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刹那の自省

作者: 黄輪
掲載日:2017/05/05

 夜遅く、いや、もう明け方になろうかと言う頃まで、俺は自慢の愛車で峠を走っていた。

 ちょっとカッコつけるなら、「峠を攻める」と言うヤツだ。

 何十回、下手すれば百回、二百回以上も走りこんできたその道を、いつもと同じように、いや、同じようなつもりで、軽く流した。


 だが――車体が斜めに引っ張られ、ステアリングが勝手に傾いていく。

 タイヤはギャンギャンと悲鳴のような音を上げて、俺の愛車は俺が思ってもいないような滑り方をし始めた。

 しまった、アクセルを強く踏みすぎたらしい。

 慌ててブレーキを踏み込んだが、それはコントロールを失いゆく愛車を、さらに混乱の淵へと追いやったらしい。

 4輪すべてのタイヤがロックし、制動力を完全に失ったクルマは、まるでコマのようにくるくると道路上を滑っていく。

 やがてクルマはケツの方からガードレールに突っ込み、突き破り、そのまま俺ごと、空中へと飛び出していった。

「ひっ――」

 声にならない叫びが、俺の喉から絞り出される。

 ほんの一瞬前まで俺がいた崖が、フロントガラスに映る。

(死ぬ……っ!)

 頭の中が、その一文字で埋め尽くされる。

 そして崖が遠のいていくと同時に、俺の意識も遠くへ飛んで行った。




 走馬灯。

 死ぬ寸前に見るって言う、あの、あれ。

 意識が遠のき、現実から完全に遠ざかった俺の頭にも、それが映り始めた。


 3歳の頃、親父の背中に乗って、バイクに乗せてもらったこと。

 5歳の頃、鈴鹿に連れて行ってもらい、始めてレースを観戦したこと。

 9歳の頃、カートの大会で優勝したこと。

 12歳の頃、親父が大怪我して、それがきっかけでお袋が出て行ったこと。

 14歳の頃、俺も親父と大喧嘩して、家出したこと。

 18歳の頃、借金して免許取って、働き始めたこと。

 20歳の頃、レーサーの、ほんの端くれになったこと。

 22歳の頃――今の俺だ――レース車をブッ壊して、つい6時間ほど前に、チームをクビになったこと。


(……ああ、そうだ……)

 意識が戻ってくる。

(俺、頭に血が上ってたんだな。だから曲がり損ねたんだ)

 意識だけが、はっきりしている。

(いっつもそうだ。いっつも、そうだった。

 ちょっとしたことですぐキレて、すぐ喧嘩して、で、すぐ『もういいッ!』って叫んで、結局ごめんの一言も言わねー。

 親父と一緒じゃねえか……。そんな自分勝手な親父が嫌で家を出たってのに、なんで俺、親父と同じことしてんだよ、マジで)

 飛び出した直後、すぐ目の前にあった崖は、今はもう、1メートルか、2メートルは離れていた。

(昨日のレースだってそうだった。監督から『抑えて走れ』『熱くなるな』ってしつこく言われてたのに、俺は前の車に離されるのが嫌で、無理矢理突っ込んだ。

 その挙句、ヘアピン曲がりきれずにドッカン、壁に向かって一直線、……だ。

 しかも自分が失敗したくせに、『トロいセッティングしやがったから』とか、勝手なこと言って。

 で、取っ組み合いの大喧嘩の末に、監督に滅茶苦茶殴られて、『お前みたいなバカに乗せるクルマなんか無えッ!』って追い出された。

 俺、……本当、バカだな。……今度と言う今度は、本当、反省したよ。……後で謝りに行こう。本気の本気で、誠心誠意、謝りに行かなきゃな。

 ……謝りに、行けたら、……だけど)

 俺の車は宙を舞っている。

 もう、ここはあの世のすぐそばなのだ。

 後3秒、4秒も経てば、クルマは俺もろとも、森の中に突っ込んでいく。

 そうなれば一瞬で俺の愛車は爆発、炎上するだろう。

 ……クルマ好きの俺がクルマと心中するって言うなら、それはそれで、いい死に方なのかも知れないが。




 が。

(……いつになったら落っこちるんだよ、おい!?)

 俺の感覚で、もう10秒、20秒、いや、1分以上も、クルマは宙を舞い続けていた。

 いや、舞っていると言うよりも、そのまま静止しているのだ。

 さっき気が付いた時、2メートルは離れていた崖は、未だ3メートルも離れていない。

 ふと気が付き、ダッシュボードの時計を見てみると、4:58を指している。

 だが、真ん中の「:」が点滅していない。あれは確か、一秒ごとに点いたり消えたりしてたはずだ。

(これって、あれか? アドレナリン的なのがドバドバ出てて、1秒が10秒にも1分にも感じられるって、ああ言う系の話か?)

 そう思って、腕を動かそうとする。しかし、妙に重く感じる。思ったように動かない。

 やはり今、俺は1秒をとてつもなく長く感じていて、動かそうとしているこの腕も、コンマ何秒かでほんの少しずつ動いているのを、ちゃんと動いているように感じられていないらしい。

(な、生殺しだ)

 とっくに死ぬ覚悟はできていた。

 クルマと一緒に死ぬなら本望、……と、(俺の中では)30秒も前に肚を括っていたのに。


 こうなってくると、命が惜しく感じてきてしまう。

(……そうだよな。まだレースで優勝どころか、表彰台にすら立ってないのに、こんなことで死にたくねーよなぁ)

 諦めていたことを、一つ一つ、思い出していく。

(やっぱり、監督やチームのみんなに、ちゃんと謝りたい。俺がバカでしたって、頭下げて謝りたい)

 俺の頭は、「逆」走馬灯とも言うべき回転をし始めた。

(免許取った時の金、まだ半分返してなかったよな、そう言えば。『レースで金入ったら』とか何とか、色々理由付けて。

 それも、ちゃんと返そう。……ギリギリ、返せる貯金はあったはず。タイヤ買う金を回したら、何とか返せるよな)

 やがて脳裏に、親父の顔が浮かぶ。

(親父……。10年前の怪我で、二度とクルマに乗れなくなっちまったんだよな。

 そりゃ、荒れもするよな。俺だってクルマに乗れなくなったとなれば、すっげぇ悲しいもん。

 その気持ちを少しも汲んでやれなくて、……ごめん。本当、ごめん。

 もしもここから生きて帰れたら、俺、真っ先に、……謝りに行くよ)

 やがて逆走馬灯は俺の記憶が途切れるところまで進み、空白になる。

 しかし――それでも俺のクルマは、宙に浮いたままだった。




 長い長い時間が、俺の頭の中だけで過ぎていく。

 俺はその長い時間を、最初は、じりじりとした気持ちで過ごしていた。


 未だに「:」は点滅しない。未だに4:58を指し示している。

 やがて待つのにも疲れ、俺は頭の中だけで眠った。

 6時間か、8時間か、それとも10時間か。

 いつになく熟睡して、そして目を覚ますと、まだ俺はクルマの中にいる。


 俺は寝る前に考えていた皆への謝罪を、細かくシミュレートしてみる。

 監督にはこう謝ろう、チームの皆にはああ謝ろう、親父にはどんなお土産を持って行こうか……。

 何度も何度も、俺が考えつく限りに綿密なシミュレーションを立てる。


 それもやり尽くし、俺は他に、何も考えられなくなった。

 いや、正確に言うなら、何を考えたらいいのか、まったく分からなくなってしまったのだ。

 もう心の中に抱えていた心配事は、全部考え尽くしてしまったのだ。

 その問題点の洗い出しから、できる限り最善であろう対処法までも。

 もう何も考えることが無くなってしまえば、いよいよ俺は、この空中でやることが無くなってしまう。

(他に、他に……他に、何か問題は無いのか? 何よりもまず、考えなきゃならないことは、無いのか?)


 そこでようやく、俺はこの状況で一番大事なことに――まず、何をしなければならないのかに、気が付いた。




《おい、大丈夫か!?》

 監督の心配そうな第一声に、俺は元気に答えた。

「はい、大丈夫です。ご心配おかけしました」

《……っ、ふ、フン。バカは死ななきゃナントカって言うからな、いっぺん死んでみればよかったんだ》

「すみませんでした」

《……あ?》

「昨日は本当に、申し訳ありませんでした。深く反省してます」

《ど、……どうした? やっぱりお前、頭かどっか打ったのか?》

「いえ、『じっくり』考えたんです。やっぱり俺が全部、悪かったって」

《……フン。後でちゃんと俺んとこに来いよ。たっぷり説教してやるからな。……その後で次のレースの作戦会議だ。忘れるなよ》

「はい。検査終わったら、すぐ行きます。それじゃ」

 一旦電話を切り、俺は深呼吸した。

 次に誰に電話するか、じっくり考えるためだ。


 俺はあの刹那の間、本当に、これまでにないくらいに、じっくりとものを考えた。

 そう、じっくりと考えること――それは俺にとって、一番大事なことだったのだ。

 今、何をすべきなのか。今、本当に必要なことは何なのか、……と。




 あの時最も一番にすべきだったこと。

 それは監督への謝罪でもなければ、親父への憐憫でもなかった。

 まず、俺自身があそこから生還することだったのだ。


 それに気付いた途端、「:」が点滅した。

 俺は慌ててシートベルトを外し、ドアを開け、サイドステップを蹴って、崖へと飛んだ。

 あのまま時が止まっていたことが幸いしたのだろう。俺はギリギリ、崖につかまることができた。

 愛車が森の中へと吸い込まれ、ボン、と爆発音を轟かせたのを背中で感じながら、俺はぼそ、とつぶやいた。

「……あれだけ何十時間も色々考えてたってのに、……はは。

 自分のことは最後まで考えつかないなんて、……本当、バッカだなぁ、俺」

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