5章−第4幕 戦後政治史
※ 4 ※
経済学者ジョニー・ヴェラスカーは地球の経済的価値を以下のように断じた。
人類圏の宗主として「地球」は君臨しているが、その経済的指導力は既に月面、あるいはコロニーへと移行したと云えよう。宇宙世紀という新時代に突入した世界は、そのテクノロジーを超国家的主義によって技術の均衡化がなったのである。地球から1億km離れたコロニーで造られた電子レンジが火星で売り買いされ、火星外縁の小惑星地帯で産出されたニッケルが月面で加工される。『神の見えざる手』というやつが、歴史的不公平を不鮮明にし、ジョニー・ヴェラスカーの言葉を借りれば『世界の技術格差は、パキスタンの煉瓦職人が喜びそうなまっ平らな層になってしまった』のである。
無論、それはジョニー・ヴェラスカーの見解であり、必ずしも事実ではなかったが、その指摘は多くの面で的を得ていた。だが、一方で現実が目前に広がっていても認めたがらない人種も存在した。地球連合政府の議会は《連邦府》と呼ばれているが、その議会も既に自浄作用を失い、腐敗した衆愚政治の温床となっていた。三世紀にも渡る世襲されていく議員一族は数多くの醜聞を出しながらも、綿々と権力を継承してきたのである。
その代表格であったのが、地球連合政府議会上級議員ジョージ・クルーガーであった。
ロマンスグレーの紳士、そう形容するに相応しい容貌と弁舌爽やかな持ち主ジョージ・クルーガーは、地球連合政府元首を三度に渡って輩出した名門クルーガー家の長男として、次期元首の呼び声高い男であった。
そう5年前までは。
宇宙開発省大臣及び金星惑星改造委員会委員長の地位に着いたジョージ・クルーガーは、新たな人類の領域を広げる指導者としての名誉と、数年後の元首の地位の為に意気揚々と精力的に、各方面の折衝役を買って出た。
彼自身の能力的なものに関しては決して低くは無かったが、時期が悪かったとしか言いようが無い。一世紀ほど前であれば、彼は名元首として歴史に名を残せたのかもしれない。だが、彼が生まれ元首を目の前にした時、金星との戦争という予想だにしなかった事態に打ちのめされたのである。
突如、侵攻してきた金星艦隊に対し、連合宇宙艦隊は月面宙域での会戦に挑み、大敗を喫した。果たして彼としては、世論に乗っ取り、月面戦没者の為の慰霊演説を行い、不甲斐無い宇宙艦隊を弾劾した。彼自身、月面での会戦の敗戦は油断からのものだと考えていたし、宇宙艦隊がこれ以上の失態をするとは思わなかったのである。ならば、この時期に軍への牽制をして識見者の支持を集めようと考えたのだ。
だが、予測は見事に外れる。彼の思惑通りに僅か4ヶ月という短期間で決着は着いたが、その被害は宇宙艦隊の7割を損失という軍組織として壊滅と称してもよい損害を受けてしまったのである。
「ハイヴィスカス戦役」――軍事的、経済的、そして政治的、人類圏のありとあらゆるモノを巻き込み、混沌の渦の中に叩き込んだのである。
それでもジョージ・クルーガーほどの政治能力があれば、失墜する事無く、この難局をのり超える事ができただろう。だが、彼は己に強大な政敵が出来た事に気付くのが遅すぎた。
――金星軍との熾烈な戦闘は長期戦ではなく短期決戦を望んだのは、何もジョージ・クルーガーだけではなかった。|《連邦府》(フェドランド)による決議を待っての行動では、全てが遅すぎると、地球連合政府軍中将ゼノ・シールスは、文民統制の原則を遵守しつつ迅速な作戦行動を採る為に、神業的な手腕を以って行政部門最上級作戦司令部(エグゼティブ・ブランチ・ジェネラル・オペレーション・コマンド)なる機関を創り上げていたのである。
便宜上とは云え、文民統制の原則を遵守する利益を計算したゼノ・シールスの政治的センスは類稀なモノだと云えた。当時は地球軌道上での一大艦隊戦とあり、冷静に彼の行動を分析できる者はほとんど存在しなかったし、分析できた者は戦後に彼を利用する事を考えたのである。
かくしてジョージ・クルーガーは、行政部門最上級作戦司令部(エグゼティブ・ブランチ・ジェネラル・オペレーション・コマンド)なる聞き覚えのない機関による宇宙艦隊再建計画、戦後復興政策の牽引により、その影響力を急速に失っていったのである。この場合、ジョージ・クルーガーにとってマイナスだったのは、ハイヴィスカス戦役中に行った慰霊演説と軍の弾劾演説が尾を引いてしまった事であった。
ゼノ・シールスの傀儡である行政部門最上級作戦司令部(エグゼティブ・ブランチ・ジェネラル・オペレーション・コマンド)は、死戦に挑んだ軍人達を安易に弾劾したジョージ・クルーガーを喧伝の材料に、軍部からの熱烈な指示を集める事に成功をした。また戦後復興を題目に、これまでの世襲議員達の醜聞を全面に人類の新たな出発を謳ったのである。
戦後初の地球連合政府議会の選挙では、軍需メーカーや軍部に影響力のある若い政治家が次々に台頭したのである。三世紀以上に渡って築き上げた世襲議員達の選挙基盤は流石に強固であり、一度の政治的失敗で水泡に帰す類のモノではなかったが、それでも彼らは己らが政治的主導権を失いつつある事を理解せざるを負えなかった。
利権に貪欲なイメージのある世襲議員達だが、彼らは利権のハイエナというべき存在であり、自ら利権を獲得できるだけの才覚をもはや持ち合わせていなかったのである。既得権にしがみつき、生き残りに賭ける彼らであったが、それを許すほど、ゼノ・シールスは甘い男ではなかった。
「《連邦府》の骨董品市場もそろそろ片付けるべきだ」
ゼノ・シールスは端的にそう言い、彼の忠実な下僕である行政部門最上級作戦司令部(エグゼティブ・ブランチ・ジェネラル・オペレーション・コマンド)は迅速にその行動を始めた。ゼノ・シールスの意図が奈辺にあったか、それを知る者はいなかったが、少なくとも彼は新たな人類圏構築のインフラ構想があり、その為の布石を打ち始めたと思えた。
戦後から約4年後の宇宙暦307年より、突如としてジョージ・クルーガーら世襲議員らは挙って親火星派として活動を開始した。それが何人かの示唆によるモノだろう事を予想する事は容易かったが、活動自体は至極真っ当であり非難される性質のものではなかった。
こうして《連邦府》は、戦後復興の新興の急進派と、火星擁護を訴える世襲の保守派に二分されたのである。(無論、その両派閥に加わらない政治家も存在したが、極少数であり、論議の対象にする程ではなかった)その舞台を誰が創り上げたか、誰が望んだか、というのは最早、問題ですらなかった。
『既に成った事を語るほど、愚かな事はない。我々は今を生きているのだから』とは、数々の問題の中で地球連合政府を樹立させた立役者の一人アリオス・ラインツの言葉だが、まさにその通りであった。その政局をそれぞれの勢力が利用し、己の望む未来を形作ろうと暗躍する。
そして時間は流れる、無慈悲に、確実に、冷酷に。
レイ=ヴァレンタイン、その名前を知らない者は軍関係者ではモグリと言えた。宇宙暦285年に新設された第10機動艦隊創設時の目玉として、若干25歳で大佐まで昇進した女傑として、当時のマスメディアを賑わした女性である。ただ『9時から5時、軍人』などという渾名をマスコミから与えられ、実に「けれん味」のない人物とされたのである。
もっともそれは、若く美しい才媛に派手さを求めていたマスコミが実物大の彼女とのギャップに過剰な反応を示しただけの話であり、その落ち着いた動作や行動、口調は、その外観にも現れており当時から淑女を思わせる魅力的な人物であった。
今ではそれに円熟味が加わり、大人の女性として軍部に歴然たる影響力を持つ高級軍人の一人まで成長していた。艦を預かってから今日まで、常に前線で指揮を執ってきた女傑であり、攻守両面に均整の採れた戦術を組み立てる彼女の実力は、あのハイヴィスカス戦役を生き残った事からも窺える。
宇宙暦311年10月1日、新たに新造艦で編成される第6打撃艦隊の艦隊司令にレイ=ヴァレンタイン少将は任命された。正式な発足は来年の1月と通達されていたが、その準備としてグラナダに召喚され、事務手続きや人員の確保などの作業に追われていた。そして、その副官にレカル・フォルテーナ中佐という女性士官が着いたのだった。
【運命の女神】と呼称される一族は、宇宙開拓時代当初の移民として有名であった。解析の終了したヒトゲノム計画を基盤とした「宇宙開発プロジェクト」の一環で特別な遺伝的操作を行われた一族の末裔として知られる。人類が宇宙に生存圏を広げるには、あまりにも過酷であり危険が多かった時代、人々は宇宙放射能や強力な電磁波による遺伝子治療や、無重力化での生活に順応する為に遺伝子レベルでの変革を計画したのである。
この長期的実験プロジェクトの結果については、公式に発表をされていない。無重力や高重力に耐性を持たせる為の肉体強化が目的と言うのが通説だが、これには極端な様々な噂が存在したが、この亜麻色の髪をしたアイスブルーの双眸の美女はそれを語る事を好まなかった。
だがレカル・フォルテーナ自身の判断力、空間認識力に於いては宇宙軍でも群を抜いており、時に人間離れした決断と行動から大きな戦果を上げる事があった。その事で云われもない誹謗を受ける事もあったが、本人はまるで気にしなかった。彼女の能力と実績はそれらに抗議する必要もないほど、万人に認められるものであったし、誹謗する者は卑小な木っ端軍人と相場が決まっており、要するに相手にする必要もないと歯牙にもかけなかったのである。
ともあれ彼女の一族がこの宇宙世紀に於いて特殊な一族として認知されていたのは事実であり、古くより宇宙移民らの象徴的存在として敬意を払われていた。事実、彼女の父であるガゼット・フォルティーナも宇宙開拓民を擁護する政治家として活躍しており、ジョージ・クルーガーらのような『にわか親火星擁護派』とは一線を画した存在であった。
この時、この人事が大きな意味を持つ事を知る者はいなかった。
そう、今はまだ、誰も…………