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スカイウォー

スカイウォー 藍色の象

作者: ベロニカ


 前方に敵機。

黒い点が1機近付いてくる。スチーヴァだ。


 相手も気付いたらしい。

戦闘は避けられない。


 上には黒ずんだ青。下を見渡せば白い雲海が広がっている。

ここにあるのは、空と、ぼくと、スチーヴァを駆る彼だけだ。他には何もない。


「Two, Tally bandit six o'clock.(2番機、六時方向に敵を目視確認)」


 ぼくはラダーペダルを強く踏み込み、左にロールした。

頭上を白い雲が流れてゆくのが見えた。


 スチーヴァとの距離が狭まる。


 すれ違い様に撃った。


 当たったかどうか確認する前に操縦桿を手前に引き、180度ループ、スプリットS。

スチーヴァはバレルロールで振りにかかる。


 螺旋を描いて飛行する敵に喰らいついた。

こちらのオーバシュートを狙っているようだ。


 キャノピに反射する太陽の光が、コクピット内に充満する埃を照らし出している。

ぼくはフライトグローブに包まれた手で操縦桿を握り締め、しかと前に目を向けた。


 スチーヴァがブレイク、急旋回。

射撃位置を外れた。


 左右にシザーズ。

ぼくは水平飛行に戻し、エルロン・ロール。


 スチーヴァは斜め後方。


 撃たれた。首筋を冷や汗が走る。対空機関砲の乾いた射撃音が耳にこだました。


「Warning, warning(機体損傷)」


 火器管制システム・飛行管制システムに支障なし。

落ち着け、ぼくはまだ生きている。


 右にターン。

エレベータで機首軸線を調整し、尾を引いて旋回。


 スチーヴァは上昇、ハイヨーヨー。

後ろにつかれた。


 急降下、ダイブ。

勝負所だ。


 斜めに上昇、バンクをかける。

ラダーを引き起こし、180度旋回。ウイング・オーバー。


 スチーヴァと並ぶ。


 敵がループ。頂点でロール、インメルマンターン。

ぼくはシャンデルで追う。


 敵を見下ろす位置。


 バレルロール。

スチーヴァのブレイクした方向とは逆にロールし、下に潜り込んだ。


 敵はジンキングで揺さぶりをかけてきたが、ぼくは慌てずに空対空ミサイルを放った。MPCD火器管制パネルの残り弾数が減る。


 腹部から発射されたAAM-5はスチーヴァの尾翼に命中し、機は黒煙と炎を曳いて墜落していった。


「Two, Splash my bandit.(2番機、目標撃墜)」


 報告を終えると、急に疲れに襲われた。

機関砲で撃たれた時、ぼくはここで死ぬのかと思った。不思議な感情だった。空の上に戦闘機が2機、どちらか片方が勝ち、どちらか片方を墜とす。それだけの事実として受け止めていた。


 帰投方向に旋回しようと操縦桿を引きかけた時、ある奇妙なものがぼくの目に映った。スピンしながら墜落していくスチーヴァのコクピットから濃い藍色の何かがひょいと顔を出し、ふらふらと上昇していくのだ。


 象の形のバルーンだった。

丸い面長の風船に鼻と足がくっついており、表面には耳のイラストが描かれている。


 象は空と見分けのつかないくらい、深い色をしていた。

ゆっくりと、頭上の黒に向かって浮上していく。


 夢の中のような幻想的な光景だった。

ぼくは戦いを終えた後の恍惚感も相まってしばしそれに見惚れていた。

 










 基地にいると、ぼくがぼくという人間であり、生きているということを忘れてしまいそうになる。

それくらいにここでは変化のない日常が流れている。基地にいる奴らは皆同じような性格をしており、どれが自分なのかわからなくなってしまう時がある。

 それを慰めてくれるのは、友人という存在だけだ。


「グランで脱走を企てた奴らが一斉検挙されたらしい。知ってるか?」

「いや」

「結局、おれたちが相手にしているのは人間だってことだな。つくづく思い知らされるよ」


 リュプトスは饒舌だ。

彼といると気が休まる。ひとりの時よりもだ。


 ぼくは傍らのポップコーンを口に運び、噛み砕いた。細かな粕が口内に残り、気持ちが悪かった。


「リュプトス、ぼくらは子供だろうか」

「だろうな」

「でも、やってることは大人だ。人を殺してお金を貰う」

「人殺しが大人のパテントだってのか。それは見当違いだ、クアド。」


 リュプトスは揺れる黒カーテンとそれに両端を挟まれたスクリーンに目を向けた。20余りの座席にはぼくら以外の姿は見られなかった。


「ぼくは理由を探しているのかもしれない、なぜ戦わなければならないのか」

「黙れよクアド、始まるぜ」


 暗くなり映画が始まった。

リュプトスもぼくも一言も喋らなかった。

 映画は至って平凡な内容で、平凡な主人公が平凡なヒロインに恋に落ち、そして予想のつく落ちるべきラストに収束した。ぼくは時折ポップコーンとコーラに手を伸ばしていたが、リュプトスは映画が序盤を過ぎる頃にはコーラを飲み干し、ポップコーンの赤い箱も空にしていた。


 申し訳程度の、エンドロール。

ぼくらは席を立ち、出口に向かった。


 外は眩しい。


「どうだった?」

「何が」

「映画の感想」


 ぼくは上空を横切るグリフィンの機影を目で追いながら、いった。


「特に、何も」感じることはなかった。


「何もってことはないだろう。どんな映画にだって伝えたいことはある」

「ぼくには何も伝わってこなかった、それだけさ」


 実際そうだろう、映画は人間が作り出した仮想だ。日々空で戦い、戦争という現実を身を持って体感しているぼくらにとっては、映画などというのは子供だましでしかない。ぼくらが何かを感じとるべきは仮想ではなく現実にある。


「それより」ぼくはいった。「さっきの話の続きが聞きたいんだけど」

「さっきの話?」

「グラン国で脱走兵が出たって話」

「ああ、それか」


 ぼくらは芝生の前を通り過ぎた。

球技に熱中する隊員たちの声が降り注ぎ、やがて消えた。ここからは聳え立つ管制塔と本部が見渡せる。


「奴ら、象を使うんだそうだ」

「象?」


「計画は秘密裏にたてられ、奴らも互いに誰が逃げ出そうとしているのか知らないらしい。監視の目の届かぬ空の上で目印を飛ばすことで、初めて同志を確認できる」

「それが藍の象なのか」

「よく知ってるな」


 リュプトスは驚いたようにいった。

午後の夏日が降り注ぐ中をぼくらは歩き続け、バニラ・アイスクリームの自動販売機の前で足を止めた。リュプトスはMサイズ、ぼくはSサイズを選び、はきだし口からそれを掴み取った。コーンにはサンウェルト基地のロゴがプリントされたスリーブが巻かれており、ぼくはそれを剥がし取ってポケットに突っ込んだ。


「象を機外に放った機は、即席で隊列を組んでどこかに行く」

「どこかって?」

「さあ、知らん」


 リュプトスはバニラ・アイスクリームをぺろりと舐めていった。


「つまりそれって、ぼくらは仲間です、ってことを示してるわけだよね」

「志を共にした、だ。グランの徴兵基準はおれたちより若いそうだからな、逃げ出したくなるのも無理はないだろう」

「ぼくらが逃げ出して、見つかったら?」


 リュプトスは動きを止めた。


「クアド、お前。もしかして変な気を起こしてるんじゃないだろうな、おれは御免だぜ」


「まさか」ぼくはいった。「聞いてみただけだよ」


「よくて国外追放、基本は銃殺だ」


 銃殺、という重みを含んだ響き。

でも、とぼくは思う。銃殺されるのと空の上で撃ち落とされるのと、何が違うっていうんだろう。まだ子供のぼくらはその答えを知らない。ぼくらにできるのは、戦うことだけ。そういうものを探し求めている暇などぼくらにはない。











 それから一週間経った。

ぼくの隣で喋くっていたリュプトスはもういない。偵察任務の際にあっけなく撃墜されて戦死してしまった。


 昨日まで酒を酌み交わしていた仲間が、明日もいるとは限らない。

当たり前のことだ。そう思って生きてきた。朝礼で戦死者の名前が読み上げられた時、ぼくらはそれを改めて実感する。


 長い時間を永遠のものだと感じるように、ぼくも彼が隣にいることを当然のことだと無意識のうちに考えていたのかもしれない。


 悲しいのだろうか。

基地から見上げる街はひどく大きく立派に見える。そしてぼくらが相いれない存在だということをまざまざと認識させられる。


 ふいに、あの時墜としたスチーヴァの影が脳裏に浮かんだ。

彼は一体、どんな気持ちで象を放ったのだろう。それはただ単に、彼が死ぬ前に自分の存在を示したかった、というだけのことなのかもしれない。


 それでも、彼の意思が確かに伝わったのだと、ぼくは信じたい。信じていたい。



 今日も出撃の時刻がやって来る。

ぼくらは逃れられない。宿命を受け入れ、環境に満足する者がいれば、抗う者もいる。


 この基地はぼくらから自己というものを奪い取り、空で戦うための意思を持たない兵器へと変貌させてしまった。


 機械としての一生に甘んじることが幸せなのか。

そうじゃない。幸せになりたければ、死なないことだ。生き延びることだ。


 ぼくは、どっちなのだろう。


 どこまでも続く滑走路。

作動チェックを終え、地上の整備員がグッドラックのサインを送っている。


 

 蒼い空に、一頭の象が飛んでいた。



 加速、クリーン。

主脚が離陸。ピッチ角は40度。


 アフターバーナの薄い炎を曳いて、ぼくの機は飛び立った。


 ぼくは藍色の象を追って、空を往く。

 

 誰にも止められない。


 これがぼくの意思だから。


 ぼくが取り戻した、唯一の自己だから。





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