プロローグ
庭園に眠り 永い微睡みの中で 君の名を呼ぶ
1
あれは雪の降る日。思いだしたくもない光景が行き交う。こんな夢は終わらせなければならない。
真っ白な積雪の上に、赤い滴がにじむ。滴は暖かいのか、周りの雪を溶かし、ゆっくりと交じわって行く。パタパタと続けて赤い滴が零れた。
これは涙だ。
泣いているのは自分。
こんな夢は見たくない。これは罰なのだ。
あの雪の日に全てを狂わせたのは、自分だから。
狂っている。
信じられなかった。それでも自分の子を腕に抱きたかった。
「この子、私に似てるわね、あなた」
雪は深々と降り積もり、隣にいる夫の笑みを凍らせる。
「ああ、似てるよ。可愛い子だ」
瞳から溢れ続ける、真っ赤な涙。分かっている、自分が何をしたのか。
それでも我が子を胸に抱きたかった。
ああ、いけない。
眠り続ける子供の上にも、血の涙が落ちてしまう。汚してはいけない。
この子だけは、雪のように綺麗でいてほしい。
そして、本当に綺麗な娘になった。
「許せない。私はお父さんとお母さんを許せない。そして、自分を許せない。許せるわけがない」
どうして、そんなことを言うの。あなたは汚れていない。
「許せないの。それでも大好きよ、お母さん」
あの子の微笑み。哀しい夢は、いつもここで終わる。
こんな夢は、終わりにしたいのに。
2
一通の手紙が届いた。はやる気持ちを抑えて便箋を開くと、胸に鈍い痛みが広がった。
最後まで目を通さないうちに、痛みが目頭までのぼってくる。
パタリと便箋の上に涙が落ちた。
「そんなこと……」
関係ない。関係なかったのに。
うすうす気付いてはいたのだ。認めたくなくて、何度も打ち消した推測。
ついにそれが真実になってしまった。
手紙を折りたたみ、涙を拭い去る。
罰を受ける必要がある。関わった全てが、そして自分が。
はじまりから狂っていたのだ、全ての歯車が。
望んだ幸せは、もう手にすることができない。
「どうして、こんなことに――」
夢のように儚く、この手から零れ落ちてゆく。
全てが壊されてしまった。
3
夢の中では、いつでも雪が降っている。行く手をはばむように、視界をさえぎるように。
駄目なのだ。あの影を見失ってはいけない。
声を限りに呼びかけても、届かない。取り返しのつかないことになる。
「お母さん!」
行かないで。行くと不幸になる。
あなたも私も、不幸になるのよ。
「行かないで」
真っ白な雪が帳を降ろす。見えなくなる。母の影が、追えなくなる。
その腕に抱いているものを、離してほしいのに。
そうすれば、間違わずにすむ。
「翠」
ふいに、背後から名を呼ばれた。その声に向かって、走って行けたらいいのに。
もう駄目なのだ。
私とあなたは、共にいてはいけない。
「翠」
駄目なのだ。私がここにいることが、間違いだから。
遠ざかる、あの人の声。本当はずっと聞いていたいのに。
やり切れない。
誰か、助けて。
今のままでは、苦しすぎる。
「――沙輝」
こんなに、あの人を想っているのに。
何も知らなかった、あの頃の夢へ帰りたい。