5章−第3幕 火星情勢
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宇宙暦312年9月24日14:32、救難艇の回収。
乗員二名(ウィルキンス・ワイルド、フレデリク・テレッセ)ともに身心に問題なし。念のため、医務室での検査をするが異常なし。
身元については、本艦乗員であるマリー・ラッセル女史の個人的な知人であり、身元保証人となる事でクリストファー・エルウィン大尉は承諾。但し、軍の試作艦である為、機密保持規約に乗っ取り、個室からの出入りは禁止される。
……表向きは。
「密航者は見つけ次第、放り出す。でもって、救難者がいても救えないと判断したら放置するってのが、宇宙船乗りの常識だった時代があった」
「二世紀ほど前の話だな、もう二百年ほど早く遭難していれば、我々は宇宙の永遠の漂流者になっていた訳だ」
「宇宙の冷たい方程式も、過去の話ってことか」
スキンヘッドの偉丈夫ウランフ・オフレッサーは、食堂の椅子を二つ繋げた専用の椅子に腰を掛け、偶然の来訪者と談笑していた。
「今も小型航宙船舶にとって質量変化は命取りだよ、大尉。宇宙はそれほど人には優しくない」
「哲学だねぇ」
ウィルキンス・ワイルドはそれほど社交的とは云えない人物であったが、この艦の連中は彼が地球で整備士をしていると聞いた瞬間、CA整備に助言を求め始めた。元々はウランフ旗下の白兵戦隊が整備班に転向したので、どうしても技術的に弱い部分があり、彼らにとってワイルドの存在はフレデリクではないが、まさに「師匠」だったのである。
本来であれば、個室で軟禁であるべきなのだろうが、ワイルド自身の人となりから、クリスが単独行動をしない事を条件に艦内の行動を許したのである。当初は、部屋に篭っていたワイルドだが、五分毎に誘いに来る乗員たちに折れる形で、格納庫に赴き、その36時間後にはすっかり艦に馴染んでいたのだった。
いくつかの要因もあるだろうが、ここの乗員が『ドリーム・ランド』の面々に似た匂いを持っている為か、この無骨で巨大な機関長と親しく雑談をする仲とまでなっていた。
「ああ、こりゃ答えなくなきゃいいんだが、お前さんらの乗っていた船なんだが、スラスターやら燃料タンクに細工の跡があったんだが、何か厄介事かい?」
「さてな。正直な話、俺にも分からん」
「ま、これでも軍警察にも顔が利くから、できる事があれば云ってくれ」
「迷惑を掛ける」
そのワイルドの謝罪に、オフレッサーが渋面する。
「人からの受け売りで悪いが、いい事を教えてやろう。『人の好意に甘える時は、ありがとう、と言う』ってことだ。好きでこっちはやってるんだからよ」
「なるほどな」
2mの大男が、同年輩の中年親爺に説教をする。なんとも滑稽な感じがして、ワイルドが苦笑を浮かべるのだった。
「艦長、28時間後にグラナダ基地に到着予定です」
ヨハン・シュナイダーの報告に、クリスが鷹揚に頷く。最低2名は艦橋勤務のシフトを組んでおり、ユリシーズの最高責任者であるクリスもその例外とはされなかった。習熟航行も終え、今は慣性でグラナダに向かっている。
「暇だな、ヨハン」
「我々が忙しくなる状況は、小官としては避けたい所です」
「真面目だな、お前さんは」
クリスが微苦笑を浮かべる。オフレッサーから優秀な男だとは聞いていたが、その3週間の習熟航行などから彼の有能さはクリス自身、実感する所である。彼ならば順調に出世するだろうとも思う。
「艦長、宜しいでしょうか?」
「何だ?」
「艦長は紛争を誘発させる為に、政府が工作されているように仰っていましたが、やはり小官には理解できないのですが」
「何かと思えば、そんな事か。いくつか理由があるが一番は『戦争をしたがってる』のさ、お偉方はね」
「戦争を、ですか?」
「火星の利権を根こそぎ持っていくには、火星を徹底的に叩く必要がある。悪辣な方法だが、火星に主権を持たせた上で条約を結び、搾取する方が効果的なんだよ、本当はな」
「主権を認めるのですか?」
「俺がシナリオを書くなら、火星に叛乱を起こさせて、テラ・ツー駐留艦隊に叩かせる。知っていると思うが、テラ・ツー艦隊は旧式艦で構成されている。叛乱軍の爆発力があれば、多少の戦力的劣勢も覆せる。
そこで連合政府に少しでも頭のキレる奴がいれば、奴らの独立を承認してやるのさ。早々にね。するとどうなる? 奴らの目的はあっさり成就しちまう訳だ。で、次に起きる問題が分かるか、少尉?」
「火星政府の問題でしょうか?」
「その通り。独立解放軍とやらに政略家がいるかどうか話は違ってくるが、火星政府の上層部は必然的に『反地球連合政府』の連中になる。なんたって、奴らが独立を勝ち取ったんだから、当然の「利権」だ。
ま、俺を含めてだが軍人ってのが国の上に就任すれば、十中八九、社会主義体制をひく、っていうかそれしかできん。だが、地球、月、コロニーとの経済の環に火星が組み込まれている以上、そんな封鎖経済圏の樹立は不可能だ。俺でも分かる程度に簡単に予想できる。
そこで、もう少し想像力を働かせればいい。火星の住民は偉大なる主権の獲得と共に大不況に耐え忍ぶ未来よりも、少し厳しくてもナントカ食って行ける状態のどっちを選ぶかってことさ」
「つまり主権を認めることで、火星はバラバラになると云う事ですか?」
「さぁな、そうなるかどうかは奴ら次第だ。だが、火星の独立は連合政府との不仲の決定的な要因となる。後は、何でもいいから、イチャモンをつけて連合政府は火星に宣戦布告をすりゃいい。新政府の樹立、経済の混乱、市民の間の温度差、新生火星軍が連合政府と戦争して勝てる見込みは薄い」
「確かに」
「ま、地球としてはさっと一戦して、不利な講和条約を押しつけりゃいいのさ。かくして、火星は主権確立を手にした代わりに、今まで以上の過酷な搾取を連合政府から受ける。でもって、その恨みの矛先は愉快なことに『独立を勝ち取った火星政府』の連中と連合政府に二分割する事ができるのさ。
そうすりゃ、連合政府は今後行われる、火星の暴動を治める費用と手間を火星政府に押し付け、旨い処だけもっていけるって按配よ」
クリスの考えは確かに細部に関しては疑問が残ったが、その考えとして夢物語ではない。連合政府にそれだけの力を持った人間がいれば、実行するだろう。そしてヨハンは、おそらくクリスはその立場にあれば、口にした事を実行せしめるだろうと感じた。そして、その思考の軌跡は地球でゼノ・シールスが描いていいた未来予想図でもあり、その細工が着々とされていたのである。
真剣な面持ちで考え込むヨハンに、クリスが笑い掛ける。
「そう真剣に考えるな。ただの暇つぶしだよ、こんなのは」
ヨハンは己の上官が何を見ているのか、具現化し難い問題に取り組んだが、自分にはムリだと想像を諦める。考えずとも、時間が答えを教えてくれる。ヨハン・シュナイダーは願わくば、この不真面目な上官の下で、今しばらく研鑽を積みたいと思うのだった。