5章−第2幕 諜報戦
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あらゆる公式資料に一切記載されていない軍情報部秘匿施設【G−07】。
その極秘エリアへの最後の隔壁の前に降り立ったのは、バラゾール・カーク情報部大佐。
漆黒の軍服に身を包んだカークの白く繊細な手が隔壁制御パネルへと伸びる。
『パスワードの確認を・し・た・わ☆』
電子合成された案内音声が能天気な声を投げ掛けてくる。 彼が設立した「ネスト」の幾つかある連絡用施設である。数十名の構成員を動員し、先日の襲撃事件の全容をおおよそ把握したカークは、事態への布石を打つべく動き始めた。
重厚な厚みを持つ赤黒い塗装の施された装甲隔壁がゆっくりと開いていく。元々は軍の生物兵器開発研究所の地下施設である。その物々しさに思いを巡らし、カークの薄い唇が自嘲の笑みを刻む。
(物騒さでは、大して変わらんか)
「御待ちしておりましたわ、大佐」
装甲隔壁の向こうに用意された円卓には、カークが呼び集め設立した「ネスト」メンバーの六名が顔を連ねていた。情報部第九観察室などという地位が与えられているが、厳密に言えば「ネスト」構成員の多くは、カーク個人との契約によって動く傭兵でしかない。ここに集まった連中とて、事情は同じだ。報酬が払われる以上、その仕事をする。己の才覚だけで、世の中を泳ぎきれる自負と実力を持った彼らにとって地球連合政府の安定などは全く意に介する必要もない些事であった。
だが、だからこそ信用できるとカークは考えていた。政治的信条やら思想的自由などを持っている輩よりも、拝金主義者どもの方が、余程信用できた。なぜなら、拝金主義者どもは金銭以外の要素でカークを裏切る心配がないからだ。
そこに集まっている面々をカークは確認する。女が二人に男が四人だ。
豪奢な金髪の美女|《虎》(ティーガー)は、カークの代理人として各地で暗躍しており、裏社会に通じる女傑。
カジュアルな服装をした20代後半の凡庸な容貌の黒人女性は|《東方三博士》(バルタザール)。この施設の管理者にて、地球圏でも屈指のハッカー。
残りの四人の男性はカークと同じ軍服を纏っていた。おそらく、軍内部に潜入し内諜をしているのだろう。
|《小罪》(ヴィーニアル・シン)、技術者然とした雰囲気を持った、凛々しい容貌の白人青年。
|《執行者》(ジ・エンフォーサー)、小柄で鋭い目つきをしたアジア人。
|《半円》(ワンエイティ)、四〇代半ばと思われるでっぷりとした体格の白人。
|《コンピュータ狂い》(ギータ)、金髪碧眼の二十歳前と思われる美青年。
集まった彼らに挨拶すらせずに、カークは空いた席に座り、会議を開始した。
「ギータ、ここまでの状況の説明を」
「イエス、ボス」
白皙の美青年は自分の背後にある制御卓を叩き、特設したスクリーンに報告資料を映し出す。
「まず、一連のステーション襲撃犯は、無数に存在する火星独立武装勢力の一つ『火星評議会』とか名乗るクソ野郎集団である事が判明しました。これは先日、コーザノストラ・メリヴェールを経由して手に入れた軍情報部の情報が出処です」
「偽装である可能性は?」
カークの問いに青年が肩を竦める。
「難攻不落の【アーカイブ】に偽装情報を溜め込む趣味はないと思われます、ボス。それに、こちらをご覧下さい」
スクリーンの情報がグラフへと変化する。
「アーカイブの情報に、《半円》と《小罪》からの報告を加え分析すれば、『火星評議会』は軍情報部がスポンサーになった組織である可能性が90%以上です。投資理由の詳細説明書は添付されていなかったものでして、これは私の推測でしかありませんが宜しいですか?」
ギータの言葉にカークが無言で続きを促す。
「現況、疲弊した連合政府軍にとって地球上の紛争ごっこはともかく、テラ・ツー、コロニー、月面、金星の異星人どもの叛乱は是非とも避けたい事態です。そこで連合政府の思惑は、一箇所に歪みを集中させる事によって、政府に対する欲求不満を誘発させるつもりではないかと、思います。――小出しにされるよりも、制御し計算された『大きな叛乱』一つで片付けられるならば、多少の犠牲も安いと思ったのでしょうね」
「一つで片付くか? それに触発されて、各地で叛乱が起きる可能性は?」
「素晴らしい質問です、《小罪》。一昨年の金星人どもとの戦争で、連合宇宙艦隊は七割を失ったのは記憶に新しいでしょう。現状、宇宙艦隊で交戦可能な戦力は三個艦隊でしかなく、戦後に新たに設立した二個艦隊も引退した旧式艦の寄せ集めでしかありません。今現在の宇宙艦隊は五個艦隊しか『存在しない事』になっている。但し、表向きには、です」
「表向き?」
「現在、宇宙艦隊再建を名目に建造された新造艦を、連合政府は発表していないでしょう? いいですか、これは『発表できない』のではなく、『発表していない』のです」
「なるほど、新生宇宙艦隊のお披露目会にする目算か」
「ご明察通り。火星で勃発した大規模な叛乱を、新生宇宙艦隊の大部隊が圧倒的な戦力で鎮圧する。対外的にも、対内的にもデモンストレーションとしては申し分ありません。少しでも、軍の台所事情に詳しければ、そう何度も出兵するほどの予算が軍にない事は周知ですから、一度の出兵で数年間の安定が望めるのならば先行投資も止むなしと、シナリオを書く人もいるのでしょう」
「つまり、『火星評議会』とやらは発火線か?」
「火星独立武装勢力の蜂起は、早すぎても、遅すぎても困ります。現状の火星からの搾取を続けていけば、早晩、叛乱は起きるのは間違いないでしょうから、それを調整する役目があるのでしょうね」
「では『火星評議会』は、完全に軍情報部の傀儡か」
「そうですね、おそらく『頭の足らないボンボン』を焚きつけたと思いますので、『火星評議会』そのものは利用されているとは思っていないんじゃないでしょうか。私の推測でしかありませんが、正解である可能性は非常に高いと思います。どうでしょうか、ボス?」
白皙の美青年は、そこで己の雇用主へと話を振る。手を組んで聞いていたカークが口を開く。
「ギータの推測に関して異論はない。だが、未だに『火星評議会』は表舞台に立っていない。その理由は分かるか?」
「古来より人類は、戦争前の士気鼓舞の為に、生贄を軍神に捧げたそうです」
白皙の美青年はニヤリと白い歯を見せる。人類にとって二度目の星間戦争の導火線も彼にとっては、どうという事はないらしい。周囲を見渡せば、どいつもこいつも同じ様に愉悦に口元が歪んでいる。
(どうしようもないクズどもだな。だが……だからこそ雇った甲斐がある)
「『火星評議会』の指導者は、親火星派の名士のボンボンか?」
「流石にアーカイブにも『火星評議会』首謀者の名前までは無かったですが、その可能性は極めて高いでしょう。火星在住の独立思想家で、影響がある名士となれば相当限定可能です」
「主導権を獲るには、その男の動向を調査する必要があるな……《半円》、調査に出向いてくれ」
「人員と予算は?」
「任せる、黄麗に計画書を提出してくれ」
「了解」
「《虎》は軍情報部の資金洗浄の調査だ。《執行者》と《小罪》はそのバックアップ」
「了解」
「地球連合政府の安定の為には、軍上層部は少々複雑すぎる。清掃をするには好い機会だ。貴君らの矜持と実力に期待する」
カークの言葉に六名は6通りの反応を見せる。不敵に笑う者、無表情の者、真面目に返事をする者、肩を竦める者、目を伏せる者、無言で頷く者……『ネスト』の暗躍が始まる。