4章−第3幕 電脳侵入
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地球連合政府機密電子情報ファイル――通称【アーカイブ】は、セキュリティ把握の便宜上、五層の迷宮に似せた仮想立体図で表示されていた。その迷宮の一箇所が不意に赤く点滅し始める。不正規アクセス――要するに強制侵入にて、招かざる人物が情報を盗みに来たということであろう。【アーカイブ】に強制侵入するには、AAランクの『刑務所の壁』を突破せねばならない。その為、極まれに自分のハッカーとしての名前に箔をつけるために挑戦する馬鹿者がいるのだ。
「侵入経路を特定と、締め出しをする」
連合軍情報部の保安防諜担当士官が、厳かに作業の開始を宣言する。約三世紀、有象無象のハッカーどもから情報を守ってきた自負か、それとも己の職務の崇高さを知る者の矜持がそうさせるのか、20名の電子防諜スタッフは己の端末を駆使し、侵入者の排除を試みる。
だが、その日、彼らは己らの知らぬ高みを知る。
「ファイル【B−21】侵入されました! 《猟犬》消滅!!」
「ファイル閉鎖拒否!?」
「大尉、アーカイブ中枢電算機への被制圧率35.32%!! 制御権奪回できません!!」
「《消滅》コマンドの使用を許可する!」
「命令……拒否!? 区画破壊プログラム、作動しません!」
「えぇい!! 回線遮断を許可する!」
「いえ、ダメです! 侵入経路特定できません!」
「どういう事だ!」
「信じられませんが、連合政府全主要施設からの侵入です!」
「被制圧率46.88%!! 《雑草》かっ!? 対応が間に合いません、補助演算システム【Λ】停止!!」
「どんなイカサマ野郎だ!! クソッタレ!」
僅か侵入者排除の命令発令の一分後、アーカイブ防諜管制フロアにて保安スタッフ達が悲鳴の様な怒声を上げていた。次々に侵入者を駆除すべく指示を出していた管制責任者は、既にその目的を排除から機能維持へと変えている。
「これ以上の侵食を許すな! 制御奪還よりも維持に機能を回せ!」
「ファイル【A−61】【A−22】抹消!!」
「《幽霊》!? 保安プログラムがファイル【C−12〜33】を侵入者と誤認!! 抹消を仕掛けてきております!」
「保安プログラムの停止!」
「しかし、それでは!!」
「構わん! クソ!!」
「大尉、被制圧率66.66%!! 第二管制フロア、完全に侵入者の制御下に入ります!!」
「第二管制の回線遮断!!」
「拒否!!」
「だったら、斧でも銃でも構わん、物理的に遮断しろ!!」
もはやハッキングなどというレベルではない。EC(電子戦)のレベルである。これまでのサイバーテロなどとは次元が違う。演習では、軍の電子戦艦とでも互角以上であった彼らであったが、それを遥かに超える域の存在を知る。
「ファイル【A−03】【A−05】【A−11】抹消!!」
「被制圧率上昇ストップ! 72.14%!!」
「補助演算システム【Ω】【Й】停止!! 復旧の目途が立ちません!」
「!? 大尉、侵入者より通信!!」
「通信だと!? 逆探知……いや、するな。通信つなげっ!」
フロアの喧騒が俄かに収まる。20名の電子情報戦のプロを以ってして圧倒される存在――地球・火星・月・コロニー、幾万人ものハッカーが存在するが、それとは技術力が根本的に異なる。
ならば、可能性は唯一つ……固唾を飲み込み、通信に全員が耳を傾ける。
『諸君らの健闘と虚しい努力に敬意を表して、忠告を一つ。お仲間を信じぬことだよ、人にとって裏切りは本能だ。敗北は君たちの実力不足ではなく、裏切り者がいた事と知ることだよ』
電子合成音が通信スピーカーから響く。
「……侵入者の反応消失。アーカイブとの接続が外れました」
それは事実上の、彼らの敗北宣言であった。
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地球軌道衛星都市【ユートピア】。
物資運搬を目的作られた赤道上に存在する12の軌道衛星都市の1つである。もっとも、先のハイヴィスカス戦役の存在により、その7つが機能を失い廃墟と化していたが。
コーザノストラ・メリヴェール。
知らぬ者はいない、公然の事実。
この衛星都市の本当の支配者は、怖ろしく、歪んでいて、腐敗した犯罪結社である事を、地球圏に住むものならば誰でも知っていた。地球連合発足以来、広い宇宙に生存圏を広げた人類であったが、それは同時に犯罪組織の拡大と発展の機会も与えたのだった。
「広域指定犯罪組織」と呼称される数々の犯罪結社と、銀河警察(GP)、あるいは連合宇宙軍(UES)との対決は、数々の逸話と三文芝居の脚本家に題材を与え続けてきた。
中でも、このコーザノストラ・メリヴェールは旧世紀の米国を発祥とする『巨大犯罪複合企業』として知られていた。数々の企業を隠れ蓑に、社会に根を張り、暗部としてあり続けているのである。そして、この【ユートピア】とはコーザノストラ・メリヴェールはその象徴と本拠地として、政府に働きかけ作らせた都市なのである。
『ザ・マフィア』の呼称は伊達ではない。この地に犯罪者どもが巣食っている事を知りながら、どの治安当局も手を出せずにいた。何故ならば、これまでも幾百人もの英雄願望のある警察官や軍人が彼らに手を出した報復に鬼籍に名を連ね、そして何より、それに倍する家族も道連れにされているのだから。
つまり、このユートピアは公然の秘密として治安法外が認められている都市であった。そして、それは犯罪者のみならず、様々な諜報組織にとっても便利な場所であったのだった。
「首尾はどうでして、ミスタ?」
「問題ない」
無色のストッキングで包んだ長い足を、ショートスカートから覗かせた女性が足をこれ見よがしに組みかえるが、眼前の黒服の男はまるで感じるところがないように動じない。エロティックな雰囲気を纏った女性は、紅く妖しく濡れる唇に僅かな弧を描かせる。
「それは何よりです。我々も貴方方にご依頼をした甲斐がありましたわ」
「世辞はけっこう。我々は『貰うものを貰って、渡すものを渡す』だけだ。軍情報部の将校と親しくするつもりはない」
「あら、残念ですわね。個人的に、コーザノストラ・メリヴェールに興味はありましてよ、私」
「無駄口を止めるか、取引を止めるか、どっちかを選べ」
大袈裟に肩を竦め、女が一枚の黒いカードをハンドバックから取り出す。
「確認ください、ミスタ」
黒いカードが男に投げ渡されると、それを慣れた手つきで男が予め用意してあったカードリーダーに通す。
「金額が2割ほど多いようだが?」
「お約束の報酬と、もう一つ、今回の実行犯の方を教えて頂きたいんですの」
妖しい微笑を浮かべた女に、男の表情が僅かに動く。
「知ってどうする気だ?」
「さぁ? 私は上司に実行犯を教えてもらうよう、指示を受けただけですし。それに『家族』でなければ、名前を出しても問題ないのでしょう、ミスタ?」
「……………………実行犯は、四名。《魔術師》《配達屋》《追放者》《シュガー・シュガー》の四人のフリーランスのハッカーだ」
「|《追放者》(エグザイル)と|《配達屋》(デリヴァリレイター)は知ってますけど、《魔術師》と《シュガー・シュガー》は聞いた事ありませんわ」
「それを調べるのはアンタらの仕事だ。情報は話した、問題ない筈だ」
「仰る通りですわ、ミスタ。何しろ、我々も『ショバが荒されて、犯人も分からない』のでは、沽券に関わる職種なものでして」
「頼まれた情報のディスクだ」
女と話しすぎたと思ったか、男は言葉少なくディスクを女に手渡す。
「内容を確認しまして?」
「その情報は別料金だ」
「お堅いこと」
「信用商売で柔らかいのは問題がある」
「ごもっとも」
黒服の男が去ったのを確認し、女が優雅に踵を返す。豪奢な金髪の美女――|《虎》(ティーガー)のコードネームを持つ女諜報員は、己の上司たるバラゾール・カークが何を考え、どう動くのか、それに思いを巡らして、微笑を深めた。あの男の考える地球連合の安定とは、戦乱を呼ぶ性質のものだと、女は直感していた。
嵐が来る、大きな大きな。
それが女には堪らなく、嬉しかった。