沢晴菜(ムロサワ ハルナ)、 よろしくね。――それ、星雅学院の制服?」

「あ、うん。まだこっちの制服できてなくて」

 答えながら、人だかりの間からチラリと彼女に目を向ける。視線が合うと、軽く手をふってくれた。


2


 フローリングの書斎で、電話が冷たくコールを響かせる。結城晶(ユウキ アキ)は、閉じていた瞳をゆっくりと開いた。限りなく漆黒に近い紺青の瞳が覗く。

 今日は大学を自主休講し、一日を自宅で過ごしていた。

 ソファから彼の片腕が伸びる。受話器のコールが途切れた。

「――結城ですが」

 名を告げて相手の声を聞くと、わずかに表情が堅くなった。

「今更、そんなことを……」

 受話器からは、落ち着いた低い声が漏れている。彼の表情が険しくなった。

「私には関係ありません」

 吐き捨てるように言って、きつく唇をかみしめる。いつでも自分の意志とは無関係に、周りが動くのだ。昔から、自身のおかれた立場は何一つ変わっていない。電話は彼にそれを示唆した。

「いまさら」

 呟いて、受話器を戻す。強く手を組んで気を静めると、書斎の扉が叩かれた。続いて、妹の声。

「お兄ちゃん、ただいま。いないのー」

 時計を見ると五時前だった。外を見ると陽光は姿を消し、書斎の中も暗く沈んでいる。

 もう、そんな時間になっていたのか。彼が身軽くソファから立ち上がり、部屋をでる。

「おかえり、朝子(アサコ)

「今日は大学に行った?」

「いや、行ってないけど」

 リビングに鞄を放り投げて、妹の朝子が冷蔵庫から缶ジュースを取りだす。

「お兄ちゃんも飲む?」

「いらないよ」

「……あんまり、無理してちゃ駄目だよ」

 サラリと朝子が忠告する。晶がニヤリと嫌な笑い方をして妹の鼻を弾いた。

「だーれに言ってるのかな、その台詞は。お兄ちゃん、感動して泣けてくるぞ」

「もう!すぐそうやって茶化すでしょ」

「別に茶化してないだろ」

「茶化してるじゃない」

 朝子の心配は、いつでも冗談で流されてしまう。

 心配しなくていい。遠回しな答えだと分かっているけれど。

 兄のどこが心配なのか、朝子にもはっきりしたことは分からない。ただ、彼は普通とは違っている。夢を見るのが辛い人なのだ。なのに、夢を見なければならない。

「今日ね、クラスに転入生がきたの。すごい綺麗な顔してたよ。童顔だったけど。感じのよさそうな男の子でね」

「へーぇ。珍しいね。朝子が褒める男なんて」

 ちょっとからかうつもりで言ったのに、妹の顔はこっちが驚くほど真っ赤にのぼせ上がった。

「べ、別に、そういうわけじゃ」

 しどろもどろと面白いほどまごついて、俯いてしまう。嬉しいような、苛立ちのような複雑な思いが晶の中を巡った。両親をなくしてから、ずっと自分が父であり、兄であったのだ。

 面白くないと言う顔をしている兄に気づいて、今度は朝子が笑う。

「お兄ちゃん、ひょっとして妬きもち焼いてる?」

「妹の相手に嫉妬してどうするんだ。ただ……」

「ただ?」

 娘を嫁がせる父親の気分になった。と言いかけてやめた。まだ二十代であまりに空しい感慨だ。

「おまえには秘密だよ」

 それに、相手が悪いかもしれない。タイミングの良すぎる転入生。まだ、妹から名前を聞いたわけではなかったけれど。

「どこから転入してきたんだ、そいつ」

「東京の星雅学院」

 間違いないと思った。兄の微妙な顔色の変化をどう読んだのか、朝子は続ける。

「あ、でも全然そんなふうに見えないよ。明るい感じで。名前はね、吹藤風巳君」

 決定打だった。吹藤風巳。自分の平穏を崩し去る者。

 自分の意志は関係なく、周りが動く。いつでもそうだ。

「着替えてこようっと」

 朝子が鞄を手に、リビングをでて行く。背中を見送りながら、晶は知らずに重い息をついていた。


3


 おしゃべりな人間と言うのは、どこにでもいるものだ。

「吹藤君がうちのクラスに入ったのって、少し前に一人転校したからだと思うよ」

 貴子葉学園、二年C組室沢晴菜がそうである。裏表のないさっぱりした性格であることは二、三日もすれば、じゅうぶん理解できた。

 おまけに好都合なのは、廊下で劇的に出会った(風巳の中ではすでに劇的ということになっている)女の子―結城朝子(ユウキ アサコ)と、室沢晴菜が親友だったことだ。 結果、風巳は簡単に朝子の知人から友人へ昇格できた。

 貴子葉学園の制服も届いて、すっかり学校にもなじんでいる。共学の影響なのか、風巳の在籍している二年C組は人懐こい生徒が多い。

 休み時間には雑談に花が咲く。

「うちのクラスにね、けっこう金持ちな家の女の子がいたわけ。お父さんが製薬会社の重役とか言ってたけど。でも、その子何も言わずにいなくなっちゃって。先生は転校したと言ってるけど、本当のところは誰も知らないの。自殺したとか、いろいろ噂が飛び交ってるけど。そんな子じゃなかったと思うし」

「うん。けっこう気さくで可愛かったしね。男子にも人気があったよ。A組に彼氏がいたんだよね」

 傍らの朝子もそう教えてくれる。二人の話から、失踪した彼女の人柄が伝わってきた。

「でもさ、彼女が貴子葉からいなくなって、仲谷(ナカヤ)も――あ、A組の奴なんだけど、そいつも学校に来なくなったんだよ。もう一カ月位見てない。サッカー部のエースでわりと人気者だったのに」

 すっかり風巳と仲良くなった木崎京一が、行儀悪く机に座って会話に入ってきた。学校では木崎とつるんでいるらしい鳥羽(トバ)もうなずく。

「そうそう。部にはかなりの痛手。俺もサッカー部なんだけど。沙輝(サキ)がいないと、あ、サキって仲谷のことだけど、練習が締まらないんだよな。……吹藤は部活動やんないの」

「うん。俺、一人暮らしだし。いろいろやることあるし」

「そうなんだ。でも、お宅体育の百メートル早かったのにもったいない星雅では陸上でもやってたんじゃないの」

「ああ、うん。星雅ではやってた」

 走っている時は、何も考えずにいられたから。今はそれが許されない。引き換えに、東京をでることができたけれど。

 それでも、何も終わってはいないのだ。あの一族がある限り、仕方がない。

 考えに沈みそうになった風巳を、会話がすぐに引き戻す。どんな理由があろうとも、貴子葉学園へきたのは正解だったと思った。

 楽しいのだ。自分も普通の生徒だと錯覚していられる。

「百メートル十秒代で走るんだぜ、こいつ。陸上やらなきゃもったいないよな」

 鳥羽の言葉に、その場にいた女子が声を上げる。「もったいない」と口を揃えて言われてしまった。

「だったら吹藤君、朝子を連れて帰っちゃえ」

「え?」

 朝子の顔が親友の言葉に赤く反応した。

「ちょっと、晴菜」

「だって、朝子のところって両親いなくてお兄さんと二人暮らしでしょ」

 話が飛んでると、朝子は思う。

「だから、朝子は毎日家事をやってるわけで、一人暮らしの吹藤君のお手伝いがしてあげられる。こっちに慣れるまでご飯作ってあげるとか。そうしたら、クラブできるかもよ」

「そ、そんなの有り難迷惑だよ」

 朝子が否定しても、だいたい彼女の気持ちを察している晴菜は強引に話を推し進める。彼女のそんな戦法でくっついたカップルは学年中に結構いるのだ。

 一方、ここ二、三日の風巳の態度で、その辺りの事情を知っている木崎達も後押しした。

「結構、いい案なんじゃない?なぁ、吹藤」

「え?」

 不覚にも顔が赤く染まってしまう。こんな自分がいたなんて、今まで知らなかった。ついと、風巳は同じように顔を赤くしている朝子を見た。

 自分が初めて、想いを寄せた。そんな気持ちがあることだけで、充分嬉しかった。だから今は、流されてしまおう。

 幸せ、なのだ。これが、ずっと手に入れたかった想いなのだと思えた。

「うん。結城さんが迷惑じゃないなら、有り難い案だよね」

「じゃあ、決まり」

 朝子の返事も聞かず、晴菜が決めてしまう。その場にいたクラスメートが、胸の奥でほくそ笑んだことは言うまでもない。


4


(沙輝!)

 涙が宙を舞い、激しい絶叫が幕切れとなって、晶は目が醒めた。書斎の時計を見ると、十分ほど眠っていただけだ。亡き父親が残した通りの模様で、書斎は変わらず結城邸にある。

 この書棚に囲まれた洋室に残る父の気配が、晶は嫌いではない。

 それでも、目覚めるまで追いかけていた夢の残像が、彼に溜息をつかせた。

 同じ夢を、繰り返し見ている。

「本当に、いい迷惑だ」

 呟くと、いきなり視界が長い髪に遮られた。ソファで横になっている晶を覗きこむ顔があった。

「何が迷惑なの?ひょっとして、あたしのこと」

 早川(ハヤカワ)まどか。もう長く付き合っている恋人だ。彼女が側にいるだけで、嫌な思いもどこかへ消え去ってしまう。まどろんでいた晶の傍で、書棚の本を手にとって開いていたらしい。

 目が合うと、晶は自然に頬が緩んだ。自分の上に垂れている彼女の髪を引っ張る。

「違うよ。こっちの話」

 そのまま引き寄せて、軽く唇を奪う。

「……今のは、不意打ちよ。卑怯だわ」

 離して身を起こすと、頬を染めた彼女に睨まれた。

「卑怯で結構。男ですからね。おかげで、いい寝覚めになった」

「また、夢を見ていたの?」

「習慣のようなものだから」

「でも、ここ最近ずっとよ。たまには、普通に眠ったらどうなの」

「夜は普通に眠っているよ。心配はいらない」

 晶にとって、一番の理解者。彼女がいたから、自分のことを許せた。安らぎは、いつでも彼女の中にある。

「そろそろ、朝子ちゃんが帰ってくる頃じゃないかしら」

「ああ。ほんとだな。――まどかはどうする?帰るなら送るけど」

「今日はね、朝子ちゃんと腕によりかけてご飯を作るわ。彼女と約束してるのよ」

「それで、あんなに買いだししてきたのか」

「そうよ」

 まどかがフローリングの上を足音もなく歩き、パチリと部屋の明かりをつける。そのまま書斎に並ぶ本棚を振り返って眺めていた。

 奇妙な沈黙が続く。しばらくして、まどかが振り返った。

「また、夢の中へ入ったのかと思った」

 辛い眠りに落ちたのかと。

 晶は声を立てず、肩で笑っている。

「何かおかしい?」

「いや。やっぱり聞かないと言わないんだな、と思ってね。今夜はどうする?泊まって行くのか」

「からかってるでしょ」

「とんでもない」

 と答えつつも、彼は笑っている。まどかが少し怒ったように言った。

「泊まって行くわ。今日はそのつもりだったもの。でもね、晶はちゃんと普通に眠るのよ。あたしはそれを見届けるために泊まるんだから」

「指一本触れるなってことかな」

 まどかが深くうなずく。晶が苦笑した。

「じゃあ、子守歌でも歌ってもらおうか」

「いいわよ。それで晶が普通に眠れるなら」

「やけに眠ることにこだわるんだな」

「だって、心配だもの」

 心配。まどかの本心だ。普通に幸せな夢を見て、深く眠ってほしい。辛い夢ばかり追いかけて、彼が疲れているのは分かっていたから。

 晶のからかったような眼差しに、微妙に優しさがにじむ。

 綺麗な人だと、まどかは思う。蛍光灯の下でも、時折、角度によって濃紺に透ける瞳。何度も夢の深淵を映したに違いない。そして、人が胸の奥に閉じこめた悲鳴を聞いてしまうのだ。

 毅然と結ばれた唇が、自分の名を呼ぶのが奇跡のように思えるときがある。

 夢を通して、彼に助けを求める声があるのに。自分はこうして彼と共にいられるのだ。

「まどか」

 はっと我に返ると、いつの間にか彼は目の前に立っていた。

 自分を包みこむ大きな手がある。

「今夜はおとなしく眠るから、側にいてくれないか」

「……そのつもりよ」

 規則正しい鼓動が、彼の胸の奥から伝わってきた。


5


 商店街を朝子と二人で歩きながら、風巳は後悔していた。

 半分くらいは冗談なのだろう。そう思っていたのに、クラスメート達は本気で話を進める。放課後には朝子と二人で教室から追いだされてしまった。ノリが軽いと言えばそれで終わるけれど、二年C組のノリは軽すぎる。楽しくないと言えば、嘘になるけれど。

「あの、――ごめん。俺が調子に乗って変なこと言ったから」

 ちょうど頭一つ程、背丈が違う。女の子って小さいんだなと思いながら謝ると、朝子の方がとんでもないという顔をした。

「ううん。こっちこそ、ごめんね。吹藤君もびっくりしたんじゃない?うちのクラスって、いつもああだから。楽しいんだけど、時々やりすぎ」

「うん。確かにびっくりした」

「学年の中でも、C組って一番仲のいいクラスみたい。団結力があるっていうか」

「そうなんだ。共学ってみんなこんな感じかなって思ってた」

「違う違う。それは大きな誤解」

 商店街を抜けるまでに何とかしなければと、風巳は思っていた。

 結局、「はじめは朝子のところで夕飯でも御馳走になれば?」という室沢晴菜の提案で、現在は朝子の家へ向かっているのだ。

 けれど、このままノコノコ付いていくわけにはいかない。

 あまりにも楽しくて、風巳は忘れてしまっていたのだ、自分の立場を。

 他人と深くかかわるな。それが鉄則。自分にはいつでも枷が存在しているのに。どうかしていたのかもしれない。

 今までのように切り捨てなければいけないことが、たくさんある。

 朝子への想いも、同じだ。今はいらないものでしかない。

「結城さん。やっぱり迷惑だと思うし。俺、帰るよ」

 歩調をおとして風巳が言うと、朝子は振り返って笑う。

「そんなの構わないよ。うちはね、お兄ちゃんと私の二人だから、お客様は大歓迎なの。だからお兄ちゃんの知人が来て、よくご飯食べて行くし。クラスの子が押しかけてきたこともあるもん」

「でも」

「それに、今日は夕食を一緒に作る約束をしているし」

「え?お兄さんと」

「違う。お兄ちゃんの彼女と。すごく料理が上手だから、よくうちで一緒にご飯を作ったりしているの。て言っても、私は教えてもらってるようなものだけど。……食卓は賑やかなほうが楽しいから、来てくれると嬉しいな」

 少しはにかんだように、朝子がまたちょっと笑った。

 今日だけ。

 風巳は自分にそう言い聞かせる。今日だけ、自分を縛り付ける吹藤本家のことを忘れてしまおう。

「ね、だから、吹藤君には来てもらいたい」

「名前……」

「え?」

「吹藤って姓で呼ばれるの、好きじゃないんだ。だから風巳でいいよ」

 知らずに、口が動いていた。

 彼女だから、彼女にだけは。吹藤とは、本家とは関係のない、自分の名を呼んでほしいと思う。

「風巳って、呼んでほしいな」

 ごく自然に笑うことができた。心なしか朝子が頬を赤くしてうなずいた。

「うん。そうだね、名前の方がかっこいいね」

「ありがとう」

 いつの間にか商店街を抜けて、住宅地へ入っていた。



 住宅街へ入り、幾つかの角を曲がると、門構えのなかなか立派な家が視界に入ってきた。

 二人の兄妹だけであんな大きな家には住んでいないだろう。

 そんな風巳の推測はあっさり破られ、朝子はその家の玄関へ入っていく。

「ただいま。吹藤君、……じゃなくて風巳でいいんだよね」

「うん」

「じゃあ、どうぞ、あがって」

「ありがとう、お邪魔します。――広い家だね」

「でも、お兄ちゃんと二人だけじゃ広すぎるの」

 それで客人を歓迎するのか。風巳が納得して靴を脱いでいると、奥からパタパタとスリッパの音がする。

「おかえりなさい、朝子ちゃん。今、キッチンで……。あ、お客様?こんにちは」

 一瞬、風巳は頭の中が真っ白になった。

 笑顔に圧倒されてしまう。派手に飾っているわけではないのに、華のある女性だ。

「こ……」

 こんにちはと言おうとして、風巳の言葉が途切れた。奥からもう一人、誰かが現れる。

「おかえり」

「ただいま、お兄ちゃん」

 長身の人影が覗いたとき、周りの全てが見えなくなった。彼が風巳に気づき、二人の視線が重なる。

 次の瞬間、風巳は激しい目眩におそわれた。

 一瞬にして脳裏に広がった、一面の銀世界。

 辺りは雪、雪、雪。

 凍りついた悲鳴。

 溢れるイマジネーション。白い白い結晶の群れ。

「どうしたの」

 その場に膝をついた彼の側へ、朝子が駆け寄った。

「大丈夫?」

 彼女の声で、雪原が掻き消える。

 背中を支えられながら、風巳は大きく息を吐いた。手先から血の気が引いている。

「大丈夫か」

 低い声が耳に届いた。目眩もやんで、何とか彼を見上げる。澄んだ紺青の瞳が覗きこんでいた。冴えた美貌の持ち主だ。凍りつきそうな冷たい表情が、なぜか風巳に恐れを抱かせる。

「どうも、すいません」

 立ち上がると、強引に腕を引かれて彼に肩を支えられた。傍らの髪の長い美人が、パタパタと廊下を走ってリビングの扉を開ける。

「あの、何かお薬でも用意した方がいいかしら」

「いえ、いいです。大丈夫ですから」

 遠慮する風巳の肩を支えている彼が、朝子を振り返った。

「朝子、こいつが例の転入生か」

「あ、うん。そう」

「じゃあ、まどか。家庭料理でも作ってやれば?一人暮らしには、一番の薬になるだろ」

「分かったわ。朝子ちゃんと二人で頑張るわ」

 いやに意気込んで、まどかと呼ばれた彼女が奥へ姿を消す。

 風巳は支えられたまま、リビングのソファまで連れて来られた。

「本当に大丈夫?それで、彼は私のお兄ちゃん。晶って言うんだけど」

 妹の隣で、彼が無表情にこちらを見下ろしている。

「あの、ほんとにすいません」

 立ち上がって名乗ろうとすると、一瞬早く彼が口を開いた。

「吹藤風巳だろ。見た途端に分かったよ。『童顔で可愛い。綺麗な顔立ちで、髪の色は明るい栗色。瞳が澄んでてハーフみたい』朝子から耳にタコができる位よく聞いてる」

「え?」

「お兄ちゃん!」

「おやおや。本当のことだろ」

「だからって……」

 傍らで騒ぐ朝子をからかいながら、彼が再び振り向いた。

「気分が悪いんだろ、座ってろよ」

 風巳の中で、さっき感じた恐れがすうっと奥へ退いた。

 さっき、一瞬のうちに流れ込んだイメージ。

 それが何を意味するか、風巳には分からなかった。



 書斎へ戻ると、晶は深い吐息が漏れた。

 ソファに崩れるように腰掛けると、浅い笑いがこみ上げてくる。

 眠りが夢を誘うのは必然。

 自分が夢を見るのも、何ら異常なことではないと思いたいのに。

「吹藤、か」

 その名を呟く声は、自然と重くなる。最もかかわりたくない一族の名だ。

 人間の感覚器官は、五感に限られている。

 視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。

 けれど、彼らは眠り――夢に関する感覚を別に考える。

 他人の夢を垣間見ることのできる力の存在。

 人が心の底へ閉じ込めた声を聞く力。

「馬鹿馬鹿しい」

 掠れた声音が吐き捨てられる。他人の夢への干渉を証明する証拠など、元からあり得ない。仮にあっても、偶然でしかない。偶然でしか片付かない。

 そう割り切ってみても、自分が痛いほど認めている非現実がある。

 吹藤は、その力を受け継いだ血統を守る一族だ。表向きには何千、何万という企業を傘下に持つ有数の企業。けれど本家では、ひっそりと、けれど確実にこの血を残していく。

 およそ十五歳から二十歳まで。もっとも感受性の鋭い期間だけに見る悪夢。

「晶」

 扉の向こうで、まどかの声がした。続けて二度のノック。

「ご飯の用意ができたの。ダイニングへきて」

「分かった」

 答えて、彼がソファから立ち上がった。

 現実と、非現実。夢と現がある。

 眠りの中では全てが夢だから、現実ではない架空に等しい。

 決して、異質な力ではない。

 部屋を出ようと、扉に触れた手がそこで止まる。晶が軽く首をふった。

 繰り返される夢。目覚めてからも残る全ての手触り。

 異常な夢の見方をしている。

 二十歳になれば消え去ってしまう弱い力。

 だとすれば、既に消え去っているはずの力なのに――。

 まだ、自分は夢を見ている。年ごとに、あるいは日ごとに研ぎ澄まされて行く。眠りは鮮明に、情景を拾いあげる。

 書斎をでると、まどかが長いサイ箸を持って廊下で待っていた。晶の顔を見ると、にわかに表情がくもる。

「夢を見ていたの?」

「いや、どうして」

「暗い顔してるから」

「照明の加減だろ。まったく、おまえはすぐそれだ」

「だって」

「はいはい。気持ちはよく分かりました」

「もう、晶はすぐにごまかすでしょ。本当に顔色……」

「まどかさん。その口ふさごうか」

「――――……」

 彼女が即座に一メートルほど身を引いた。サイ箸で防御するように前で構える。晶がくすくすと笑い、「冗談だよ」と呟いた。

 二人でダイニングへ向かうと、廊下まで朝子と風巳の声が漏れていた。

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