7章−第3幕 演習前の一幕
※ 3 ※
新造艦ユリシーズ艦長クリスとヤン=スィンが艦橋に入ってくると同時に、待機命令を受けていた艦橋スタッフと各部門責任者は一斉に起立して彼を迎える。クリス自身、まだ30歳になったばかりだが、艦橋スタッフは同年代か、それ以下である。しかし、彼らの錬度は連合宇宙軍でも屈指の部隊だとクリスは確信していた。
かのクランフ・オフレッサーの旗下の勇者たちなのだ。彼らの一糸乱れぬ見事な敬礼に、型通りの答礼を施し、全員に着席を促して自らもシートに腰を下ろす。
「今更、説明する必要もねぇだろうが、一応形式は踏んでおこうか」
クリスはそう前置きをし、副長のヤン=スィンに視線を送る。頷いたヤン=スィンは、練達の手さばきで端末を操作しながら、説明を始める。
「統合作戦本部からの命令書を読み上げます。『1月20日に行う演習に、第六艦隊所属として参加。艦隊指令の命令に従う事』・・・・・・以上です」
艦橋に集まった14名のスタッフの中でまず口を開いたのは、ウランフ・オフレッサーだった。
「ずいぶんと簡潔明快な命令だな。月のお偉方は、お得意の修辞学をどこかに忘れてきたか?」
朗らかな笑顔で痛烈に皮肉るオフレッサーに、同僚らは悪意のある微笑を浮かべ、小さく頷き、あるいは肩をすくめた。現場の実情を考慮せず、しばしば机上の作戦案を押し付けてくる傾向が強い統合作戦本部に、現場の将兵は程度の差こそあれ、オフレッサーと同じ感想のようである。クリスなどは、余程オフレッサーの言い方が気に入ったのか、さらに皮肉る。
「今回、俺が着任して初の戦闘展開だからな。好きなようにやらせてみて、落ち度があれば俺を罷免でもするつもりなんさ」
「ま、貴方を飼い殺しにするには、悪くない檻なのは認めますよ」
一瞬の内に氷点下まで艦橋の温度を下げる一言。それを云ったのは、チビで、デブで、メガネの副長ヤン=スィンである。上官本人を目の前にして、凄いを通り越して凄まじすぎる一言を言ってのけた怖いもの知らずは、ニコニコと笑みを浮かべている。クリスの激昂を予期した幾人かが顔を引きつらせたが、クリス本人はしれっとしたものである。
「残念だが、んなことはねぇな。むしろその逆だ。第六艦隊司令殿は、直々に俺とヤン=スィンを幕僚として抜擢されてな。ま、今回、誰もが認めるような活躍せんとならん訳さ」
「艦長、どういうことですか?」
どこまでも礼儀正しいヨハン・シュナイダーが質問する。
「どうもこうもないさ。この艦の習熟航行のレポートを司令官閣下が甚く気に入られただけなら良かったんだが、迷惑千万なことに出世させてやるから、活躍して見せろ、と云ってきたのさ」
「ガハハハハハハ、馬鹿正直に意見を書いたりするから『お上』に目を付けられるんだ。まぁ、せっかく出世できるんだ、大いに栄達して俺らを楽にしてくれよ」
豪快な笑い声のオフレッサーに渋い顔を向けるクリス。
「他人事だと思いやがって。 俺はそういうゴタゴタしたのは嫌いなんだよ」
「なに、新造艦の艦長だって巧くやってるんだ。お前さんなら、幕僚でも艦隊司令でも巧くやれるさ」
「簡単に言いやがって」
小さく嘆息するクリスに、ニタニタと笑みを浮かべるオフレッサー。
「クリストファー・エルウィン提督、語呂も悪くない。少しやってみないか、クリス? 俺はアンタが本気で上を目指すなら支持するぜ」
「よく言う。士官学校出ていない男がトップに立てるほど、軍って組織が甘くないのは俺だって良く知っている。期待するなら、ヨハンにすべきだぜ」
「だったら、アンタがその道を開けばいいさ、クリストファー・エルウィン。この艦にいる連中は、全員、アンタと一蓮托生さ」
それにクリスは冷笑を浮かべて答える。
「人を見る目を養った方がいいぜ、アンタら」
クリスは、本気で上を目指そうと思っている自分を認めざるを得なかった。自分を見る彼らの目の、なんと力強い輝きか。彼らとは長い者でも三年、短い者は2ヶ月の付き合いだ。にも関らず、彼らは己に命を預けると言う。
軍という組織の敵は、直接相対する者だけではない。羨望、劣等感、敗北感、屈辱、矜持……そういった有象無象の感情も大敵になりえるのだ。だが、それに打ち勝てる信頼が己にある。クリス自身にも、そういった感情は存在する。人間ならば、持っていて当然の感情だ。
(……見苦しいな)
心の澱を吐き出すため、一度、深く呼吸する。
己と他人を比較するほど有害無益な行為はない。己が優っていれば気持ちが奢って周囲を見下すし、劣っていれば自虐的になり、虚無感の虜になってしまう。他人と自己の優劣など、もとより考えぬことだ。吐息と一緒に負の感情を追い払ったクリスは、気を取り直す。
そして、その様子を楽しそうに見ていた己の副官と目が合う。
「さて、艦長殿。 我々の出世栄達の為の作戦会議と参りましょうか」
要所、要所をどうにもヤン=スィンに押さえられる。そういった意味では、この男を幕僚に抜擢した艦隊司令の目は確かと言うことだろう。
「そうだな。では、まずは演習前に英気を養う為に、みんなで食事に行くとしようじゃないか、副長殿の奢りで」
口論を始める艦長と副長を傍目に、一同は外出の準備を始める。
(軍隊らしくない軍隊もあったものだ)
微苦笑を浮かべシュナイダーは、艦内放送で一同に副長の奢りで食事の連絡をする。それが副長に止めをさしたのは云うまでもない。